ビバンダムはすでに知っていた
1枚の古い冊子がある。表紙には、大樽の中で葡萄を踏みしめながらワインを豪快に煽るビバンダムが描かれている。タイヤの輪を幾重にも重ねた体躯、白目をむいた表情、赤く染まった両の手足。これは1909年10月に、ミラノのアジェンツィア・イタリアーナ・プネウマティチ・ミシュランが発行した月刊誌『イル・プネウマティコ・ミシュラン』第16号の表紙だ。副題に「コンシッリ・エ・プロディジ・ディ・ビベンドゥム」、すなわち「ビバンダムの助言と驚異」とある。
ミラノのアジェンツィア・イタリアーナ・プネウマティチ・ミシュランが発行した月刊誌『イル・プネウマティコ・ミシュラン』第16号、1909年10月。アール・ヌーヴォーの筆致で描かれた誌面タイトルの中に、タイヤの輪を体に纏ったビバンダムが悠然と座している。現在も世界中で愛されるこのキャラクターは1898年の誕生当初、今とは異なる顔を持っていた。自動車がまだ貴族や富裕層だけの乗り物だった時代、ビバンダムは鼻眼鏡をかけ葉巻をくわえた紳士として描かれることが多く、顧客と同じ階層に属する存在として誌面に登場した。読者に媚びるのではなく、読者と同じ目線に立つ。その戦略は、タイヤメーカーが単なる部品供給者ではなく、自動車文化そのものの語り手であろうとした意志の表れだった。
この冊子を手に取ってまず驚くのは、全16ページの密度の高さだ。ユーモア小説、自動車旅行記、技術解説、業界ニュース、レース結果、そして広告。ありとあらゆるコンテンツが詰め込まれている。そしてそこには、115年後の現在と驚くほど共鳴する思想が随所に刻まれている。
値上げの知らせと、変わらぬ企業の論理
冊子の本文ページを開くと、まずピンク色の差し込み紙が目に飛び込んでくる。「アッヴェルテンツァ・インポルタンテ(重要なお知らせ)」と大書されたその紙には、1909年10月30日付で乗用車・軽量車向けタイヤの価格を引き上げる旨が記されている。理由は原材料費の高騰。ゴムの原料となる天然ゴム相場の上昇を指していることは疑いない。
第16号の誌面に挟み込まれたピンクの差し込み紙。「アッヴェルテンツァ・インポルタンテ(重要なお知らせ)」と題されたこの一枚は、1909年10月30日付で乗用車・軽量車向けタイヤの価格を引き上げる旨をミシュラン&シーの署名とともに告知している。理由は原材料費の高騰—、天然ゴム相場の上昇を指すことは疑いない。「シーズン末まで引き延ばすべく最大限の努力と犠牲を払った」という文言は、顧客への配慮を前面に出しながら値上げの正当性を説明する、現代の企業コミュニケーションと寸分違わぬ構造を持つ。原材料コストが製品価格に転嫁される構造も、その告知の作法も、115年という時間はこの本質をまったく変えていない。
文面はこう続く。「この変更は以前より予定されていたが、シーズン末まで引き延ばすべく最大限の努力と犠牲を払ってきた」——そしてミシュラン&シーの署名。顧客への配慮を強調しながら価格改定の正当性を説明するそのトーンは、現代の企業コミュニケーションと本質的に何も変わっていない。原材料コストの上昇が製品価格に転嫁される構造も、2020年代の自動車産業が直面したそれと同じだ。1909年のミラノで、企業は既に同じ言葉を語っていた。
同号には関税をめぐる記事も掲載されている。フランス政府がゴム製品の輸入に高関税を課す案を検討していたとき、最大の受益者になるはずのミシュラン自身がそれを公式に拒否した。ロンドンの業界紙『モーター・トレーダー』が報じたその声明は明快だった。「輸出産業は海外顧客を敵にすべきではない。他のフランスメーカーに余分なコストを強いることも不当だ。この不用意な恩恵を辞退する」。同紙はこの声明を「古代ギリシャの賢人でもこれほど見事には語れなかった」と絶賛した。グローバル市場を視野に置いた経営判断が、この時代に既に存在していた。
荒々しい鬣をなびかせた馬に跨るビバンダムの風刺画は、関税保護拒否の記事に添えられたものだ。フランス政府がゴム製品への輸入関税引き上げを検討した際、最大の受益者となるはずのミシュラン自身がそれを拒んだ。「輸出産業は海外顧客を敵にすべきではない。他のフランスメーカーに余分なコストを強いることも不当だ」この声明をロンドンの業界紙『モーター・トレーダー』は「古代ギリシャの賢人でもこれほど見事には語れなかった」と絶賛した。疾駆する馬上のビバンダムは、国境を越えて市場を駆け抜けようとする企業の意志そのものに見える。保護主義ではなく競争によって世界に立つ。その姿勢を、ミシュランは1909年に既に言葉と絵で宣言していた。
小説でタイヤを売る:コンテンツマーケティングの起源
本文の巻頭を飾るのは、「ウーナ・プリマ・ノッテ……ディ・ラ・ダ・ヴェニーレ(初夜……まだ来ない)」と題したユーモア小説だ。新婚旅行に出た貴族夫妻が、故障した車で田舎道に取り残され、「四本釘ホテル」に辿り着く。南京虫の大群に初夜を邪魔され、翌朝も散々な目に遭う。そのオチで旧友が登場し、「ツーリング・クラブ・イタリアーノの自動車道路地図を持っていれば」と言う。右ページには即座に地図の広告が展開し、切り取り式の申込券まで印刷されている。
巻頭ユーモア小説「初夜……まだ来ない」の挿絵2点。左では故障した車の前に立つロッカフリーネ伯爵夫妻。エドワード朝風の大振りな帽子と長いドレスの花嫁、ダスターコートに口髭の花婿という当時の上流階級のドライブスタイルが活写されている。右では「四本釘ホテル」の寝室で伯爵が突然の叫び声を上げる場面。南京虫に初夜を邪魔された夫妻はついに宿を飛び出し、徒歩で旅を続ける羽目になる。このオチの翌ページで旧友が「ツーリング・クラブ・イタリアーノの自動車道路地図を持っていれば」と語りかけ、地図の広告へと自然に誘導される。読者を笑わせながら製品訴求へ着地させるこの構造は、ミシュランが1909年に既に完成させていたコンテンツマーケティングの手法にほかならない。
笑わせて、共感させて、商品へ誘導する。この構造は現代のコンテンツマーケティングが教科書に書く手法と一字一句変わらない。しかも広告と記事の境目が極めて滑らかだ。読者は小説を楽しんでいるうちに、気づけば地図を注文している。
走らせるための旅:ミシュランガイドの哲学
同号でもっとも多くのページを割くのは「自動車によるイタリア一周」の第5ステージ、テルニからボローニャまでの393キロを記録した旅行記だ。マルモレの滝、ロレートの聖家、アンコーナのトラヤヌスの凱旋門、ラヴェンナのダンテの墓、クラッセのサンタポッリナーレ聖堂——道路状況、推奨出発時刻、宿の名前まで細かく記されたその文体は、1900年に初版が刊行されたミシュランガイドの精神そのものだ。
ミシュラン兄弟がガイドブックを作った理由は有名だ。ドライバーが遠くまで走れば走るほど、タイヤは擦り減る。観光地や宿の情報を提供することは、タイヤの消費を促す最も優雅な方法だった。同じ思想がイタリアの月刊誌にも貫かれている。392キロを走り切ったその先にボローニャがあるという描写は、読者の走行意欲を静かに刺激する。
天から降ってきた男:ビバンダムという戦略
そしてこの冊子を貫く最大の存在がビバンダム、日本で「ミシュランマン」と呼ばれるあのタイヤの人形だ。彼は1898年にO’Galop(本名マリウス・ロスティロン)が生み出して以来、ミシュランのあらゆる媒体に登場し続けてきた。この冊子でもビバンダムは表紙のヴァンダンジュ(葡萄の踏み込み)に始まり、技術記事の挿絵、広告、カートゥーンと、ページを開くたびに姿を変えて現れる。
「ルネディ・ディ・ミシュラン(ミシュランの月曜日)」カレンダーの「OTTOBRE」のページを突き破って飛び出すビバンダムの装飾見出しが、この連載コラムの扉を飾る。タイヤの輪が左右に散らばり、背後にはビバンダムがくわえた葉巻の煙がゆったりと流れている。富裕層である読者と同じ階層の紳士として描かれたこの時代のビバンダムならではの細部だ。月曜日という言葉には、週の始まりに実用的な知識を届けるという編集の意図が込められている。この号では「タイヤの摩耗とその原因」を扱い、車輪の非平行によるトー異常の診断法から、リムの真円度の測定手順、空気圧不足で走り続けることの弊害まで、ドライバーが自ら実践できる知識を丁寧に解説している。製品を売るだけでなく、使い手を育てる。この姿勢もまた、115年後のミシュランに受け継がれているものだ。
世界最古の企業キャラクターのひとりとして数えられるビバンダムの強みは、その変幻自在さだ。酔いどれた陽気な酒飲みにもなれば、精密な技術解説の案内役にもなり、風刺漫画の主役にもなる。ページ14では、道で倒れた歩行者に「ミシュランのタイヤなら危険はない」と言い放つショーファーの台詞が、タイヤの安全性訴求と笑いを同時に成立させている。
見開き14〜15ページに展開する「チェルキオ・スモンタービレ(着脱式リム)」の技術解説。「タイヤのパンクはもうない。5分以内に交換できる」という大見出しのもと、タイヤ脱着の手順が詳細なイラストつきで解説されている。右ページ下には2本のユーモアカットが並ぶ。「グランド・ホテル・ド・トルー=サレ(穴と汚れのホテル)」では悲惨な道路事情のせいで325フランという法外な請求書を突きつけられるショーファーが描かれ、「空気がないとは……」では1時間かけてタイヤに空気を入れ終わったとたんに「使用空気代」の請求が来る、という笑い話で携帯エアボトルの広告へと誘導している。笑わせて、共感させて、解決策を提示する。技術記事と風刺画を組み合わせたこの構成は、この月刊誌を貫く一貫した編集の論理だ。
航空サロンの記事では、グラン・パレの天井近くに浮かぶ巨大な球形気球に「MICHELIN」の文字が読め、その艇から息子と娘のビバンダムが手を振る。「道路の支配者が空の支配者になろうとしている」という文脈で、ビバンダムは自動車から航空へのブランド拡張を体現する存在として機能している。キャラクターが戦略の核にある。
1909年という座標
この小冊子が発行された1909年という年は、ブレリオが英仏海峡を飛行機で渡り切った年であり、FIATやアルファロメオの前身が台頭しつつあった年だ。イタリア全土の代理店リストには、後にレーシングカーメーカーとして名を刻むビアンキの名前も並ぶ。電話番号は2〜4桁、通信インフラはまだ脆弱で、それでも北はヴェネツィアから南はカリアリまで、ミシュランの代理店網が張り巡らされていた。
表紙内側に印刷されたイタリア国内ミシュランタイヤ取扱店一覧。左上に掲載された「PNEUMATICI MICHELIN DEPOSITO」の看板図版は、各代理店が実際に店頭に掲示していた統一サインのファクシミリだ。地色は黄、文字は黒、帯は青、MICHELIN文字は白、—コーポレートアイデンティティの統一管理が1909年時点で既に徹底されていたことがわかる。記号で自動車用・自転車用の在庫区分を明示し、都市名・電話番号・住所を整然と並べたこのリストは、トリノからカリアリまでイタリア全土を網羅している。電話番号がまだ2〜4桁という時代に、これだけの代理店網を構築していたという事実が、ミシュランのイタリア市場への本気度を静かに物語っている。
この月刊誌は単なる広告媒体ではない。ユーモアと技術と旅と批評を一冊に束ね、読者との関係を育てようとした知的な試みの記録だ。原材料費高騰への対応も、関税保護の拒否も、観光案内と道路情報の提供も——ミシュランがこの冊子で語っていたことのほとんどは、115年後の今も有効な問いとして残っている。
「LE PNEU MICHELIN BOIT L’OBSTACLE(ミシュランのタイヤは障害物を飲み干す)」杯を掲げるビバンダムの後ろ姿を描いたカラーラベルが、イタリア語版月刊誌の裏表紙にフランス語のまま貼られている。このスローガンはホラティウスの詩の一節「Nunc est bibendum(今こそ飲み干すとき)」に由来し、タイヤが障害物を飲み込むように乗り越えるという比喩として1898年に生まれた。そのラテン語から「bibendum(飲み干す者)」の部分だけを取り出してキャラクターの名前としたのがビバンダムだ。つまりキャラクターの名前そのものが「飲み干す者」という意味を持ち、この裏表紙のスローガンと表裏一体の関係にある。イタリア向けの誌面にあえて翻訳せず使い続けたことは、言葉とキャラクターが国境を超えて通用するとミシュランが確信していた証しだ。青地の裏表紙の中央にひっそりと輝くこの小さな一枚に、ブランドの矜持が凝縮されている。
ビバンダムはとっくに知っていた。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI

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