公開日時 2025年08月11日 05:00更新日時 2025年08月11日 19:13


墜落事故前、東京都内の自宅で撮影された写真に納まる吉田哲雄さんと有紗ちゃん

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共同通信社

 1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、奈良県御所市の自営業田仲威幸さん(75)は妹一家3人を失った。現場となった群馬県上野村には毎年、約500キロ離れた自宅から車で訪れている。事故から40年となる12日、墜落現場「御巣鷹の尾根」に慰霊登山へ向かう。墓標の前で「今年も会いに来たよ」と伝えるつもりだ。

 東京都内に住んでいた妹の吉田仁美さん=当時(28)=は、その夫哲雄さん=当時(35)、生後3カ月だった長女有紗ちゃんと羽田発大阪行き日航123便に乗り込み、犠牲となった。有紗ちゃんとの初帰省で奈良の実家へ向かう道中だった。

 田仲さんは、仕事で忙しい両親に代わり7歳下の仁美さんの面倒をよく見ていた。「かわいい妹だった」と振り返る。哲雄さんの転勤で都内へ引っ越した後、妊娠が判明し、有紗ちゃんが生まれた。「誕生がもう少し遅ければ、妹家族は亡くならなかった」と悔やむ。

写真に納まる吉田仁美さん(右)と哲雄さん(田仲威幸さん提供)

日航機墜落事故で妹一家3人を失った田仲威幸さん=6月、奈良県御所市

 仁美さんと有紗ちゃんの遺体は損傷が激しく、全身に包帯が巻かれた状態。有紗ちゃんの手には服のボタンがぎゅっと握られていた。「お母さんの服のボタンを引きちぎってしまうほど怖かったのだろう」と沈痛な面持ちで語る。哲雄さんの遺体は数カ月後に一部だけが見つかった。

 仁美さんの大学入学祝いに贈ったクオーツ式の時計が遺品として残る。事故の衝撃でベルトが吹き飛び、文字盤は墜落時刻の午後6時56分で止まったまま。妹家族の記憶がよみがえった。事故の約30年後、ようやく悲しみに区切りがついた。

 御巣鷹の尾根は登山道が整備されたものの急斜面もあり、出会う遺族も年々減っていると感じる。妻は膝を痛め、10年ほど前から1人で現場に赴いている。妹家族の墓標には、有紗ちゃんのために菓子を供え、こう誓う。「体が動く限り登り続ける」

(共同通信)

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