1843(天保14)年、京都・祇園に創業した呉服商「ぎをん齋藤」。その七代目、故・齋藤貞一郎(じょういちろう)さんが生涯をかけて蒐集(しゅうしゅう)してきた古裂を展示・保存する収蔵庫「SAITO Collection」が、2026年秋に完成する。
名もなき職人たちが、極限の技と情熱を注ぎ込んだ裂の世界。幾多の時代をくぐり抜けてきた一片一片は、時を超えてなお、鮮やかな美の記憶を宿している。
「SAITO Collection」 誕生
Katsuo Takashima
7世紀から19世紀にわたる、中国出土裂や辻が花、繍箔、慶長裂、更紗など。七代目主人、齋藤貞一郎さんが蒐集した古裂約90点を展示・保存する収蔵庫が今秋完成。骨董としてではなく、現代の染織文化に生かすことを大切にしてきた先代の遺志を受け継ぎ、古裂の魅力を未来へと伝える場として新たに設けられた。
Katsuo Takashima
前庭の砂利を生かした建物の表字体は建築家・妹島和世さん、設計は建築家・周防貴之さんによるもの。額装は二葉家具製。
DATA
開館時間/10時~16時
休館日/土・日曜
※見学は電話かメールにて事前に要予約
tel.075-561-1207
京都市北区西賀茂中川上町21
ぎをん齋藤
古裂は「美の教科書」である
Katsuo Takashima
茜の濃淡と紫で花を染め分けた17世紀の「鶏頭手金更紗」。小花模様の金更紗は茶道具の裂としても珍重された。
談=河上繁樹 [美術工芸史研究家]
「裂」とは、文字通り、古い衣裳や織物から切り取られた「布の一片」をいう。しかし、その小さな端切れは、単なる物の断片ではない。そこには、時代ごとの美意識や、染織の技、職人の手仕事が凝縮されている。そして、もとの姿や使われた背景を想像するとき、裂はかつてそれを愛した人の思いや歴史と結びつき、往時の美意識を鮮やかに教えてくれる「美の教科書」へと姿を変える。
歴史を繙けば、織物はただの実用品にとどまらず、常に人間の美への欲求や権力の象徴として磨かれてきた。例えば、シルクロードを経て伝わった緯(よこ)糸による多彩な文様表現、至高の技とされた「錦」や「繡箔」、家康や秀吉ら権力者が愛した「辻が花」など、裂には各時代の最高峰の技法とエネルギーが集約されている。
とりわけ桃山時代の裂には、現代の価値観を揺さぶるような示唆がある。当時の仕事には、どこか素朴で大らかな趣が残っており、多少の揺らぎや失敗さえも包み込む、豊かな包容力と大胆な美しさがあった。均一性や完璧さを求めがちな現代にあって、こうした桃山期の作風は、「美とは何か」という根源的な問いを、あらためて私たちの心に呼び起こす。
Katsuo Takashima
「SAITO Collection」には、貞一郎さんが好きだったというインド更紗も。ヒンドゥー教などの宗教儀礼に用いられたと思われる18世紀の「天使文金更紗」。
現代は技術が進歩し、最新の技法で複製を作ることも容易になったが、技術の進化で、必ずしも美しいものが生まれるわけではない。限られた素材と道具のなかで、職人が試行錯誤を重ねて生み出した古い裂は、現代の最新技術でも再現し切れない固有の美意識を湛えている。
故・齋藤貞一郎氏は、きものの創作活動に生かすため、情熱をもって古裂を蒐集した。それは、古裂がただ古いだけの布ではなく、往時の人々が「美」を探求し、職人たちがいかにしてその「美」をかたちにしたのか、その思考と技の軌跡をいまに伝えてくれるからだ。
たかが裂、されど裂──。小さく裁断され、今日まで残された布の一片一片が、時を超えて、いまを生きる私たちに「本物の美しさとは何か」を、そっと語りかけている。(談)
Katsuo Takashima
古いものに敬意をもって向き合った貞一郎さんにとって、古裂は創作の礎であった。古裂の意匠や技を現代に再現した「ぎをん齋藤」の帯。
かわかみしげき〇染織史・服飾史研究者。文化庁、京都国立博物館で文化財の調査・研究に携わり、関西学院大学教授、同大学博物館長などを歴任。現在、大阪学院大学国際学部教授。著書に『装いの美術史』(思文閣出版)など。
齋藤貞一郎が遺したコレクションより
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● 齋藤貞一郎さんが生涯をかけて蒐集してきた古裂より、東大寺大仏開眼会(752年)や聖武天皇一周忌斎会(757年)にも使用された正倉院裂など、貴重なコレクションの数々が堪能できます。
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古裂は「美の教科書」である
Katsuo Takashima
茜の濃淡と紫で花を染め分けた17世紀の「鶏頭手金更紗」。小花模様の金更紗は茶道具の裂としても珍重された。
談=河上繁樹 [美術工芸史研究家]
「裂」とは、文字通り、古い衣裳や織物から切り取られた「布の一片」をいう。しかし、その小さな端切れは、単なる物の断片ではない。そこには、時代ごとの美意識や、染織の技、職人の手仕事が凝縮されている。そして、もとの姿や使われた背景を想像するとき、裂はかつてそれを愛した人の思いや歴史と結びつき、往時の美意識を鮮やかに教えてくれる「美の教科書」へと姿を変える。
歴史を繙けば、織物はただの実用品にとどまらず、常に人間の美への欲求や権力の象徴として磨かれてきた。例えば、シルクロードを経て伝わった緯(よこ)糸による多彩な文様表現、至高の技とされた「錦」や「繡箔」、家康や秀吉ら権力者が愛した「辻が花」など、裂には各時代の最高峰の技法とエネルギーが集約されている。
とりわけ桃山時代の裂には、現代の価値観を揺さぶるような示唆がある。当時の仕事には、どこか素朴で大らかな趣が残っており、多少の揺らぎや失敗さえも包み込む、豊かな包容力と大胆な美しさがあった。均一性や完璧さを求めがちな現代にあって、こうした桃山期の作風は、「美とは何か」という根源的な問いを、あらためて私たちの心に呼び起こす。
Katsuo Takashima
「SAITO Collection」には、貞一郎さんが好きだったというインド更紗も。ヒンドゥー教などの宗教儀礼に用いられたと思われる18世紀の「天使文金更紗」。
現代は技術が進歩し、最新の技法で複製を作ることも容易になったが、技術の進化で、必ずしも美しいものが生まれるわけではない。限られた素材と道具のなかで、職人が試行錯誤を重ねて生み出した古い裂は、現代の最新技術でも再現し切れない固有の美意識を湛えている。
故・齋藤貞一郎氏は、きものの創作活動に生かすため、情熱をもって古裂を蒐集した。それは、古裂がただ古いだけの布ではなく、往時の人々が「美」を探求し、職人たちがいかにしてその「美」をかたちにしたのか、その思考と技の軌跡をいまに伝えてくれるからだ。
たかが裂、されど裂──。小さく裁断され、今日まで残された布の一片一片が、時を超えて、いまを生きる私たちに「本物の美しさとは何か」を、そっと語りかけている。(談)
Katsuo Takashima
古いものに敬意をもって向き合った貞一郎さんにとって、古裂は創作の礎であった。古裂の意匠や技を現代に再現した「ぎをん齋藤」の帯。
かわかみしげき〇染織史・服飾史研究者。文化庁、京都国立博物館で文化財の調査・研究に携わり、関西学院大学教授、同大学博物館長などを歴任。現在、大阪学院大学国際学部教授。著書に『装いの美術史』(思文閣出版)など。
齋藤貞一郎が遺したコレクションより
【菊に秋草模様単衣 (ひとえ)】
Katsuo Takashima
生絹(すずし)/白上げ、刺繡、摺匹田(すりびった)|江戸時代 19世紀
涼しげな薄手の生絹に、秋の草花を描いた単衣のきもの。江戸時代後期の武家女性が所用した品格ある様式。模様を白く染め抜く白上げの技法に、鮮麗な刺繡、鹿の子絞りの型染「摺匹田」が華やぎを添える。菊、萩、桔梗、藤袴、女郎花(おみなえし)、薄(すすき)に鈴虫……秋の風情が一枚の衣に豊かに描き出されている。
【段に菊 菱九曜文辻が花染 (ひしくようもんがつじがはなぞめ)】
Katsuo Takashima
練貫(ねりぬき)/絞り染、墨描|桃山時代 16世紀
九曜文、割り菱と花菱に鹿の子絞りの筋、下には白地に菊枝や菱が重なったような文様も見える。焦げ茶色に見える部分は、もとは紫色だったという。「辻が花」とは、絞り染を中心に、墨描きや刺繡などを組み合わせて草花文様を表した室町末期から桃山時代に結実した染織のこと。七代目が愛した意匠の一つである。
【松に梅文繍箔 (ぬいはく)】
Katsuo Takashima
練貫/刺繡、摺箔|桃山時代 16世紀
吉祥の樹木、松の緑と梅の白が紅地に映え、精緻な針使いの刺繡によって文様が浮かび上がる能装束。桃山時代に好まれた「渡し繡」で糸を浮かせ、その上から斜めに糸を掛けて押さえる妙技も見どころ。自由闊達で華麗な意匠と高度な技が競うように花開いた桃山期は、日本染織のルネサンスといえるだろう。
【唐花文錦 (からはなもんにしき)】
Katsuo Takashima
緯錦(複様綾組織)|奈良時代 8世紀
紫地に黄色の緯糸を用い、主文として唐花文、副文として菱形を織り出した錦。同種の錦は、東大寺大仏開眼会(752年)や聖武天皇一周忌斎会(757年)にも使用されており、8世紀中ごろに織られたものと考えられる。正倉院裂が市場に出ること自体が極めて稀であり、民間に流出した正倉院裂としては最大級の遺例である。
「SAITO Collection」 誕生
Katsuo Takashima
7世紀から19世紀にわたる、中国出土裂や辻が花、繍箔、慶長裂、更紗など。七代目主人、齋藤貞一郎さんが蒐集した古裂約90点を展示・保存する収蔵庫が今秋完成。骨董としてではなく、現代の染織文化に生かすことを大切にしてきた先代の遺志を受け継ぎ、古裂の魅力を未来へと伝える場として新たに設けられた。
Katsuo Takashima
前庭の砂利を生かした建物の表字体は建築家・妹島和世さん、設計は建築家・周防貴之さんによるもの。額装は二葉家具製。
DATA
開館時間/10時~16時
休館日/土・日曜
※見学は電話かメールにて事前に要予約
tel.075-561-1207
京都市北区西賀茂中川上町21
ぎをん齋藤
撮影=高嶋克郎 編集・文=吉岡尚美(婦人画報編集部)
『婦人画報』2026年10月号より
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