アップルのワールドワイドマーケティング上級副社長であるグレッグ・ジョズウィアック氏。写真は先日の新製品発表中のものより
大手プラットフォーマーに「公正な競争」を求める動きは世界中で起きている。
最も厳しい動きを見せているのはEUだが、日本でも、今年12月には「スマホソフトウェア競争促進法」(以下スマホ新法)が施行されることになっている。
その中では、特にアップルに対して厳しい規制が適用される可能性が高い。その点について、アップルにどのような要求が課せられる可能性があり、どう考えるべきか、という記事は以前にも掲載している。
規制に関し、EUではまた新しい動きがあった。その中で、アップルが目玉とする機能の1つである「ライブ翻訳」が、EUでは提供されないことが決まっている。
それはどんな背景に基づくものなのだろうか? EUでのDMA(デジタル市場法)や日本のスマホ新法を、アップルはどう捉えているのだろうか?
アップルのワールドワイドマーケティング上級副社長であるグレッグ・ジョズウィアック氏に話を聞いた。
「相互接続性」でぶつかるアップルとEU
「政府は、消費者のために製品をより良くしていくのではなく、一握りの裕福な企業の利益になるよう、我々の製品を再設計しようとしているのではないか、と感じる」
ジョズウィアック氏はそう話す。
「ジョズ」の愛称で知られる彼は、イベントや取材を通し、アップルファンやメディアに対して気さくに対応することで知られている。
だがこの日は、意外なほど強い言葉で、EUの施策について非難した。
EUで施行されているDMAの元では、アップルのプラットフォームが持つ複数の機能について、「他社にもアクセスできるようにせよ」という命令が下されている。
目的は「相互接続性の拡大」だ。
アップルは自社のプラットフォームの中で、いくつかの理由から、自社製品と他社製品の間で、機能連携に差をつけている。また、他社が求める情報提供について、応じない姿勢を見せている。
公正競争という観点で「相互接続性」を捉えると、この話は「アップルがルールを守ろうとしない」ように見える。
だが、アップルから見ると、また別の観点が見えてくる。
ジョズウィアック氏(以下ジョズ):ヨーロッパはあまりにも行きすぎたフレームワークを導入してしまいました。ユーザーの体験を損なうような方法で導入されることで、私たちのイノベーションが損なわれ、私たちのIPが侵害され、お客様のプライバシーとセキュリティが損なわれることを心配しています。
我々がお話ししたいのは、我々の、そして他の政府が同じような間違いを犯すかもしれない、ということです。
ジョズはアップルが「相互接続性」を否定しようとしているわけではない、とも説明する。
ジョズ:相互接続性という観点は、今に始まったものではありません。
我々は標準化団体を通じて、長年この課題に対処してきました。標準化団体は、優秀なエンジニアを集め、様々な企業や利用者のために役立つ方法を検討しています。
しかしそのプロセスは大変なもので、すぐにできるものではありません。
私たちは常に、ハードウェアとソフトウェア、サービスがシームレスに連携するように設計されていることを誇りに思っています。
スティーブ・ジョブズが何年も前にステージでそう話していたことを覚えているでしょう。
私たちは、今もそれを誇りに思っています。とにかくうまくいくよう、弊社の製品の中で努力しているのです。
しかし、DMAや同様の法律の下では、私たちが持っている統合機能を、「初日から他社の製品でも同じように機能しなければならない」としています。
簡単そうに思えるかもしれませんが、それは間違いです。
連携機能を実現するためには、信じられないほどの複雑なエンジニアリング作業が必要です。時には不可能な場合もあります。また、ユーザーエクスペリエンスを大幅に犠牲にしないと実現できない場合もあります。
ヨーロッパの場合には、(DMAの定める条件の中で)ユーザーを保護する方法がわからないため、機能提供を延期したり、骨抜きにしたり、時にはまったく出荷しなかったりしました。
最終的には、EUに住む何百万人ものお客様が不満を持っています。
もちろん、私たちだって不満です。ヨーロッパのユーザーに機能を提供しないことは、私たちの利益にはなりません。
具体的にどんな機能が提供されていないのか?
例えば、MacとiPhoneを連携する「iPhoneミラーリング」。iPhoneの画面をMacにミラーリングし、MacからiPhoneの中でしか使えないアプリを使ったり、メッセージへと返答したりできる。
iPhoneをMacの中で動かす「iPhoneミラーリング」
さらに今年は、発表されたばかりの「ライブ翻訳」が使えない。多数の言語を使う人がともに暮らすヨーロッパでは、ライブ翻訳のような機能は非常に有用なはずだ。だが、現状ではDMAのルールの元では、機能の提供ができない状況だという。
AirPodsとiPhoneの連携で実現する「ライブ翻訳」も、EUでは提供されない「標準規格でできないこと」をどうとらえるのか
なぜこのようなことが起きるのか?
1つは「規格上その機能が存在しないから」だ。
iPhoneとAirPodsを簡単にペアリングする方法は、Bluetoothの規格を使った上で、アップルが自社製品同士のために独自に開発したものだ。現在は、AndroidやWindowsでも似たことが可能になっているが、実現には相応の時間を必要とした。
AirPodsとiPhoneの連携は、同社製品を選ぶ魅力のひとつ
DMAの元では、同じような「標準技術ではできないことを独自に実装した」場合、その方法を他社にも無償で公開しなくてはいけなくなる。
最初から標準化すればいい……と思うかもしれないが、標準化・規格化には長い時間がかかるものだ。「差別化したい」と思って技術開発をしても、それが他社製品でも確実に動くかは不透明だ。また、技術を他社に無償で公開することにもなってしまい、「それは不公平だ」とアップルは考えている。
ジョズ:AirPodsのペアリングについては、Bluetoothの標準では何年かけてもできなかったことを、ハードウェアとソフトウェアの双方に投資して実現し、魔法のような体験を作り出しました。
ですが、「いやいや、同じことがどれでもできないといけない」というなら、最小限の共通項に合わせて設計しないといけなくなります。さらに、そのための技術公開に関して保証はなされず、差別化にもなりません。
これはどうかしています。
「レベルの高いものがどこでも動く」と言えば素晴らしいことに聞こえますが、結局のところそれは、「遅らせて、薄める」必要があるということです。
ジョズはこれに加え、ルールの不公平さも指摘する。
ジョズ:奇妙なことに、このヨーロッパのルールは、私たちにしか適用されません。サムスンには適用されません。急成長している中国のベンダーにも適用されません。私たちにしか適用されない。非常に偏りのある「競争の場」です。
これは見え方の問題もある。
DMAは「支配力の強い企業に公平性を担保する」という建て付けのルールだ。だから、シェアの高いアップルに適用される。
だがアップルから見れば、同社はサムスンや中国メーカーなど、強力なライバルと市場を競い合う関係にある。その中で自社だけが技術を広く、無償で提供しなければいけないという状況に置かれるのは、面白いはずがない。
「公正競争のためのプライバシー低下」問題
もう一つ、アップルが「DMAの結果として機能を提供できない」という判断を下す理由がある。
それはプライバシーとセキュリティだ。
ジョズ:私たちがヨーロッパで要求される相互接続性に関する条件には、気が遠くなるようなものがあります。
例えば、ユーザーがこれまでに接続したすべてのWi-Fiネットワークの全履歴を共有するよう求められています。また、デバイスに届く通知の完全な内容を提供するよう求められています。通知に記載されている内容が何であれ、「他社に公開する必要があります」。
これらは、Apple自身が見ることができないほど機密性が高いと判断した情報です。だから、当社はその内容を見ていません。あなたのデバイスにのみ蓄積され、プライベートに保つためにシステムを設計しました。
しかし、DMAのルール下では、どのように使おうと他社に渡さざるを得ないでしょう。使用条件を提示することもできません。「非公開にしなければならない」とも言えません。
例えば、Wi-Fiのアクセス履歴について考えてみましょう。
アクセス履歴を解析できるだけで、病院に行ったことがあるかどうか、どの病院に行ったか、裁判所に行ったことがあるかどうか、不妊治療クリニックに行ったことがあるかどうか……。そんなプライベートな情報を把握できます。
Wi-Fiネットワークへの接続履歴は非常に大きな「指紋」になりえますが、それを自由に利用するのは、明らかにユーザー保護上問題です。
ヨーロッパにとって皮肉なことは、彼らが「常にプライバシーに最もコミットしている」と主張してきた国々だ、ということです。
世界には、プライバシーを軽視している政府がいくつかある、と想像できます。しかしヨーロッパのDMAは、もっと悪質な環境とするよう、私たちに求めています。
これらの事情から、アップルはEUに対し、いくつかの「OSアクセスに関する免除申請」をしていた。
しかし9月19日、DMAは以下の5件について、免除申請を却下している。
iOSの通知機能近接ペアリングファイル転送手段自動Wi-Fi接続自動オーディオ切り替えDMAが示した、アップルの免除申請に関する却下書類
却下書類は以下リンクからアクセスできる。
Digital Markets Act Regulation (EU) 2022/1925 of the European Parliament and of the Council
この件に関するアップルの公式声明は以下の通りだ。
欧州委員会の行為は、欧州のユーザーのプライバシーとセキュリティを損ない、ユーザーの皆様が愛用する高度に統合されたユーザー体験を脅かすものであり、さらにAppleに対して、自社の知的財産を競合他社に無償で提供することを強いるものです。欧州の規制当局は、ユーザーの皆様がこれまでに接続したWi-Fiネットワークの完全な履歴リストや、通知に含まれる機微な内容の暗号化を解除して第三者に提供することなど、重要な個人情報を引き渡すことを強制しています。私たちは、こうした義務付けがユーザーのプライバシーやセキュリティに深刻な悪影響を及ぼすことについて、強い懸念を繰り返し表明してきました。しかし欧州委員会は、少数の大手競合企業にAppleのイノベーションやユーザーの個人情報への無制限なアクセスを与えるべく、それらの顕在化する懸念をことごとく退けてきました
複数の機能がEUで提供されないのはこれらの関係であり、ジョズのコメントもそこに紐づいている。
DMAの課題から学んで「より前向きな判断」を
日本の消費者にとっての問題は、「EUのDMAで起きたことが、日本のスマホ新法でも起きるのか」ということだ。
冒頭、ジョズは「他の政府が同じような間違いを犯すかもしれない」と語っている。それは、「日本でも起きるかもしれない」という警告であり、日本の規制当局に対するある種の圧力でもある。
これは私見でもあるが、日本の状況は、DMAより合理的なルールの策定を考えており、DMAほどの強制力を持ったルールの適用には進んでいないように思う。しかし、少なくともアップルは楽観視していないようだ。だから、記者に対してこのような説明をし、状況が悪くならないように努めているのだろう。
これを「アップルが自社の価値を維持しようとしている」と捉える人もいるだろうし、そう考えることもできる。公正競争ルールの必要性は否定できるものではない。
他方で、「提供可能な新しい機能を、特定の国だけ使えなくなる」のが本当に良いことなのだろうか。競争上必要な部分よりセキュリティやプライバシーは大事だし、開発した技術を対価や用途の限定なく提供するのは無理がある。
そうしたとき、自ずと「譲れるところと譲れないところ」のバランスは出てくる。
少なくとも、プライバシーに関わる情報へのアクセスは、公正競争上の問題とは関係ないものだし、費用対価や用途制限を透明化することも必要だろう。
日本での運用ルールももうすぐ公開になると考えられるが、そこでは、良くない事例を引きずることなく、「日本のルールが世界の範になる」ような落とし所を望みたい。
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