みやぎ東日本大震災津波伝承館の主任解説員・草島真人さんみやぎ東日本大震災津波伝承館の主任解説員・草島真人さん

 最大震度7を記録した東日本大震災では、その後に発生した津波により、広範囲で甚大な被害が生じた。市町村として最大の被害が出た宮城県石巻市にある「みやぎ東日本大震災津波伝承館」の主任解説員・草島真人さんに、震災当時と15年後の現在の様子や復興に懸ける思いを聞いた。(福島支局・長野康彦)

 ――震災から15年という節目をどう迎えるか。

 行政にとって15年目というのは大きな節目。石巻市では4月1日から復興と名の付く課は全てなくなる。

 復興事業自体を全部やめるわけではないが、復興企画課は、復興が消えて企画課になる。復興関連予算は前年度の半額になる。そういう中で被災者にとって3月11日は特別な意味があるが、15年目で何かが変わるわけでもない。

 我々が伝えることは、過去に悲しいことがあったというだけではなく、未来の命をどう守ったらいいのかということ。ネガティブな話よりはポジティブな話にしていかないといけない。

 あなたもこんなひどい目に遭うかもしれないから備えてくださいという呼び掛けよりは、こういうことをきちんとやっていれば、東日本大震災のような災害に自分が身を置いても希望が見えるというか、未来の道がちゃんと守られ、未来の生活が守られますよ、みたいな。そういうアプローチにだんだんと変わっていく。

 さらに言うと、伝承館では時代のニーズに合わせてコンパクトにお話しするようにしている。簡潔で短い話を望む人がだんだん増えているからだ。短時間でも来館対応できるように、特に今年度は力を入れてやっている。

 ――震災の教訓をどう伝えるよう心掛けているか。

 我々の課題は、震災の記憶と教訓を未来に伝える際、具体的にどんな記憶と教訓を伝えたらいいのかということ。その精査はどこの施設もほとんどやっていない。こういう施設は大体がオープンして10年くらいすると、無料できちんと案内してくれる人がほとんどいなくなる。コンパクトになるが、こういう場をなくさないようにしていくのは我々の務めだ。

 当館は開館して丸5年経(た)つ。来館者は年々減少傾向にあったが、今年はさまざまな取り組みをする中で過去最高の入館者数を確保できそうだ。

 こういう施設で、臭いものに蓋(ふた)をしていてはいけない。触れられたくない部分にこそ、真の教訓が眠っているかもしれないからだ。いつかタイミングを見て、そういうことも世に問わなければいけない。誰が悪いとか、そういう議論ではなく、起こった事実を踏まえて感情的にならずに、どうすれば命を守れるのかを検証していく。

 例えば74人の児童が犠牲になった旧大川小学校の問題は非常に難しい。「先生が悪かった」で済む問題ではない。あそこに住んでいた人が、揺れたら山の上に逃げるという風習が身に付いていれば間違いなく起こらなかった悲劇だ。それがなぜできなかったのか。なぜそういう議論さえしないのか。

 その伝え方が難しく、今、他の解説員にも考えてもらっている最中だ。揺れたら上に上がる。津波が来る来ないは関係ない。毎回逃げていれば絶対死なないのだから、毎回上に上がりましょうという強い意識でやらないといけない。来る来ないの判断をすると命を落としかねない。

 悲しい話をする人は大災害で一定数は必要だが、伝える人が皆、悲しい話をしていてはなかなか広く受け入れられないので、緩やかにポジティブに変化していく。あえて15年目だからと変えるのではなく、少しポジティブに未来に向かって未来の命を守るためにと発信できるようになればいいなと思っている。

 ――天皇、皇后両陛下と愛子殿下が3月26日、伝承館を訪問される。

 その日は臨時休館で、我々スタッフは休みになる。震災当時は天皇陛下が避難所を訪問されて一人一人にお声掛けいただいたが、今回は被災者3人だけに来てもらうそうだ。陛下や宮内庁がそれを望んでいるなら仕方ないが、宮城県がそれでいいと思っているところに風化があると思う。

安心と安全は分けて考えよ

 ――被災時の様子は。

 この地域は、ハザードマップでは最大30センチの津波となっていて、浸水域ではなかった。ところが想定の25倍以上の津波が来た。想定の25倍というのはありえないレベルだ。石巻の危機対策課では津波の高さが7・6メートルから7・8メートルはあったという。ここのエリア内で一番高い津波の痕跡高は地面から測って7・5メートルだった。

 3月11日午後2時46分、皆で手を合わせることに、私は違和感を持っている。その時間はほとんどの人はまだ生きていた。その後、皆が正しい行動を取れば生きていた。

 理由のない「何で?」がいっぱいあるし、その時できなくてもこうすれば助かってたよねというのを思いつくたびに痛む心というのは、きっと皆あるのだろう。

 自分だけがなぜそんなひどい目に遭うのか。理由なく遭う。だから今、「安心安全」とよく言うが、人は安心したいので、本当に安全な場所にいたいのではなくて安心できる場所にいたい。それを安心安全とワンセットで使うのは意外と危ないことなのかなと思っている。

 人は、不安な安全よりは安心できる危険を選ぶもの。揺れたら高いところに逃げるのは知っているが、本当に逃げられるだろうか。家族が家で助けを求めていることを想像した時に、避難所にすぐ行かず、家に帰るに決まってる。それをなくすためには、よく家族で話し合わないといけない。

WACOCA: People, Life, Style.