伊予の風
春や昔十五万石の城下
哉(かな)
俳人・正岡子規の代表句を刻んだJR松山駅東口の句碑が、駅周辺再開発のため撤去される。建てられてから60年以上がたち、移設には崩落の危険性もあるため、松山市は取り壊す予定だ。県都の玄関口でJRや路面電車、高速バスを乗り降りする人たちを見つめてきたが、都市開発の波にのまれた。(辰巳昌宏)
JR松山駅前にある子規の句碑。「春や昔」は俳都を象徴する句だ(松山市で)
句碑(高さ4メートル、幅2・3メートル)は
緑泥(りょくでい)片岩(へんがん)
で重さが15トン。業者の調査で、ひび割れがあり、クレーンでつり上げると割れる可能性があると判明したという。
再開発を担う松山市交通拠点整備課は「移設できたとしても、そこで崩落する危険性があり、安全面を考えると取り壊さざるを得ない」とする。一方、俳都松山を象徴する句でもあり、「俳句文化が継承できるよう何か形にして残せるものを検討したい」とする。
句碑がある植え込みは工事の囲いが設置されている。周辺では区画整備が進む(松山市で)
句碑の裏書きには、愛媛信用金庫の前身・松山信用金庫が1962年、市に寄贈した、とある。市立子規記念博物館発行の「俳句の里 松山」には、駅前中央広場に建てられたが、80年の改修工事で北寄りの現在地に移されたという経緯が記されている。
愛媛信用金庫は「俳句の街をアピールする目的で寄贈したのだと思う」とした上で、市から安全面が不安視されるとの説明があり、「撤去を承諾した」と明かす。
JR松山駅周辺のまちづくりイメージでは、句碑がある付近を路面電車が通る予定(市提供)
市は再開発計画で、周りのマツの植え込みを含めて更地にし、路面電車を駅に引き込むとする。句碑がある場所は軌道の予定地付近になり、今後、工事が進められる。
◎
正岡子規=松山市立子規記念博物館提供
松山で子規といえば、「春や昔」を思い浮かべる人は多いだろう。1895年(明治28年)の句で、子規自筆の句稿「寒山落木」に収められている。
春の訪れを喜ぶ伸びやかな句かと思っていたが、そうでもないらしい。十五万石とは松山藩の石高で、「松山」と前書きがあることから、日清戦争の従軍記者として中国へ旅立つ前に帰省し、詠んだとみられている。危険な戦地へ行く前に古里に別れを告げたと解釈されることもある。
松山子規会の佐伯健副会長は「『春や昔』は松山人の心のよりどころ。俳句の街づくりを示すものが県都の玄関からなくなるのは残念だ」と話し、再開発後の施設に新たな意匠で受け継がれることを期待する。
◎
松山の中心部では、見上げれば城があり、街を歩けば句碑に出会う。
市教育委員会の調査(2012~13年)では、市内に1800基以上の句碑があった。そのうち子規の句が約200基で、「春や昔」だけでも複数確認されたという。
松山市立子規記念博物館の南側にある「春や昔」の句碑(松山市で)
市立子規記念博物館南側の遊歩道にも「春や昔」はある。小ぶりで道行く人は気づかないが、歴史はこちらが古く、変遷を経て今の場所に落ちついたとされる。
県外出身の記者が初めて駅前の句碑を見た時、「ああ、松山に来たな」と感じたものだ。街なかに句碑があふれているのが松山らしさだと、改めて思う。

関西発の最新ニュースと話題
あわせて読みたい

WACOCA: People, Life, Style.