高木琢也新監督が就任した後、7勝2分で急激に復調してきたJ2・3位のV・ファーレン長崎。7年ぶりの再任となった指揮官はいったい、8位に低迷していたチームをどう変えたのか? 約3カ月の変化を藤原記者にレポートしてもらおう。

 2025年6月16日、当時、取締役だった高木琢也クラブリレーションオフィサー(C.R.O)が長崎の監督に就任してから約3カ月。J1自動昇格となる2位との勝ち点差「10」という状況からスタートしたチームは、リーグ9試合を戦い7勝2分、14得点6失点。2位の千葉と勝ち点差51で並び首位の水戸との勝ち点差はわずかに「2」。一時は絶望的に思えた悲願のJ1昇格、J2優勝が手の届く位置へ駆け上がることに成功した。

「僕は大して何もやっていない」の真意

 「この世界はやっぱり結果が大事ですからね。そういう意味で僕はまだ何も達成していないし、何か成したとかは思いませんね」

 現状について高木監督はそう語るが、チーム状態の変化は明白だ。就任前のチームで弱点となっていた守備は就任後の9試合で1試合平均失点は0.66で、就任前の1.68から約6割減少。これまでのリーグ9試合で複数失点なしと大幅な改善が進んでいる。その一方で、就任前の時点でリーグトップタイだった1試合平均得点1.68という得点力は就任後も、1.55でJ2のチーム総得点トップをキープ。就任前の強みはそのままに、課題を確実に改善し結果を出す。シーズン途中に就任する監督として、これ以上は望みようがないほどの仕事ぶりである。

 それでも高木監督は、その仕事ぶりについて尋ねるメディアに対し「僕は大して何もやっていない」と言う。その言葉を謙遜や慎重さとして受ける者も多いだろう。だが、あえて何もしない。実はこれこそが長崎復調の要因であり、高木監督が取り組んだ「変化」である。

 高木監督の強みと言えば、「ハードワーク」、「周到なスカウティング」、「徹底した戦術の落とし込み」「試合の流れを読んで、先に仕掛ける交代策」の4本柱である。この4本柱を軸に、攻守・個人・グループの各戦術や選手起用は言うに及ばず、トレーニングメニューの設定からフィジカルの調整といったあらゆる分野にわたって、絶対的なトップダウン型の指導で妥協なく落とし込む。それこそが高木監督のスタイルであり、戦力的に厳しかった頃の長崎がローカルクラブの雄となる道を切り開いた秘訣である。

 だが6月の就任会見の際、高木監督は「基本的なベースの部分は伝えますが、何かを変えるのではなく、あるものを生かす、あるものに何かを加える、調整する。シーズンが半分終わった中で大きな変化つけるには時間がないし、僕のやり方は基本的に時間がかかる。途中就任で難しい分、個を出してほしいという話を選手にしました。なので無理なブレーキをかけ過ぎずにいきたい」と語った。

Photo: Hirohisa Fujihara

 4本柱をベースとしながらも、その強度をチームの状態・状況に合わせて調整し、個を生かす方向へ舵を切るという表明である。常に「組織・コンビネーション」を作って戦ってきた自身の戦い方を、「個を出す」側へ寄せたと言ってもいい。

 それと同時に打ち出したのが「コーチに任せる」という、高木監督がこれまであまりやってこなかった指導スタイルだ。下平隆宏前監督は守備の改善が進まない中、5月末から守備の指導を田中遼太郎ヘッドコーチに任せていたのだが、そういったコーチ陣の担当分野について高木監督はそのままとした。かつては自ら映像の編集まで手がけていたスカウティングについても、そのまま担当者に任せ、自身の関与をあえて「かつての6割程度」に留めている。

 「外から見ていると表面的なところしか見えない。内面的な部分はチームの中に入らない限り見えない部分。入っていきなり変えるよりまずは現状を受け入れて、そのままやらせる。その上で必要なら変えるけど、やり方をコロコロ変えると選手も困るだろうから」

 あえての未変更である。監督交代という大きな変化の中で、指導体制や役割、関係性に変化がないことはチーム内にあった戸惑いや不安を大きく軽減させた。あわせて各ポジションに原則となる役割を明示する際も、落とし込むことより基本の考え方を示すことに留意した。意識したのは「最低限の知識だけ示して、あとはいかにゲームで選手の力を引き出すか」であったという。

Photo: Hirohisa Fujihara
現状のベースの上で個々の役割を明確にする

 そうなれば、かつての高木スタイルや、そのメンタルを知る選手・スタッフが多いチームである。「強度・タイトさ」や「ボールを持ったら縦を意識し、敵陣に入れば探りながら動かすこと」といった高木サッカーの原則部分の受け入れは早い。中でも前からのプレスをかける感覚とタイミングをつかむのに、自らスペインへ趣いて来日させたフアンマ・デルガド、以前に他チーム監督を引き受ける際に「監督になって初めて、連れていきたい」とまで評した澤田崇の存在は大きかった。

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Profile
藤原 裕久

カテゴリーや年代を問わず、長崎県のサッカーを中心に取材、執筆し、各専門誌へ寄稿中。特に地元クラブのV・ファーレン長崎については、発足時から現在に至るまで全てのシーズンを知る唯一のライターとして、2012年にはJ2昇格記念誌を発行し、2015年にはクラブ創設10周年メモリアルOB戦の企画を務めた。

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