ヨーロッパ随一の強国は、ひとりの男によって作り上げられた。その名は神聖ローマ帝国初代皇帝・オットー1世。欧州を席巻した苛烈な王の生涯は、戦いの軌跡だった。身内からの反乱にイタリア遠征、そして強敵ハンガリーとの戦争。彼はいかにして数多の勢力を下し、その地位を固めていったのか。

オットー1世の生涯を辿れば、中世ヨーロッパが見えてくる。ドイツの源流・神聖ローマ帝国の歴史を綴った『ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』から一部抜粋・再編集してお届けする。

『ドイツ誕生 神聖ローマ帝国初代皇帝オットー1世』連載第70回

『オットー大帝の「イタリア遠征」が東フランク王国に「ドイツ人意識」をもたらす…「民衆の統一」が生み出した皮肉な「まとまり」と「分裂」』より続く。

これ以上ない恥辱の刑

966年11月、教皇ヨハネス13世は逃亡先からローマに帰還し壮麗な入城式を行った。それはオットーの襲来を聞いたローマ人が手のひらを返したようにヨハネス13世を盛大にローマにお出迎えしたからである。

しかし遅れて12月のクリスマス直前にローマに入城したオットーはこんなことでは騙されない。彼はローマに到着するや否や、教皇を追放した12人の首謀者を捕らえ、絞首台に送った。他のものはアルプスの北に流罪となった。ただしローマ市総督ペトゥルスだけは取り逃がした。

ところがほどなくその総督も捕まる。総督ペトゥルスは教皇の命により髭を剃られ、哲人皇帝マルクス・アウレリウスの騎馬像に髪の毛で吊るされた後、裸にされロバにさかさまに乗せられた。

そのため彼はロバが町を練り歩いているとき、落ちないように必死になってロバの尻尾をつかまなければならなかった。その間、鞭で散々に打たれた。そして長い拘留の後に流刑に遭った。

つまりローマ市総督はこれ以上ないという恥辱の刑を受けたのである。

イメージギャラリーで見るビザンツ帝国との対峙

他にも亡くなった2人の反乱者の墓が暴かれ、遺体は四方八方にばらまかれたりしている。

こうした峻烈な処置を断行した後、オットーは967年2月、南イタリアに向かう。ヨハネス13世の逃亡中、彼をかくまっていたカプア・べネヴェント両公国のパンドゥルフ鉄頭公と良好な関係を築くためである。

Photo by gettyimagesイメージギャラリーで見る

オットーは鉄頭公とその弟ランドゥルフの臣従を受ける。オットーはその返礼とばかりに鉄頭公パンドゥルフにスポレートとカメリノを与える。これら一連の処置はオットーの南イタリア進出の第一歩であった。

ところが、南イタリアは形式的にはビザンツ帝国の宗主権の及ぶところである。そしてこの頃はシチリアを根城に地中海の制海権を握ったイスラームの攻撃にさらされており、安定には程遠かった。

つまりオットーは南イタリア遠征によりビザンツ帝国と直接対峙することになり、結果的には多くの厄介を背負うことになるのである。

こちらの記事もおすすめ<『ハプスブルク家の華麗なる受難』が描く「ヨーロッパの中心で輝き続けた一族」の物語』>へ続く。

現在のドイツの源流になった神聖ローマ帝国。その初代皇帝・オットー1世の人生は戦いにまみれたものだった。身内からの反乱にイタリア遠征、そして強敵ハンガリーとの戦争。オットー1世の生涯を辿ることで、中世ヨーロッパが見えてくる。

さらに現在マガジンポケットで連載中の漫画『ハプスブルク家の華麗なる受難』(原作:あずま零、漫画:稲谷、監修:菊池良生)では、13世紀以降の神聖ローマ帝国の歴史をハプスブルク家を主人公に描いています。軽快なコメディで、大人なら知っておきたい歴史の教養を学べル本作もぜひあわせてご覧ください。

『ハプスブルク家の華麗なる受難』第1話より@あずま零・稲谷/講談社

『ハプスブルク家の華麗なる受難』 
第1巻発売中!

イメージギャラリーで見る

WACOCA: People, Life, Style.