世界文化遺産に登録される見通しである「飛鳥・藤原の宮都」(奈良県)の構成資産、明日香村の天武・持統天皇陵古墳は、飛鳥時代の天皇陵特有の八角形墳だ。文字通り夫妻が合葬されたことが確実視される。宮内庁が指定する天皇や皇族の陵墓は、古代では被葬者と古墳築造の年代があわないなど疑問が多い中、合致する希少な例だ。

 考古学では、地元で「王の墓」と呼ばれたことから
野口王墓(のぐちのおうのはか)
古墳という。それだけ昔から2人の墓と伝わってきたのかと思いきや、江戸時代の村人は古墳を15代以上前の武烈天皇の墓とみていたことを、関西大の講座で今尾文昭・古代学研究会代表に教わった。誤伝されたのは、武烈天皇をまつる近くの神社と一体視されたためらしい。神社は地域の氏神で、古墳からも鎮座する丘が見える。

 当時も古墳を2人の墓とする見解はあったが、幕末の修復時には孫の文武天皇の墓とされた。明治に入って天武・持統天皇陵の詳細を記した鎌倉時代の盗掘記録が見つかり、1881年に天武・持統陵とされるまで、
紆余(うよ)
曲折があったのだ。

 同村にある構成資産の
牽牛子塚(けんごしづか)
古墳、中尾山古墳も八角形墳だ。それぞれ天武天皇の母・斉明天皇、文武天皇の墓との見方が強まっているが、宮内庁は別の古墳を指定している。真の墓はどれなのか。真正性が問われる世界遺産への登録は、被葬者について考えるよい機会だろう。

編集委員 早川保夫

「飛鳥・藤原の宮都」主な構成資産と所在地「飛鳥・藤原の宮都」主な構成資産と所在地

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