6歳当時の山根捺星さん(遺族提供)

この記事を書いた人

アバター画像
琉球新報朝刊

 2011年の東日本大震災による津波で行方不明になり、23年に見つかった骨片から身元が判明した岩手県山田町の山根捺星(なつせ)さん=当時(6)=の遺骨が16日、発見場所の宮城県南三陸町で家族に引き渡された。約14年7カ月ぶりの再会に、小さな納骨袋をぎゅっと抱きしめた母の千弓さん(49)。「おかえり。帰ってきてくれてありがとうという気持ちでした」「止まっていた時計が動き出した」と語った。
 家族が受け取ったのは、山田町から約100キロ離れた南三陸町志津川で建設会社の従業員が見つけた下顎の骨。警察へ届けられ、DNA型の鑑定などで今月9日に捺星さんのものと発表された。
 16日午後1時半、県警南三陸署で、狩野浩署長が「長い間お待たせしました」と遺骨を手渡した。千弓さんは唇をかみしめ、遺影を持った父の朋紀さん(52)は目に涙をためて天井を見つめていた。兄の大弥さん(26)もじっと見守った。
 3人は記者団の取材に応じ、千弓さんは「やっと戻ってきたという喜び半分、こんな形でという寂しさ半分です」と話した。生前を振り返り「もっと子育てしたかった。たった6年間という短さを改めて感じる。にこにこして、ママって言ってるかなと想像しています」と声を震わせた。
 千弓さんによると、捺星さんは震災の日、自宅にいた。仕事に行かないでと駄々をこねる様子が、覚えている最後の姿だという。震災後は遺体安置所を捜し回ったが見つからず、半ばあきらめていた。9月30日に身元判明の連絡を受けた時は「奇跡が起きた」と声を上げて泣いたと明かす。
 朋紀さんは「家族でみんなで、もっといろんな所に行きたかった。早く一緒に隣で寝たいです」と話した。
 岩手、宮城、福島各県警と警察庁によると、3県で震災による行方不明者の身元が判明し家族に骨が引き渡されたのは、23年8月以来約2年2カ月ぶりとなる。
 宮城県警は今回、母親と同じ型が遺伝するミトコンドリアDNA型鑑定や、東北大の協力を得て、歯に残されたタンパク質から性別を鑑定する「プロテオーム解析」と呼ばれる方法などによって身元を特定した。

WACOCA: People, Life, Style.

Exit mobile version