(CNN) かつて米ルイジアナ州で奴隷として働かされた男性の体に刻まれた鞭(むち)の痕と傷が交錯する様子を捉えた「鞭打たれた背中」は、19世紀を代表する写真の一つだ。この画像は南北戦争中の米国で非常に広く流通し、奴隷制度廃止運動の方向性を変えた。奴隷制が持つ忌まわしい残虐性を、それについてほとんど無知だった北部の大衆に露呈することによって。

160年以上が過ぎた今も、この生々しい肖像写真(被写体はピーターやゴードンと呼ばれていたようだ)の影響力は続いている。全米の博物館、図書館、大学ではこの歴史的画像の印刷物が展示され、鑑賞者の教育にしばしば用いられる。この国は依然として、過去に向き合い続けているからだ。

しかし、米国の博物館における歴史の提示方法をめぐる政治的議論が高まる中、この1863年の写真はトランプ政権周辺で巻き起こる論争の焦点となっている。政権は、自分たちが「腐食的なイデオロギー」と呼ぶものを連邦所有の施設から排除しようと動いている。

16日、米紙ワシントン・ポストは、ある国立公園の当局者が、この写真を含む奴隷制関連の展示物の撤去を命じたと報じた。同紙は匿名の情報源を引用し、この措置はトランプ大統領が3月に発令した大統領令に沿ったものだと説明。同令は米国内務省に対し、「過去または現在を生きる米国人」を貶(おとし)める内容の撤去を指示している。

国立公園局を管轄する同省はその後、この報道を否定した。ピース報道官はCNNへの電子メールで、各施設に写真の撤去を要請した事実はないと説明。さらに「解説資料が時期尚早に、または誤って撤去・改変された事実が判明した場合、省として状況を精査し、適切な是正措置を講じる」と付け加えた。

しかしその時点で、この件はすでに芸術家、活動家、学芸員たちの間で懸念を引き起こしていた。国立公園保護協会も反対の声を上げた団体の一つであり、文化資源担当シニアディレクターのアラン・スピアーズ氏は、この写真を撤去することは「間違っているだけでなく恥ずべきこと」だと述べた。

米首都ワシントンの国立肖像画美術館に展示された「鞭打たれた背中」/Tom Brenner/The Washington Post/Getty Images
米首都ワシントンの国立肖像画美術館に展示された「鞭打たれた背中」/Tom Brenner/The Washington Post/Getty Images

この論争は、トランプ氏が博物館への攻撃をエスカレートさせる中で起きている。事態は同氏がスミソニアン協会に対し「奴隷制度がいかに悪いものだったか」を過度に重視していると非難するまでに至った。一方、「鞭打たれた背中」をめぐる騒動は、この写真にまつわる物語と、それが今日意味することについての新たな関心を呼び起こした。

とはいえ歴史的な合意を得るには制限もある。逃亡した奴隷の名がピーターだったのかどうかさえ判然としない。それでも写真に写る男性は、1863年初めにルイジアナ州の綿花農園から逃げたと考えられる。徒歩でバトンルージュまで旅をした彼は、服が破れ、泥まみれになりながら、ついに北軍陣地にたどり着いた。リンカーン大統領の奴隷解放宣言により彼は永久に自由の身となり、米陸軍の「有色人種部隊」への入隊資格を得た。

彼の証言を記録した文書によれば、この男性は「全員を銃で撃とうとした」として、元所有者の監督官から激しく鞭打たれたと述べている(ただし本人はその事件を覚えていない)。この暴行の後、彼は何カ月も寝たきりの状態となった。

身体検査を受けた後、ピーターとされるこの男性はウィリアム・D・マクファーソンとJ・オリバーが経営する写真スタジオで一連の肖像撮影に臨んだようだ。スタジオは少なくとも3種類の画像を作成し、その都度構図とピーターのポーズを調整した。最も有名な第3のバージョンは、他の2点よりしばらく後に撮影されたものだ。

この写真はもともと「カルト・ド・ヴィジット」として制作された。これは南北戦争の兵士たちがよく売買・共有した比較的手頃な小型写真だ。従来の写真技術と異なり、ネガを紙に容易に複製できたため、画像の拡散速度が飛躍的に向上した(カルト・ド・ヴィジットは当時の「ソーシャルメディア」とも称される)。

1863年の夏、この写真が注目を集める中、奴隷制度廃止論者の新聞「ザ・リベレーター」が写真の拡散の啓発につながる事例を報じた。北軍の黒人部隊に所属する外科医が、ボストンにいる兄弟に「鞭打たれた背中」の複製を送付し、次のような手紙を添えたというのだ。「私は自分の連隊や他の連隊の兵士を検査する中で、このようなものを何百回も見てきた。だから私にとっては目新しくはないが、君にとっては初めて見るものかもしれない。もし奴隷が人道的に扱われていると語る人間がいるなら、どうかこの写真を見せてやってほしい」

ザ・リベレーター紙はまた、この肖像写真(「鞭打たれたピーター」の名でも知られた)を1枚15セント、12枚1ドル50セントで直接読者に配布した。

1863年7月までに「鞭打たれた背中」は、より主流の出版物である「ハーパーズ・ウィークリー」誌に掲載されるに至った。同誌では「典型的な黒人」と題された記事の中で三連写真の一部として紹介された。雑誌側は3枚の写真について、(彼らがゴードンと呼ぶ)同じ人物を写したものと主張したが、歴史家らは各写真が別の人物を写していると考えている。同誌はまた被写体の物語を誇張し、他の脱走者の話と混同したとされる。例えばゴードンが追っ手の犬の嗅覚を惑わすため、玉ねぎで体をこすったという記述などだ(以後の学者らは、ゴードンがバトンルージュへ至った道のりの詳細を独自に裏付けるのに苦労している)。

「ハーパーズ・ウィークリー」誌に掲載された記事中の三連写真「典型的な黒人」/Pictorial Press Ltd/Alamy Stock Photo
「ハーパーズ・ウィークリー」誌に掲載された記事中の三連写真「典型的な黒人」/Pictorial Press Ltd/Alamy Stock Photo

大衆に広く親しまれた「ハーパーズ・ウィークリー」は、多くの中流・上流階級の米国人が南北戦争の最新情報を得る手段だった。写真というメディアの力を示す初期の実例として彼らの想像力を捉え、恐怖に陥れたのは記事そのものではなく、そこに掲載された画像だ。これは特に北部で顕著だった。北部の人々は奴隷制の生々しい描写をほとんど目にしていなかったからだ。

傷だらけになるまで殴打されたピーターの背中を目にすることで、今なお人々は啓発と気づきを与えられている。2017年には著名な黒人アーティスト、アーサー・ジャファがこの写真を流用し、「元奴隷ゴードン」という彫刻作品を制作した。そして、黒人差別に反対するブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命も大切だ)運動が最高潮に達した20年、この写真は警官に取り押さえられて死亡した黒人男性ジョージ・フロイドさんをテーマにしたコラージュ作品に登場。アーティストのカディール・ネルソンが手掛けた同作は、雑誌「ザ・ニューヨーカー」の表紙を飾った。また、写真家ダリオ・カルメーズが、カメラに背を向けたヴィオラ・デイヴィスを撮影した「バニティーフェア」誌の撮影にも影響を与えた。かつて奴隷だったこの男性の物語は、22年公開のウィル・スミス主演の映画「自由への道」で再び語られることにもなった。

一方、国立肖像画美術館と国立アフリカ系米国人歴史文化博物館をはじめとするいくつかの国の施設は、この写真の複製を現在も所蔵する。両館はスミソニアン博物館群の一部。先月ホワイトハウス当局者がロニー・バンチ3世事務局長に送付した書簡によれば、同機関は現在、米国の遺産を「歴史的に正確」かつ「高揚感を与える」方法で提示する義務を負っている。トランプ政権はスミソニアン博物館群の展示内容について広範な見直しを開始し、年末前後までに修正作業に着手するよう同機関に求めていることを示唆した。

こうした変更が「我々の過去の複雑性」を提示するというスミソニアンの公約を損なうかどうかは、間違いなく議論の的となるだろう。そして「米国の歴史に真実と健全性を取り戻す」とする大統領の取り組みが、「鞭打たれた背中」の今後の展示にどのような影響を与えるかは、現時点でまだ見通せない。

原文タイトル:‘Scourged Back’ exposed the horror of slavery. Now it’s embroiled in America’s censorship debate(抄訳)

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