CPU業界における性能向上の追求は、終わりなき軍拡競争に例えられる。クロック周波数の向上、コア数の増加という分かりやすい指標が長らくその主戦場であった。しかし今、AMDが次世代アーキテクチャ「Zen 6」で投じようとしている一手は、そもそもの戦いのあり方を大きく変える物となりそうだ。
新たにリークされた情報によれば、、最大240MBという前代未聞のL3キャッシュ容量をコンシューマ向けゲーミングCPUに搭載するという可能性があると言う。これは、現行の高性能モデルであるRyzen 7 9800X3Dのキャッシュ容量を遥かに凌駕するものだ。
この技術革新は、CPUの設計思想における「キャッシュ」の役割を再定義し、Intelとの技術覇権争いを新たな「キャッシュ戦争」の時代へと突入させる大きな分岐点となるかも知れない。
核心に迫るリーク情報:240MB L3キャッシュの驚くべき内訳
今回の情報は、YouTubeチャンネル「Moore’s Law Is Dead (MLID)」によって もたらされた。もちろん、AMDからの公式発表ではないため、現時点ではあくまで噂の域を出ない。しかし、同氏は過去にも確度の高い情報をもたらしてきたため、無視することはできないだろう。
その核心は、「2層スタック3D V-Cache」技術にある。
ベースとなるCPUダイ (CCD): Zen 6では、1つのCCD(Core Complex Die)に搭載されるCPUコアが、現行の8コアから12コアに増加すると見られている。これに伴い、CCD自体が内蔵するL3キャッシュも48MBに増強される(現行Zen 5は8コア/32MB)。
進化した3D V-Cache: AMDのゲームチェンジャーとなった3D V-Cacheも進化を遂げる。1層あたりの容量が従来の64MBから96MBへと50%増量されるという。これは、ベースとなるCCDのコア数増加に合わせた合理的な拡張と考えられる。
禁断の2層スタック: そして、最も衝撃的なのが、この96MBのV-Cacheチップレットを2層に重ねて積層(2-Hi Stack)する技術の存在だ。
これらの情報を基に計算すると、次のような驚異的な構成が技術的に可能となる。
48MB (12コアCCDのL3) + 96MB (V-Cache 1層目) + 96MB (V-Cache 2層目) = 合計 240MB L3キャッシュ
この240MBという数字が如何に巨大であるか。現行のRyzen 9000シリーズ(非X3D)のL3キャッシュが最大32MB、Ryzen 9 9950X3Dですら128MB(32MB+96MB)である。つまり、Zen 6の最上位X3Dモデルは、現行最強モデルの約2倍ものキャッシュを搭載する可能性があるのだ。
なぜ「キャッシュ」がゲームを変えるのか? 基本の再確認
この数字の持つ意味を理解するために、L3キャッシュの役割を改めて確認しておきたい。CPUの演算速度は極めて高速だが、メインメモリ(DDR5など)からのデータ読み出し速度はそれに追いついていない。この速度差を埋めるために、CPU内部には「キャッシュ」と呼ばれる小容量だが超高速なメモリが搭載されている。
L3キャッシュは、その中でも比較的大容量な階層であり、CPUコアが必要とするデータをメインメモリまで取りに行く回数を減らすための「超高速な作業台」のような役割を果たす。この作業台が広ければ広いほど、必要なデータや命令をそこに置いておける確率(キャッシュヒット率)が高まり、CPUはメインメモリの遅さに足を引っ張られることなく、本来の性能を発揮できる。
特にPCゲームのように、膨大なデータをリアルタイムで処理し続けるアプリケーションでは、このキャッシュヒット率がフレームレートの安定性に直結する。平均フレームレートはもちろんのこと、フレームレートがガクッと落ち込む「スタッタリング」の抑制や、最低フレームレートの底上げに絶大な効果を発揮するのだ。AMDがRyzen 7 5800X3Dでこの「キャッシュは力なり」という戦略を打ち出して以来、X3DモデルがゲーミングCPUの王座に君臨し続けていることこそ、その何よりの証拠と言えるだろう。
240MBもの広大な「作業台」が実現すれば、ゲームが必要とするデータの大部分をキャッシュ内に保持できる可能性さえ出てくる。これは、これまでとは次元の違うレベルで、安定した高フレームレート体験をもたらす可能性がある。
240MBは本当に登場するのか?
夢のようなスペックだが、その実現性について冷静に分析する必要がある。大容量キャッシュは、単純に増やせば良いというものではない。そこには必ずトレードオフが存在する。
利点:性能の飛躍的向上
言うまでもなく、キャッシュに依存するアプリケーション、特に高解像度・高フレームレートの最新AAAタイトルや、大規模なシミュレーションゲームにおいて、ボトルネックが劇的に解消される可能性がある。VR/ARのような、わずかな遅延も許されない次世代アプリケーションにとっても、この技術は福音となりうる。
課題:レイテンシとコストの壁
一方で、懸念点も存在する。第一にアクセスレイテンシの問題だ。キャッシュは容量が大きくなるほど、目的のデータを見つけ出すまでの時間(レイテンシ)がわずかに増加する傾向にある。特に2層に重ねるという複雑な構造は、この問題をさらに悪化させる可能性がある。AMDは、性能向上とレイテンシ増加のバランスを精密にチューニングする必要に迫られるだろう。
第二に、製造コスト、消費電力、そして発熱だ。大容量のSRAMチップは高価であり、CPU全体のコストを押し上げる。また、2層に重ねることで電力密度が増し、冷却がより困難になることも予想される。HotHardwareなどの海外メディアが、この構成のコンシューマ向け投入に懐疑的な見方を示すのは、こうした現実的な課題があるからだ。
ゲーミング向けか、プロ向けか
これらの利点と課題を天秤にかけると、240MBキャッシュを搭載したCPUが、いきなりメインストリームのゲーミング市場に投入される可能性は低いかもしれない。考えられるシナリオは二つある。
フラッグシップ・ゲーミングモデルとして限定投入: コストや冷却の課題をクリアできる、エンスージアスト向けの最高級ゲーミングCPUとして登場する可能性。価格は非常に高価になるだろうが、「最高のゲーミング体験」を求めるユーザー層には強くアピールするはずだ。
プロフェッショナル向け(EPYC/Threadripper)先行投入: むしろ、科学技術計算や大規模データベースなど、キャッシュ容量が性能に直結するプロフェッショナル市場でこそ、この技術の価値は最大化される。コンシューマ向けには、よりバランスの取れたシングルスタック版(48MB+96MB=144MB)を投入し、2層スタック版はEPYCやThreadripperに限定するという戦略も十分に考えられる。
Zen 6を支える「もう一つ」の革新:LSIと高クロック化
Zen 6のポテンシャルは、240MBキャッシュだけに留まらない。この巨大なキャッシュを最大限に活かすための、他の技術的進化も見逃せない。
チップレット間の壁を壊す「Local Silicon Interconnect (LSI)」
以前報じられたリークでは、「はるかに高い帯域幅の2.5Dインターコネクトを使用する」可能性が報じられている。これは技術的には、TSMCの「Local Silicon Interconnect (LSI)」技術の採用が考えられ、極めて重要な意味を持つ。TSMCのLSIは、IntelのEMIB技術にも似た、チップレット間を高密度に接続するブリッジ技術だ。
(Credit: TSMC)
従来のZenアーキテクチャでは、複数のCCDを搭載するCPU(例:16コアモデル)において、異なるCCD上のコア間で通信する際にレイテンシが発生し、一部のゲームで性能が伸び悩む要因となっていた。LSI技術によってこのチップレット間の通信が劇的に高速化・低遅延化されれば、長年の課題であった「2CCDの壁」がついに打ち破られるかもしれない。これは、240MBキャッシュのレイテンシ増加という課題に対する、AMDの回答の一つである可能性すらある。
6GHz超えは当たり前? IPCとクロックの二重の進化
さらに、Zen 6は、Zen 5に対して6~8%のFP IPC(浮動小数点演算におけるクロックあたりの命令実行数)向上に加え、クロック周波数も6GHzを大幅に超え、7GHzに迫る可能性もリークされている。
巨大なキャッシュ、IPCの向上、そして圧倒的な高クロック。この三位一体の進化が実現した時、Zen 6はAMD史上でも最大級の世代的飛躍を遂げることになるだろう。
CPUの価値基準が変わる、キャッシュ戦争時代の幕開け
AMD Zen 6と240MBキャッシュの噂は、半導体業界が「ムーアの法則」の物理的限界に直面する中で、性能向上を達成するための新たなパラダイムを提示している。微細化による性能向上が鈍化する今、3D積層技術に代表されるアーキテクチャの革新こそが、次なるブレークスルーの鍵となるのだ。
Intelもまた「bLLC(big Last-Level Cache)」と呼ばれる巨大キャッシュ技術を開発中と噂されており、CPU業界は本格的な「キャッシュ戦争」の時代に突入することは間違いない。
我々ユーザーにとって、これは歓迎すべき未来だ。近い将来、CPUを選ぶ際の基準は、コア数やクロック周波数といった従来の指標に加え、「キャッシュの容量と質」が極めて重要な意味を持つことになるだろう。240MBという数字は、まだ噂の段階かもしれない。しかし、その背後にある技術的思想の転換は、すでに始まっているのかもしれない。
Sources
WACOCA: People, Life, Style.