

ヒロさん(左)と田丸さん(右)
歳で料理の世界に入り、東京のフランス料理店で修業を重ねた田丸雅行さん。1990年、ワーキングホリデーでカナダへ渡り、ジェイミー・ケネディやディディエ・ルロワといった著名シェフのもとで経験を積みながら、トロントの厨房で腕を磨いてきた。独立前には「鮨加地」にてコース料理を担当し、日本とフレンチの感覚を往復する独自の立ち位置を確立する。料理人として若き日の東京時代、異国での試行錯誤、人との縁──それらすべてが、クラシックなフレンチに日本人ならではの繊細さを重ねる現在の料理へとつながっている。
鹿児島の台所から始まった料理人の原点


ヒロ: 田丸さんは、どうして料理人になられたのですか?


田丸:料理人を志した背景には、父の存在がありました。父は洋食の料理人、母はサーバーとして働き、両親は福岡で修業を積んだ後、私が幼稚園に上がる頃に鹿児島へ戻りました。
小学校3年生の頃には、焼き飯を作って友達に振る舞うようになっていました。両親が共働きだったため、自然と台所に立つ機会が増え、母が手早く料理をする姿を見て育った影響も大きかったです。物心ついた頃から、将来は料理の道に進むだろうという意識は、すでにありましたね。
東京で学んだ厳しさと覚悟
田丸: 高校卒業後に東京に出て、フレンチレストランに就職しました。当時はちょうどバブル期で、業界全体が華やかでした。今振り返ると、あの時代のピークを東京で経験できたのは大きかったです。
当時の自分は本当に未熟でした。甘やかされて育ち、社会の厳しさを分かっていなかった。最初の1年はホール担当で、東京の現場の厳しさに何度も打ちのめされ、鹿児島に帰りたいと思ったこともあります。それでも3年間しがみつき、その間に多くの仲間が辞めました。最初の約2年は人間形成の時間。23歳頃、周囲の成長を見て、ようやく本気で「頑張らなければ」と思いました。
ヒロ: 美容業界も似てますね。今も大きくは変わらないと思いますが、仕事の前後や休日などに練習や勉強をする。自由な時間にどれだけ努力するかは重要ですよね。
田丸: 最近、「勉強させてください」と自ら来る人は減りました。そういう子が3人いれば、きっとより良い店になると思います。キッチンではよく「ソルジャー」の話をします。周りが見える人が次のステップに進める。「ありがとう」と言えたり、「ここに置いておきました」と自然に動ける人。そういう姿勢は、言葉にしなくても、ちゃんと評価したいですね。
ヒロ: 自ら動く姿勢は大切ですね。僕もカナダ到着2日後に語学学校が始まり、2週間後には現地の白人サロンで学びたくて「無給でお手伝いしたい」と通い始めました。


ヒロ: 自ら動く姿勢は大切ですね。僕もカナダ到着2日後に語学学校が始まり、2週間後には現地の白人サロンで学びたくて「無給でお手伝いしたい」と通い始めました。


田丸: そのハングリー精神が大事ですね。それから私は「お前も3年頑張ったから、次に行け」と言われて、表参道にあった葉山の老舗「日影茶屋」の系列「ブラッセリー・チャー」で働きました。銀座の喜八さんなども関わった系列で、その最初のシェフが熊谷喜八さんでした。
印象に残っているのは、二つの出来事です。一つは、先輩が二人いて、「やらせないと伸びない」と言う人と、「まだ無理だ」と言う人、その間で板挟みになったこと。どちらも正しく、苦しかったですね。
もう一つは、途中で代わったシェフの存在です。系列でも有名な「怖いシェフ」で、名前を聞くだけで身構えるような人でした。新婚旅行で不在の間に、さらに大御所が来て、正直きつかった。でも必死にやりました。
後日、そのシェフが戻ってきて「よくやってたな」と言ってくれた。その一言が、初めてのご褒美でした。今でもはっきり覚えています。
24歳のときカナダへ
ヒロ: フレンチを選ばれた理由は?
田丸: フレンチを選んだ理由は、正直に言えば「かっこよかったから」です。若い頃は日本食の良さも分からない。洋食、特にフレンチに強い憧れがありました。父の影響も大きかったです。
当時は修業でフランスへ行くのが当たり前でしたが、まだ僕には自信も度胸もありませんでした。今振り返ると、もう一年東京で修業していれば、身についた技術はもっと違っていたかもしれません。
ヒロ: なるほど。僕にもありますが、誰にでも「あの時…」と思うことはありますよね。そこから、どのような経緯でカナダへ渡ることになったのですか?

田丸: 一軒目のレストランでお世話になった吉野さんのご縁で、カナダのレストランを紹介していただきました。
当時師事していた桜井シェフに、店を辞めてカナダへ行くことを伝えるのは、正直とても勇気がいりました。そんな折、桜井シェフご夫婦が新婚旅行でナイアガラを訪れたという話を伺い、そのタイミングで思い切って打ち明けました。
桜井シェフは「頑張ってこいよ」と快く背中を押してくださった。その一言は、今も私の誇りです。
そして24歳の時にカナダに渡りました。ワーキングホリデーで渡航後はホテル内レストランに勤務し、最初の約2年はそこで経験を積みました。当時は日本人料理人同士のネットワークも強く、その中で多くの刺激を受けました。
ビザの更新や国境でのトラブルなど、手続き面では苦労もありましたが、料理コンクールへの参加や勤務・研修の記録をすべて書類として残していたことが功を奏し、最終的にはワークビザを経て永住権を取得し、カナダでの料理人人生が本格的に始まりました。
(聞き手・文章構成TORJA編集部)
田丸雅行(Masayuki Tamaru)さん
17歳で料理の道に入り、東京のフランス料理店「シャン・ド・マルス」にて修業を開始した。1990年にカナダへ渡り、ジェイミー・ケネディやディディエ・ルロワといった著名シェフのもとで経験を積み、トロントを代表するフレンチシェフの一人として確固たる評価を築く。2000年代初頭からトロントの主要メディアで取り上げられるようになり、2006年には「JOV Bistro」にて当時トロント屈指と評されたテイスティングメニューを手がけ、著名な料理評論家ジョアン・ケイツにより「シェフ・オブ・ノース・トロント」に選出された。
Maison T 1071 Shaw St, Toronto
https://maisontbistro.com/
Hiroさん
名古屋出身。日本国内のサロン数店舗を経て渡加。NYの有名サロンやVidal Sassoonの就職チャンスを断り、世界中に展開するサロンTONI&GUY(トロント店)へ就職。ワーホリ時代から著名人の担当や撮影等も経験し、一躍トップスタイリストへ。その後、日本帰国や中米滞在を経て、再びトロントのTONI&GUYへ復帰し、北米TOP10も受賞。2011年にsalon bespokeをオープン。今もサロン勤務を中心に、著名人のヘア担当やセミナー講師としても活躍中。世界的ファッション誌“ELLE(カナダ版)”にも取材された。salon bespoke
130 Cumberland St 2F
647-346-8468 / salonbespoke.ca
Instagram: HAYASHI.HIRO
PV: “Hiro salon bespoke”と動画検索
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