鹿児島県霧島市の日当山温泉郷に佇む「数寄の宿 野鶴亭」が、2025年8月の記録的豪雨による全館休館から段階的な復旧を経て、再開後初めての秋を迎えている。
同館は2025年12月25日に本館客室から一部営業を再開し、2026年4月には離れを含む体制で本格再開。現在は全14室のうち、改装中の離れ「斉心庵」を除く13室で営業している。
長期休館を乗り越えるなかで、どのような考えのもと復旧と営業再開を進め、宿のあり方を見つめ直したのか。災害への備えやサービスの変化、そして日当山温泉郷でこれから届けていきたい滞在の姿について、株式会社野鶴亭の代表取締役・森義斉氏に話を聞いた。
夕暮れの「数寄の宿 野鶴亭」エントランス
公式サイト:https://yakakutei.com/
――2025年8月の豪雨による全館休館から営業再開を目指すなかで、復旧を進めるうえで特に重視されたことを教えてください。
今回の大規模災害を受け、長期的な休業を余儀なくされました。そのなかで、経営者として特に大切にしたのが、働くスタッフや宿に関わる人たちの歩みを止めないことです。特にスタッフの雇用については、「必ず生活を守る」という強い意思を持って日々過ごしてきました。
2025年8月の豪雨によって全館休館を余儀なくされた際は、私をはじめスタッフ一同、大変なショックを受けました。それでも、「必ず宿の営業を再開させる」という目標を掲げ、支えてくださっている皆様への感謝を胸に、今いるスタッフとともに再びお客様をお迎えできるところまで復旧させたいという思いで取り組んできました。
また、今回の復旧を、野鶴亭がこれまで培ってきた価値をあらためて見つめ直し、磨き上げる契機にしようとも考えました。
復旧にあたっては安全の確認を最優先とし、段階的な営業再開を目指しました。さらに、再び同じような災害が起きた際にも、お客様とスタッフ、そしてこの伝統ある宿を守り抜けるよう、防災・減災の視点を取り入れることも重視しました。
――2025年12月に本館から一部営業を再開し、2026年4月に離れを含む本格再開へと段階を踏まれています。営業範囲を少しずつ広げるにあたり、どのような点を重視して再開のタイミングを判断されたのでしょうか。
段階的な営業再開にあたり、最も重視したのは、「お客様が心から安心し、なおかつ野鶴亭が本来持つ『余白の美』を満喫していただける環境が、そのエリアで完全に整っているか」という点です。
一刻も早く全面再開したいという焦りはありましたが、中途半端な状態でお客様をお迎えすることは、野鶴亭が大切にしてきたおもてなしに反します。そのため、エリアごとに明確な基準を設け、再開のタイミングを判断しました。
再開のスピードではなく、お客様に約束できる「時間と空間の質」を最優先に、一つひとつの段階を慎重に進めてきました。
専用庭園を望む離れ「秋成庵」の客室
――復旧にあたっては、被災前の状態に戻すだけでなく、野鶴亭らしい滞在をあらためて整えることも意識されたとのことですが、施設やサービスについて見直したこと、新たに取り入れたことがあれば教えてください。
料理では、料理人がお客様の目の前で仕上げを行う特別な演出を取り入れています。
例えば、当館が誇る特選の「鹿児島森和牛」を最高の状態でお召し上がりいただくため、絶妙な火加減で肉を焼き上げる際の芳醇な香りや音を、間近で楽しんでいただくといった趣向です。
こうした見直しによって、「温かいものは温かく、冷たいものは冷たく」お届けすることも可能になりました。まさに「今、料理人が仕上げたばかり」という、みずみずしい状態で料理をテーブルへお届けできる仕組みを強化しています。
また、「間・呼吸・余韻」を理念として掲げ、旅が終わったあとも美しい記憶が余韻として残り続けるような、目に見えない贅沢を新しい野鶴亭のサービスとしてお届けしています。
野鶴亭流懐石の一品(献立は時季により異なる)
――今回の被災と休館、営業再開までの経験を通じて、災害への備えや宿泊施設の運営について、新たに気づいたことや見直したことはありますか。
これまでも避難訓練や備蓄など、館内での防災対策は講じてきました。しかし、近年の気候変動による豪雨は想像を絶する規模で、一軒の宿のなかだけで完結する対策には限界があるという現実に直面しました。
そのため、現在は単独での備えだけでなく、近隣の事業者や地域コミュニティ、自治体との災害時の相互協力ネットワークをより強固にする取り組みを進めています。また、インフラが寸断された場合でも数日間は自立して安心・安全を維持できるよう、事業継続計画を、より実践的な内容へと見直しました。
そして休館中、最も私どもの心の支えとなり、再開への原動力となったのが、全国の常連のお客様からいただいた「待っているよ」「また野鶴亭に泊まりに行きたい」という温かい激励の言葉でした。
私どもが提供しているのは、単なる「客室と食事と温泉」というハードウェアではなく、お客様の人生に寄り添う「時間、空間、そして思い出」というエモーショナルな価値なのだと、あらためて魂が震えるような気づきを得ました。
この試練は、野鶴亭が次の50年、100年と皆様に愛され続ける宿へと進化するために必要なプロセスだったと、今では確信しています。
庭を望むレストラン「風碧」
――再開後初めての秋を迎え、これから野鶴亭をどのような宿へ育てていきたいと考えていますか。日当山温泉郷や霧島での滞在を通じて、今後お客様に届けていきたい時間や体験についてもお聞かせください。
私どもが目指すのは、単に贅沢な設備を誇る宿ではありません。お客様が野鶴亭に求めてくださっているのは、「日常のすべてを忘れ、心身を完全にリセットできる圧倒的な安心感と静寂」なのだと、今回あらためて認識しました。
数寄屋造りの美しい伝統建築や、手入れの行き届いた苔庭といった「日本の美」を頑なに守り続ける一方で、目に見えない安心・安全のインフラは常に最新のものへとアップデートしていく。そして、お帰りになったお客様が「ただいま」と、我が家に帰ってきたかのようにホッとできる、人生の拠り所のような宿へとさらに深く育てていきたいと考えています。
食に目を移すと、鹿児島という土地に身を置きながら、私どもが大切にしているのは「日本の食の物語」です。鹿児島の海、山、川が育んだ恵みを軸に、日本各地の風土と作り手の思いが宿る食材にも目を向け、その時々で最も心を動かされたものをお届けしたいと考えています。この宿で過ごすひとときが、日本の風土を巡る小さな旅となれば幸いです。
現代社会は、情報や時間に追われるスピードの速い毎日です。だからこそ、私どもが日当山温泉郷で最もお届けしたいのは、「贅沢に時間を忘れる」という体験です。
客室、温泉、料理が三位一体となった「間・呼吸・余韻」の時間を、より濃密に、より洗練された形でお届けしていきたいと思っています。
離れ「秋成庵」の露天風呂と専用庭園
■施設概要
施設名:数寄の宿 野鶴亭(すきのやど やかくてい)
所在地:〒899-5115 鹿児島県霧島市隼人町東郷1-8
客室:全14室(うち離れ5室)
※現在、離れ「斉心庵」は改装中のため、13室で営業しています。
アクセス:鹿児島空港から車で約12分
電話:0995-42-6400
公式サイト:https://yakakutei.com/
宿泊予約:https://reserve.489ban.net/client/yakakutei/0/plan

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