ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.09.09 11:25

2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻して始まった戦争は42カ月間続いている。戦闘期間はすでに韓国戦争(朝鮮戦争、37カ月)を超えている。ロシアとウクライナの葛藤の底辺には民族問題がある。ソ連史の最高権威者、米UCバークレー大のユーリ・スリョースキン歴史学科名誉教授はソ連の民族問題を研究している。旧ソ連で生まれたスリョースキン氏の家系図にはユダヤ系とウクライナ系が混ざっている。スリョースキン氏が研究したテーマの標本が本人自身でもある。

スリョースキン氏はロシアが西欧文明から「離婚」という過程を経ていて、ロシア・ウクライナ戦争がこれをさらに促進していると指摘した。ソウル大の招待を受けて韓国を訪れたスリョースキン氏に5日、インタビューを行った。

--ヨシフ・スターリンは民族問題に精通していたのか。

スターリンは1922年にソ連共産党書記長となる前、民族人民委員会の委員長だった。ソ連の民族政策はほとんどが彼の作品だった。ソ連自体が独特の実験だった。歴史上初めて多民族国家で構想された国家だった。すべての領土とソ連の市民は民族的に規定された。ソ連は当初、土着化政策を進めた。民族のエリートを養成し、民族の言語・文化を奨励した。1930年代に中央集権を通じた近代化のために公式的に認めた民族の単位数を減らし、ロシア語を公用語として採択した。それでも民族-領土連邦の原則はそのまま残った。結局、ソ連は連邦共和国の境界に沿って崩壊した。

--ソ連の民族政策の遺産がウクライナ問題にどんな影響を及ぼしたのか。

ウクライナの場合、特別な要素があった。1つ目、大飢饉(ホロドモール)がウクライナに深刻な被害を与え、結局、民族主義的な争点になった。2つ目、ウクライナ人とロシア人が文化的に非常に近く、両集団は明確に分けるのが難しい。ウクライナ東部は事実上、ロシア語使用地域だ。西側に行くほど変わる。オーストリア=ハンガリー帝国の一部だったガリツィア(ウクライナ西部)は言語と宗教で別の文化圏だ。中間地域は不確かだ。ロシア人とウズベキスタン人は確実に区別されるが、ロシア人とウクライナ人は非常にあいまいだ。最後に、ウクライナ国境は歴史的な流動性と文化的な近接性のため容易に論争の対象となる。ニキータ・フルシチョフがクリミア半島をウクライナ共産党に「プレゼント」したのが代表的な例だ。

--プーチン大統領が戦争を始めた理由は。

プーチンはNATO(北大西洋条約機構)がウクライナに拡張し、ウクライナ政府が東部ロシア語使用人口を差別すると見た。プーチンは「2014年に行動(ウクライナの強制中立化)しなかったのが失敗だった。ウクライナは事実上NATO加盟国に変わった。従っていま行動しなければいけない」と考えたはずだ。

--ロシア帝国は不凍港を求め、ソ連は緩衝地帯を拡張しようとした。膨張主義本能がロシアの歴史で続いたのか。

ロシアは帝国だ。他の強大国からの尊重を要求し、国家利益と安保懸念を領土の向こう側にまで拡張する。ウクライナのような国には干渉する権利があると考える。こうした意味で米国と似ている。今回の戦争は2つの帝国間の衝突だ。一つは米国を中心にした世界的帝国で、もう一つは地域的で相対的に弱く見えるロシアだ。ところがロシアはとても大きく、強力であり(核保有)衛星国に転落することはできない。西側中心の国際安保体制にロシアを完全に統合するのは当初から難しいことだった。

--大多数のロシア人はなぜプーチン大統領を支持するのか。

ロシアの多くの専門職・知識人・エリートはすでに海外に出て行った。道徳・政治的な理由で戦争に反対するからだ。残りのロシア人はプーチンと国家を中心に一つになっている。今回の戦争はかなり「内戦」の性格を帯びている。大多数のロシア人に共感がある。それで「NATO拡張の危険」と「ウクライナ政権の急進的民族主義」という政府の公式説明を受け入れる。プーチンがウクライナに続いて他国に踏み込むという西側の予測は説得力が弱い。私はプーチンはそのような意図を持っていないと見ている。ウクライナは文化的に近く、西側の影響力拡大の動きが遅いため、クレムリン(ロシア大統領府)がまだ対抗できると感じた特別な事例だ。半面、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国は完全に異なる民族であり、すでに西側に編入されている。ウクライナの運命だけが依然として不確かだった。

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