ミニ・ミュンヘン―それは夏休みに3週間だけ現れる子供だけの「あそびのまち」だ。1979年に初めて行われて以来、コロナ禍での困難も乗り越え、ドイツのミュンヘン市で2年に一度、開かれてきた。このイベントに、小学4年生の息子を送り込んでみた。
緊張の1日目
2024年8月、ひときわ暑い日だった。オンラインで事前登録をして会場に行くと、朝10時の開場に合わせて、子供たちが長蛇の列を作っていた。この日の入場者は2000人以上という。きょうだいや友達と一緒に来る子が多く、保護者らしい大人の姿はほとんどなかった。
初めての参加なので、息子は日本のミニ・ミュンヘン研究会が発行したDVDを見て事前にイメージを持っていた。その流れに従い、入場するとまず受付に行き、パスポートを作って、このまちだけで使える通貨「ミミュ」を受け取った。
会場内で使える4ミミュ券=撮影:林寛平
受付ブースにいたのは中学生くらいのお兄さんで、ドイツ語と英語で丁寧に説明してくれた。息子が日本人だと分かると、Duolingo(外国語学習プラットフォーム)で覚えたという日本語を披露してくれて、「こんにちは」「ようこそ」と笑顔で迎えてくれた。緊張しきりだった息子は、パスポートとミミュを手にして、がぜんテンションが上がってきた。
子供同士で解決
次に、職業案内所で仕事をもらうのだが、ドイツ語が分からない息子は、ドイツ語しか話さない女性からあれこれ言われてもさっぱり分からず、さっきのやる気が一気にしぼんだ。沈んだ顔で「もうやだ、帰りたい」と言うので、私が通訳に入ろうとすると、職業案内所の女性はとても嫌な顔をして、「大人は下がってください」と冷ややかに仲介を拒否した。
息子が路頭に迷っている姿を離れて見ていると、トランシーバーで呼び出された若者が書類を持ってやって来た。この若者は誰かを探しているらしく、会場のあちこちの担当者とやりとりをしていた。しばらくして、「日本語を話せる地元の参加者を見つけたから、その子に案内してもらいなさい」と言って、息子に同じ年頃の男の子を紹介してくれた。
この日は、この男の子が仕事として息子の案内を引き受けてくれた。後で若者に聞くと、名簿には20カ国語以上の子供たちの登録があり、言語の問題のほとんどは子供同士で解決できるという。
息子はさっそく新しい友達ができて、あっという間に会場の奥に消えて行った。
保護者は立入禁止
入場の列に並んでいると、特にアジア系の母親は何かと自分の子供に世話を焼こうとしていた。暑いから水筒の水を飲みなさい、日陰に入りなさい、何かあったら電話しなさい、と。そのたびに、入場整理のスタッフが「子供から離れてください」と注意していた。
会場内は、保護者は立入禁止で、運営も子供たちが担っている。50年近く続くイベントだけあって、このまちで育った若者がリーダーとなり、運営の子供たちを上手にサポートしていた。イベントには100人以上の大人が関わっているという。
ミニ・ミュンヘンの会場=撮影:林寛平
保護者は、特別な理由がある時には、子供に家族ビザを申請してもらい、1日1回限り、30分間だけ会場に入ることができる。興味津々な私は、毎日1回ずつ、息子に家族ビザを申請してもらった。
会場に入ると、あちこちから不法滞在者を見るような視線が向けられる。会場内では常に、一時滞在許可のカードを胸にぶら下げていないといけない。さらには、子供たちがパトロールしていて、出会うたびに30分間の有効期限をチェックされた。
会場の外にはカフェがあった。一部の保護者はそこに一日中とどまって、本を読んだり、オンライン会議をしたり、他の保護者とおしゃべりをしたりして子供の帰りを待っていた。ペットを連れている人、赤ちゃんをあやしながら兄姉の帰りを待つ人、タバコを吸いながら手持ち無沙汰に耐えている人、ひたすらポケモンGOをやり続ける人など、さまざまだった。
会場から疎外された人たちで何となく連帯感もあり、あちこちで親同士が仲良くなっていた。普段、大人の都合で待たされることが多い子供の立場が少し身に染みた。
「お店屋さんごっこ」だけではない魅力
子供たちは仕事をもらってミミュを稼いだり、そのミミュでランチを食べたり、ゲームをしたりできる。
商業施設や「お店屋さんごっこ」と違うのは、子供が「市民」としてまちづくりに参加するところだ。お客さまではないのだ。市民になるための研修があったり、選挙をしたり、会社をつくったりもできる。材木を使って人力車を作り、タクシー会社を始める子もいる。段ボールで工作をして輪投げや射的を作り、ゲームセンターを開く人もいる。用意された仕事だけでなく、新しい商売を生み出せるのが面白い。
ドイツ語が話せない息子は、最初は気後れしていたが、地元の男の子がひとしきり通訳をしてくれて、まずは「ゲームセンターのゲームをテストする仕事」(時給はどの仕事も5ミミュ)をゲットした。その後、息子は男の子を頼って活動範囲をじわじわ広げ、3日後には友達が4人に増えていた。そのうちの一人、中国系の子は200ミミュの札束をクリップで留めてあおいでいた。なんでも、初日から欠かさず通い、ずっと使わずに貯め続けているということだった。
お迎えの時に、今日は何をしたのかと息子に聞くと、なぜか秘密主義で教えてくれない。それでも少しずつ聞き出すと、木登りをしただとか、走り回っただとか、ミミュを払ってボルダリングに挑戦したり、お菓子を買ったりしたとか、充実した生活をしている様子が分かった。
カジノ推進・反対デモ
カジノの宣伝=撮影:林寛平
私たちが訪れた日には、掲示板に「CASINO」と書かれた黒いチラシが張られていた。「こどものまち」にギャンブルか、と驚いたが、面白かったのはその後の展開だ。
翌日、様子を見に行こうと探したが、カジノが見当たらない。パトロールの子供に聞いてみると、「あれは不法だったから閉鎖したみたいだよ」と教えてくれた。カジノを宣伝するチラシの上にカジノ反対のチラシが重ねて張られ、その横を子供たちの一群がシュプレヒコールを上げて通って行った。
反対派が配っていたビラには、「カジノはいらない!私たちはカジノを求めていない。なぜなら人々(市長も含めて)が自分たちの利益のためにもうけようとしているだけだからだ」と書かれていた。それに対して、カジノ賛成派も大声を張り上げて練り歩いていた。
私たちは1週間しかいなかったので、ことの成り行きは定かではないが、その後カジノ事案がどうなったのか気になるところだった。ミニ・ミュンヘンでは、子供たちが作る新聞が毎日発行される。その概要をまとめた冊子には、残念ながらカジノのことは書かれていなかった。
ただ、冊子の冒頭には「賄賂や詐欺、さらにもっとスキャンダラスな出来事まで、24年の夏休みの3週間でミニ・ミュンヘンでは本当にさまざまな出来事が起こりました」と記されている。記録されない出来事も含めて、その場に参加した子供たちだけが知る世界が広がっているのだろう。
後日談
ミュンヘンでの一週間を楽しんでスウェーデンに帰った息子は、夏休み明けの学校で、同級生と宿題反対運動を始めた。廊下でシュプレヒコールを上げ、担任に一切の宿題廃止を訴えていた。そこを通りかかった校長が、面白がって「主張を整理して、メールをよこしなさい」と取り合ってくれた。
息子は「僕は、宿題はなくてもいいと思います。学校で勉強できるのだから、家でやる必要はないと思うからです。学校のほとんどの人が宿題を嫌っていると思います!」と書いて校長にメールを送った。
それに対して校長は、「宿題についてのあなたの考えを共有してくれて、ありがとう。あなたやクラスメートが宿題をいつも好きでないことは理解しています」としながらも、時間をかけて繰り返し練習することが学習の定着に役立つこと、計画を立てて課題を実行する練習になり、自分の学びに責任を持つ力を育てる上でも大切だと考えている、と回答した。
息子はまだ納得できず、反論のメールを送ったが、校長の返信はなかった。木登りをして走り回っていただけだと思ったが、遊びの中で市民参加についてもたっぷり学んできたようだ。
ミニ・ミュンヘンに倣ったイベントは、日本を含む世界中で行われている。2年に一度の開催となるミニ・ミュンヘンは、今夏も開かれる。近くを訪れる際には、子供を参加させてはどうだろうか。

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