PORSCHE 963 RSP
フランス流・試乗記の臨場感
ポルシェ 963 RSPはル・マン24時間にも参戦するレーシングカー “963”のロードカーバージョン。
今回取り上げる記事に登場するポルシェ 963 RSPは、アメリカのIMSAウェザーテック・スポーツカー選手権やWEC(世界耐久選手権)に参戦しているLMDhクラスのハイパーカーをベースにしたロードモデル。「公道を走るレーシングカー」をドライブした印象を、“Sport Auto”誌のフランス人ジャーナリスト、シルヴァン・ヴェトー(Sylvain Vétaux)が情感たっぷりにレポートしている。
自動車試乗記における表現のスタイルには、記者の国籍や文化的背景が色濃くにじむことがある。英国人ジャーナリストは叙情性を文章に採り入れるスタイルを好む傾向がある。この連載の3回目に紹介したアンドリュー・フランケル氏の文章は、エンジンサウンドを音楽に例えたり、倒置法を使ったりすることで文学性を織り込んでいる。
これに対し、ヴェトー氏によるポルシェ 963 RSPの試乗記は読者の感覚に直接訴える口語的な表現が特徴的だ。文章の流れは速く、臨場感と感情のうねりを強調する構成で、「読むエンタメ」としての魅力を感じる。そんなヴェトー氏の記事の中で、直訳では意味が通じにくい、あるいはニュアンスが失われがちな表現をピックアップした。
ジャックポットとは?
世界に1台しか存在しない963 RSPを試乗する機会は「宝くじに当たった」ようなものだろう。
冒頭、世界に1台しか存在しない963 RSPを試乗する機会に恵まれたことを、“I think I’ve hit the jackpot.”と表現している。直訳すると、「私は宝くじに当たったと思う」となる。“hit the jackpot”はギャンブルで「大当たりを引いた」という意味から、予想外の幸運に恵まれたり事業で大成功を収めたりした場合にも使われる。
この場合は、試乗機会の希少性や感動を十分に伝えるためにこの表現が使われている。「この上ない幸運に恵まれた」とか、「最高のチャンスを手にした」といったニュアンスだろう。
包丁の前のニワトリ?
操作系はレーシングカーそのもので、「包丁の前のニワトリ」の気分だったそうだ。
ドライバーズシートに座った時の印象を、“I feel like a chicken in front of a knife.”(≒包丁の前のニワトリのような気分)と書いている。この比喩は、フランス語の言い回しである “comme une poule devant un couteau” を英語にそのまま訳したと考えられる。ニワトリは臆病で頭が良くない動物として象徴的に使われており、「どうしてよいかわからず、戸惑って立ち尽くす」という状況を表す表現として使われる。
日本語で意味を正確に表すとしたら、「緊張で頭が真っ白になった」といったところだろう。GENROQ本誌では、ステアリング周りの操作系が非常に複雑なことに触れたうえで、「私の頭は早くも混乱していた」と的確かつシンプルな和訳がなされている。
血塗りの泥除けに群がるピラニア?
ハンドリングのシャープさに関しては、独特の表現が用いられている。
ハンドリングに関しては、“steering that rushes to the apex like piranhas on a bleeding mud flap”と表現している。直訳すると、「血の滴る泥除けに群がるピラニアのようにエイペックスに突進するステアリング」となる。
ピラニアは一般的に、血の匂いに反応して集団で襲いかかるとされる。ピラニアが獲物に飛び掛かる時のように、963 RSPの挙動がクイックなことを表現したものだろう。また、現実には存在しない「血の滴る泥除け(bleeding mud flap)」を獲物の比喩として使うことで、読者に印象的な情景をイメージさせることを狙っていると思われる。
鋭く的確にコーナーの頂点へ向かう様子を強烈な絵として描いている表現だが、グロテスクに過ぎる印象を与える可能性もある。このあたりの正確な解釈は、フランスのカルチャーやヴェトー氏のキャラクターを詳しく知る必要があるだろう。日本語では、「まるで獲物に襲いかかる猛獣のように、鋭くエイペックスに向かう」といった表現が的確だろう。
このように、ヴェトー氏の試乗記は単にクルマの挙動だけでなく、自身の感情の高まりを通じてその場にいるような臨場感を読者に届けている。次回は、さらに2つの表現を取り上げ、日本語で理解する際の注意点や文体の魅力について詳しく見ていきたい。
あわせて読みたい
ブガッティ トゥールビヨンなどコスワース産エンジンの鼓動を描く言葉の面白さ【クルマ英語学 vol.08】
海外メディアによるスーパーカーの試乗記や技術解説には、数値では表現しきれない魅力が比喩や慣用句を用いた豊かな言葉づかいで語られていることが多い。本連載では、月刊『GENROQ』に掲載された海外ジャーナリストの記事をもとに、そうした英語表現の背景やニュアンスを紹介しながら自動車ジャーナリズム独自の文体や文化にも触れていく。第8回となる今回は、『GENROQ』2025年8月号よりブガッティ トゥールビヨンのエンジンをめぐる記事を取り上げ、印象的な表現を紹介する。
WACOCA: People, Life, Style.