コラム:「指数」が示す世界の不確実性とドル/円相場=尾河眞樹氏

世界の不確実性が高まっている。これを示すものとして、米スタンフォード大学の教授によって開発された経済政策不確実性指数(EPU)が参考になる。尾河眞樹氏の見解。2021年2月撮影のイメージ写真(2025年 ロイター/Dado Ruvic/Illustration)

[東京 19日] – 世界の不確実性が高まっている。これを示すものとして、米スタンフォード大学の教授によって開発された経済政策不確実性指数(EPU)が参考になる。経済政策の不確実性を示す新聞報道(記事の数)を定量化し、先行きに控える税制変更の数、エコノミストによる経済予想の不一致度合いの3つの要素で構成されているが、基本的には政治的、政策的な不透明感が増すときに上昇する傾向が見られる。

EPUはグローバル指数と、国別の指数がそれぞれ算出されており、EPUのグローバル指数は、トランプ氏が米大統領選に勝利した2024年11月以降急上昇している。以降、3カ月連続で上昇し、1月末には429.83を付け、いよいよコロナ期の最高水準である20年5月の431.57に迫った。

同指数を国別でみると、上昇している国の筆頭はドイツだ。22年のロシアによるウクライナ侵攻と、ロシア産ガス供給の遮断に加え、中国経済の悪化など様々なリスクが顕在化するなかで、ドイツの経済も悪化。これらを受けてドイツのEPUはもともと高止まりしていたが、24年に政局の混迷と共にさらに上昇し、11月に連立政権が崩壊するとドイツのEPUは初めて1000を超えた。

次にEPUの上昇が目立つのは米国だ。特に、トランプ政権が発足した今年1月の上昇は大きかった。同大統領は1月20日の就任早々、米南部の国境に対する「国家非常事態」を宣言し、移民を強制送還することを表明。鉄鋼・アルミニウムへの関税引き上げを表明するなど、政策の不透明感は高まった。2月に入り、さらにトランプ関税が本格化していることを踏まえると、2月の米EPUはさらに上昇している公算が大きい。このほか、カナダ、メキシコなど、トランプ関税に翻弄(ほんろう)されている国では、やはりEPUが急騰している。

これに対し、日本のEPUはこの10年間、ほぼ100前後で安定しているのが目を引く。岸田文雄前首相が辞任を表明した昨年8月に小幅に上昇したが、10月の石破茂政権発足や、日銀による政策の不透明感が反映されてか、11月以降に再びじわり上昇している。ただ、諸外国と比べると圧倒的に水準は低く、国際的に見れば政策的な不透明感は極めて低いと言えよう。よく言えば「安定」だが、日本はこの10年間ほとんど変化がなかったという見方もできる。日銀が今後ゆっくりとしたペースながら淡々と利上げを続ける姿勢を示しているなかで、日本のEPUに今後変化があるかどうか、注目していきたい。

ところで、EPUが示す不確実性は、為替相場にどのような影響を及ぼしているのだろうか。さかのぼることが可能な1998年以降のグローバルEPUとドルの名目実効為替レートを重ねると、面白いことに2008年のリーマンショック以降、高い相関性がみられる。EPUが上昇し、世界的に不確実性が高まる際にはドルが上昇するという傾向だ。リーマンショック、英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)、コロナショック、ウクライナ戦争など、様々な不確実性に見舞われた際、基軸通貨であるドルの需要が高まっており、いわゆる「有事のドル買い」は健在であることがうかがえる。

ただ、先述した昨年11月以降のグローバルEPUの急上昇に対し、ドルの名目実効レートの上昇は極めて小幅に留まっている。おそらく足下のグローバルEPUの上昇が、グローバルな危機というよりも、トランプ関税に対する不透明感が背景にあるからではないか。つまり、ユーロ圏、カナダやメキシコなどトランプ関税の影響を受ける国々の通貨が対ドルで下落していることで、ドルが結果的に上昇しているのであって、前述した過去の有事のようにドルが積極的に買われているのとは環境が異なるように思われる。

EPUのほかにも、不確実性を示す指標としてよく使われるものに、「エコノミック・サプライズ指数(CESI)」や「ボラティリティー・インデックス(VIX指数)」などがある。CESIは、米国の各種経済指標の発表値と事前の市場予想との乖離(かいり)の度合いを指数化したもので、米シティグループが算出している。経済指標が事前予想を上回るポジティブ・サプライズなら指数は上昇、ネガティブ・サプライズなら指数は低下する。米国のCESIは昨年11月に43.3付近でピークを付けた後、低下傾向だ。

特に直近は、1月の非農業部門雇用者数や1月の小売売上高、2月のミシガン大学消費者信頼感指数など、市場予想を大きく下回る経済指標が散見されるようになり、米CESIはゼロ付近まで低下している。米国では政策上も、経済指標の上でも不透明感が増していることを示していると言えよう。

それにも関わらず、金融市場の不透明感は特段高まっていない。むしろ市場の不透明感を示すVIX指数は、15付近で安定している。同指数は、別名「恐怖指数」と言われるが、20を超えると市場が悲観に傾いていることを示し、30を超えると総悲観と言われている。昨年8月5日の世界同時株安の日に、一時66付近まで急騰してからというもの、30を超えるような局面はまだ起きていない。むしろ、足下の米株価は過去最高水準で推移し続けている状況だ。

EPUの急騰、CESIの下落といった不確実性が高いなかでのVIX指数の低位安定には、やや違和感を覚える。何らかの歪みが生じており、この3つの指数のうちどれかがいずれは修正されるのではないか。例えば、トランプ関税は単なる交渉のツールとしてのブラフ(はったり)に過ぎず、実際に発動する関税の引き上げは、経済に悪影響を及ぼすものとはならないかもしれない。その場合EPUは低下することになるだろう。または、足下の米CESIの下落も、1月の経済指標がたまたま一部弱かっただけで、米国経済の堅調さは続くのかもしれない。

怖いのは、VIX指数が急騰するケースだ。つまり、市場参加者が何等かのリスクを見落としており、今後金融市場の不透明感が増すパターンだ。トランプ関税は単なる脅しではなく、実際に各国経済に影響を及ぼすレベルで発動され、報復関税の応酬となれば、米国経済にも悪影響が及ぶ。米国のインフレも上昇し、移民の強制送還なども手伝って個人消費が悪化するなかで、米国経済がスタグフレーションに陥るという可能性は捨てきれない。この場合、米株価は下落し、VIX指数は上昇するだろう。関税の引き上げによって米貿易赤字が縮小すれば、理論的にはドルが上昇することになる。しかし、米貿易収支とドルの名目実効為替レートは、特にリーマンショック以降、ほとんど相関性は見られない。これは世界的な金融緩和により、過剰なマネーが金融市場に溢れ、投資に向かっているためと考えられる。米国の貿易収支の変化より、内外金利格差による投資マネーの動き変化のほうが為替相場に与える影響は大きくなっているのではないか。

仮にそうだとすれば、VIX指数が上昇する場合には2つの影響が考えられる。グローバルな投資マネーの巻き戻しにより米株価が急落。昨年8月5日のように、円キャリー取引の巻き戻しも同時に起こり、円急騰となるパターン。もう一つは、関税引き上げによって米国のインフレが加速し、米連邦準備理事会(FRB)が利上げに追い込まれるとの見方から、米金利先高観によりドルが上昇するパターンだ。

足元は昨年の8月のように円キャリー取引の円売りポジションが積みあがっていない状況を考えると、後者の可能性のほうが高いように思われる。いずれにせよ足下の不確実性が高まっているなかで、市場の急変に対する警戒は必要ではないか。

編集:宗えりか

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*尾河眞樹氏は、ソニーフィナンシャルグループの執行役員チーフアナリスト。米系金融機関の為替ディーラーを経て、ソニーの財務部にて為替ヘッジと市場調査に従事。その後シティバンク銀行(現SMBC信託銀行)で個人金融部門の投資調査企画部長として、金融市場の調査・分析を担当。著書に「〈最新版〉本当にわかる為替相場」、「ビジネスパーソンなら知っておきたい仮想通貨の本当のところ」などがある。

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筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

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