ペルーのラ・リベルタ県にあるモチェ文化の遺跡、リカパIIで発掘調査を行っていた考古学者たちが、1400年前の地域の有力者が住んでいたとみられる住居跡を発見した。日干しレンガで造られたこの構造物は5つの部屋で構成されており、外壁は黄色く塗られている。また、手仕事などの日常作業が行われていた周辺区域とは、壁で区切られていた。

国立サンマルコス大学のエンリケ・タンタレアンと、バルセロナ大学のカリト・タベラが率いる調査プロジェクトによって発見されたこの構造物は、「小宮殿」と呼ばれており、モチェ文化後期(西暦600〜700年頃)に建てられたと考えられる。この時期は、地域間の交流が活発化していた時代で、アンデス中央高地で繁栄したワリ帝国が台頭し、ティワナク文化が興隆し始めた頃だった。

タンタレアンは、「この地域を支配していた権力者のクラーカ、もしくは地域を統治していた長の住居であると私たちは考えています」と、ペルーの国営通信社アンディナに語った。この発見によって、2024年から始まった発掘調査で提起された仮説が実証されたこととなる。

住居跡から発見された遺物は、過去の居住者がどれほどの富と影響力をもっていたかを物語っている。構造物の中からは、戦士の絵が描かれた質の高いモチェ文化土器が見つかったほか、ペルーのカハマルカから運ばれてきた輸入陶器や織物の断片、そして食べ物の残りかすが発見された。さらには、アマゾンから持ち込まれたオマキザルの骨、アンデスのラクダ科動物、沿岸部に住む鳥類の骨も見つかっており、こうした珍しい品物や動物が供物や貢ぎ物として運ばれていたことがわかる。また、考古学者たちは、ペルー原産のルクマをはじめとする果物を食べていた痕跡も発見。こうした多様で贅沢な食材から、居住者たちが一般的なモチェの人々よりもはるかに豊かな食生活を送っていたことが窺える。

この構造物は西暦700年頃に放棄される前に、1メートル以上の日干しレンガで意図的に埋められており、現代の発掘チームは建物にたどり着くために、約1000個のレンガを取り除く必要があったという。タンタレアンは、建物を埋めるために費やされた労力は「コミュニティにとってこの住居がどれほど重要であるかを示しており、居住者への敬意の表れでもあります」と語る。

リカパIIの発掘調査は現在も続いており、調査の進展により新たな知見が得られているという。チカマ渓谷に位置するこの遺跡は、隣接する祭祀センターのエル・ブルホが最盛期を迎えた後に栄えたとみられ、モチェ文化における権力中心地の変遷を示している。(翻訳:編集部)

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