2025年、警察官が偽の身分証明証を使って闇バイトに応募し、犯罪グループに接触する「仮装身分捜査」がスタートした。こうした動きを受け、鳴神響一さんは「仮装身分捜査官 一条汐莉」シリーズを執筆。2026年2月には、早くも第2作『仮装身分捜査官 一条汐莉 アンダーカバー・クライシス』が刊行された。このシリーズが生まれた経緯、新ヒロイン・汐莉の誕生秘話について、鳴神さんに伺った。
取材・文:野本由起
『仮装身分捜査官 一条汐莉 アンダーカバー・クライシス』鳴神響一インタビュー
スパイ小説のような潜入捜査を描き出す
――「仮装身分捜査官 一条汐莉」シリーズが生まれたきっかけを教えてください。そもそも「仮装身分捜査官」に着目したのはなぜでしょうか。
鳴神響一(以下、鳴神):2025年1月、警察庁は「トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)」による闇バイトを対象に、仮装身分捜査運用ガイドラインを策定しました。闇バイトの指示役は、応募してくる人に対して運転免許証やマイナンバーカードなどを提出するよう求めてきます。その際、潜入捜査を行う捜査員が本物の身分証明書を提出したら、警察官だとバレてしまいますよね。そこで、詐欺や強盗など一部の捜査に対し、偽の身分を示した免許証やマイナンバーカードを提出してもいいと認めることにしたんです。
これは、とても画期的なことでした。本来、偽物の身分証明書を作成すると、公文書偽造などの罪にあたります。ですが、「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」という刑法第35条の条文にのっとり、違法性はないとはっきり定めたんですね。これにより、ガイドライン策定から約1年で、トクリュウ関係の捜査がかなり進んだと聞いています。
ただ、身分証明書の偽造が認められても、私が書いたような潜入捜査は現実にはまだ行われていません。とはいえ、ガイドラインの策定前よりは、潜入捜査の具体性や現実味が増すのではないかと思いました。仮装身分捜査、潜入捜査は、小説の題材として面白いですよね。警察小説でありながら、スパイ小説のような側面も生まれます。そこでガイドラインが策定された今がチャンスと、「汐莉」シリーズを立ち上げました。
――2025年1月にガイドラインが策定され、8月には1巻が刊行されています。そのスピード感に驚きましたし、「偽基地局によるスマホ乗っ取り事件」を扱っているのもタイムリーでした。
鳴神:現代ものを書くうえでは、時代に即した題材を扱ったほうが面白いですよね。また、読者さまに新しく危険な犯罪についてお知らせしたいという気持ちも大きいです。さらに、警察小説には大家がたくさんいらっしゃるので、そういう方々の作品と差別化するためにも現代的なテーマを追いかけていかねばなりません。そのため、日々ネットなどでニュースをチェックし、「これは使えそうだな」という話題に目をつけ、できるだけ早く扱うようにしています。
特に「脳科学捜査官 真田夏希」シリーズと「仮装身分捜査官 一条汐莉」シリーズは、現代的なテーマを中心に書いています。ですから、2017年に刊行された「夏希」シリーズ1巻は、今読むと古く感じられる点もあるかもしれません。それでも、そこに描かれる人間ドラマは、時を経ても面白いと思っていただけるよう努力しながら書いたつもりです。
優秀でありながら、人の弱さもわかる。新ヒロイン・一条汐莉の魅力
――一条汐莉という新ヒロインも、とても魅力的です。鳴神さんからご覧になって、汐莉はどのような人物ですか?
鳴神:仮装身分捜査官は、企業や団体への潜入捜査を行います。優秀でなければ単独捜査は勤まらないので、能力が高くバランスの取れた人物になりました。
例えば夏希の場合、元精神科医がたまたま捜査官になってしまったという設定ですから、優秀ではあるけれど頭でっかちです。そのアンバランスのおかげで夏希は趣味豊かで楽しい人間でもあります。一方、汐莉は拳銃の腕は優れているし、合気道も二段。体技に秀でていなければ、単独捜査はできませんからね。そのうえ、刑事として強い正義感、使命感も持っている。まさしく一流の警察官です。
――完璧でありながらも、どこか親しみを感じさせる人物像になっていますね。
鳴神:その点も意識しました。1巻では、汐莉が捜査1課から薬物銃器対策課に異動した経緯を明かしましたよね。恋人からDVの被害を受けていた女性が彼を殺し、汐莉の目の前で自殺をしてしまう。この事件で汐莉は精神のバランスを崩し、心療内科に通うようになります。汐莉はスーパーウーマンではなく、どこか不安定な要素を持った人物にしたかったんです。
それは、仮装身分捜査官としての重要な素質でもあります。仮装身分捜査官は、企業などに単独で潜入し、初めて出会った人たちと親しくなり、信頼を得なければなりません。自分にも弱いところがあるからこそ、人の弱いところもわかる。そういう人物にしたいと思いました。
――仮装身分捜査官は、名前も身分もすべて嘘で塗り固めなければなりません。前作の汐莉はそこに葛藤を抱いていましたが、事件を乗り越えて彼女自身も成長したように見受けられました。
鳴神:汐莉は真面目ですから、嘘で塗り固めるのは苦手なんですよね。ですが、潜入先の犯罪者たちは凶悪であり、手をこまねいていると次の被害者が出かねません。実際、汐莉自身も生命の危険にさらされましたし、こうした経験を踏まえて「犯罪者たちを早く確保しなければ」という意識が強くなり、葛藤が消えていったのだと思います。
潜入捜査を通して、知られざる警備員の実態に迫る
――このたび、シリーズ2作目となる『仮装身分捜査官 一条汐莉 アンダーカバー・クライシス』が刊行されました。今回は、現金輸送車および美術品運搬車の強盗殺人事件を捜査するため、汐莉が警備会社に潜入します。なぜこの舞台を選んだのでしょうか。
鳴神:主にふたつの理由があります。ひとつは、警備員が身近な存在だということ。ビルやスーパーマーケットなどの施設警備、ATMからお金を運ぶ現金輸送車の警備など、私たちは日常的に警備員の姿を目にしますよね。ですが、その勤務実態は意外と知られていません。小説を通して警備員の仕事について書けば、皆さんに楽しんでいただけるのではないかと思いました。
もうひとつは、私が大学時代、大手スーパー2店舗で警備員のアルバイトをしていた経験があるからです。もうずいぶん前の話ですが、警備の基本的な仕組みはあまり変わっていないため、リアルに書くことができました。
――本作を読んで「なるほど」と思いましたが、要人警護も警備会社の仕事なんですね。
鳴神:こういう時代ですから、思ったよりも依頼が多いそうです。守ってほしいけれど、SP(セキュリティポリス)は首相や閣僚など、ごく一部の人にしかつきません。他の国会議員や経済人は、自分で警備会社に要人警護を依頼するそうです。
――警備業界について調べる中で、新たに発見したことや驚いたことはありますか?
鳴神:私が以前働いていた店舗では、従業員がレジの売上金を集め、出納室に運んでいました。その際には警備員が必ず付き添って警護していたのです。ですが、今はこうした集金業務はなくなりつつあるそうです。外部の警備会社と契約し、バックヤードに置かれた集金機に各テナントが入金するという方法が主流になっているのだとか。かつては出納室が重要な役割を果たしていたため、その変化に驚きました。
また、ATMへの現金輸送業務は、通常ふたり組で行いますよね。あれは、お互いに監視をし合うという意味もあるようです。過去には、ひとりでATMの点検などを行っていた警備員が、約1億円くすねた事件があったそう。現金を前にすると、つい出来心が働いてしまうのが人間なんだなとあらためて実感しました。また、ATMを無理やりこじ開けようとすると、特殊なインクが紙幣に噴射されるなど、さまざまな防犯対策が取られていることも新たに知りました。
――警備会社の職場体験をしているような気持ちで、お仕事小説としても楽しめる作品になっています。
鳴神:そう読んでいただけたら、僕としてもうれしいですね。汐莉も警察官としてはベテランですが、潜入先の企業ではひよっこ。各部署の仕事を覚えていかなければならない立場なので、読者の皆さんにも彼女と一緒に仕事を体験していただくように楽しんでいただければ。
――その一方で、強盗殺人事件の真相に迫っていく様子もスリリングに描かれています。事件を解明するミステリーとしての面白さは、どのように演出されたのでしょうか?
鳴神:今回は犯人を突き止めるのが難しかったため、あえて汐莉に隙を作らせました。尾行していることをわざと相手に気づかせて挑発し、尻尾をつかもうという算段です。しかし、こうした技法を使ったことで汐莉がピンチに陥ってしまう。こうした過程も楽しんでいただけたらと思います。
「脳科学捜査官 真田夏希」シリーズとのクロスオーバーも!
――汐莉の上官にあたる警視正の織田に加え、今回は織田の盟友・上杉、江の島署の加藤といった「脳科学捜査官 真田夏希」シリーズの人気キャラクターも登場しています。ふたつのシリーズのクロスオーバーも、面白さを生んでいますね。
鳴神:1巻で織田を登場させたところ、「夏希」シリーズの読者から喜びの声をいただきました。今回も上杉を登場させたところ、こちらも好評をいただいています。今後も、こうしたクロスオーバーは続けていきたいですね。もちろん「夏希」シリーズをご存じない方でも楽しめるようになっています。
――今後、夏希が登場する可能性もあるのでしょうか。
鳴神:そこは悩みどころですね。「夏希」シリーズ25巻『脳科学捜査官 真田夏希 ギルティ・インディゴ』に汐莉を登場させましたが、「汐莉」シリーズに夏希を出すかどうかはまだわかりません。登場するとしても、少し先になると思います。
――ふたつのシリーズを執筆するにあたり、鳴神さんはそれぞれどのような楽しさを感じていますか?
鳴神:「夏希」シリーズでは、夏希のアンバランスさと豊かさを楽しみながら書いています。バランスを欠いていますが、その半面、彼女は非常な優秀さを発揮していろいろな事件を解決する。そこが、このシリーズの醍醐味です。
一方、汐莉はバランスの取れた人物です。そんな彼女がひとりで戦う姿、苦しみながらも頑張って事件を追うさまは、書いていて楽しいですね。また、単独捜査だからこそ、周囲のサポートも重要です。がっちりとチームを組むわけではありませんが、織田たちが後方から支援する模様を楽しく書いています。
――今後、「汐莉」シリーズをどのように展開していく予定ですか?
鳴神:読者の方が喜ぶような潜入先を、一生懸命考えていきたいですね。皆さんが関心を抱くような、犯罪者集団と関連のある組織でなければ潜入先として成り立ちません。一番の悩みどころですが、頑張って考えていこうと思います。また、1巻のようなタイムリーな犯罪も取り入れていきたいですね。
――これから「汐莉」シリーズを読む方に向けて、メッセージをお願いします。
鳴神:日本初の仮装身分捜査官小説です。公安ではなく、刑事部が潜入捜査を行う小説は唯一だと思いますので、ぜひお楽しみください。
「夏希」シリーズはすでに26巻刊行しているため、入りにくいと感じる方もいるかもしれません。「汐莉」シリーズは、その新しい入り口として立ち上げたという側面もあります。ぜひ「夏希」シリーズをお読みでない方にも楽しんでいただけたらうれしいです。
作品紹介
書 名:仮装身分捜査官 一条汐莉 アンダーカバー・クライシス
著 者:鳴神響一
発売日:2026年02月25日
55万部突破の「脳科学捜査官真田夏希」シリーズの著者が描く、新シリーズ
鎌倉市内で《かがやき銀行》の現金輸送車が襲われ、3億5千万円が強奪されたうえ、警備員2人が射殺される事件が発生した。前月に起きた美術品運搬車が襲撃された事件に続いての強盗殺人だった。事件の類似性から、警備関係者が疑わしいと睨んだ神奈川県警は、仮装身分捜査官の一条汐莉に、《相和警備保障》への潜入捜査を命じる。だが、それは、想像を超える危険な任務だった――。絶体絶命の危機にあの男が現れる!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322510000962/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら
▼ 鳴神響一 特設サイトはこちら
https://kadobun.jp/special/narukami-kyoichi/

WACOCA: People, Life, Style.