北海道車中泊旅行20 東日本大震災被災地慰霊 陸前高田 南三陸 女川 #奇跡の一本松 #防災対策庁舎 #旧女川交番
慰霊の意味を込めて東日本大震災の被災地をめぐりました。
★陸前高田 奇跡の一本松
東日本大震災の震災遺構のひとつです。
約7万本の松の木の中で津波の直撃を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されて壊滅した中、西端近くに立っていた一本の木が津波に耐えて、立ったままの状態で残ったことから、太平洋沿岸地域一帯に甚大な被害をもたらした中にあって、この木は震災からの復興への希望を象徴するものとして捉えられるようになり「奇跡の一本松」と呼ばれるようになりました。
しかしその後、根が腐り枯死と判断され、震災からの復興を象徴するモニュメントとして残すことになりました。幹を防腐処理し心棒を入れて補強したり枝葉を複製したものに付け替えたりするなどの保存作業を経て、元の場所に再び立てられています。
★陸前高田ユースホステル
津波で建物が一部崩壊するなど大きな被害を受けましたが、震災の数カ月前から無期限休館中だったため人的被害はありませんでした。
壊れかけたユースホステルを見ると、津波の悲惨さを痛感します。
被害者がおられなかった事が不幸中の幸いです。
★南三陸旧防災対策庁舎
ここは報道でもよく見ましたが、15.5メートルという想定外の津波により、第1庁舎および第2庁舎は流失し、防災対策庁舎は骨組みと各フロアの床および屋根等を残して破壊されました。
当初の6mという津波予想のため、庁舎に留まり避難しなかったのが、犠牲者を大きくする一因となりました。
津波来襲の15時25分頃まで、防災無線放送で繰り返し住民に避難を62回に渡り呼びかけ続けた女性職員の遠藤未希さんをはじめ、職員のかた、避難してきた近隣住民の人たち43名もの尊い命が奪われました。
本当に胸が痛みます。
現在は周りがかさ上げされて、かなり低い所にあります。
★旧女川交番
旧女川交番は、鉄筋コンクリート造2階建てで、東日本大震災における津波の引き波により、基礎部分の杭が引き抜かれ横倒しになったと考えられており、鉄筋コンクリート造の建物が津波で倒壊・転倒した事例は世界的にも珍しいものです。
建物には、漂流物がぶつかって壊れたものと思われる跡が見られるほか、漂流物などの残骸も当時のままの状態で遺されています。
遺構の周囲のパネルからは、震災前の街並み、震災当時の様子、復興の歩みについて知ることができます
当時の中学性が後世に残したいと訴え、震災遺構として残されました。
当時、旧女川交番には二名の警察官が勤務していました。大津波警報が発令されたのち、二人はパトカーで避難を呼びかけ、逃げ遅れた町民をパトカーに乗せながら、高台を目指しました。そのため、旧女川交番での直接的な犠牲者は出ていないとのことです。
★被災地をめぐって感じたこと
被災地をめぐり、いろんな震災遺構を見て、改めて津波の悲惨さが伝わりました。
東日本大震災では亡くなられた方の90%以上が津波によるものだそうです。
この辺りは地震も多く、津波も押し寄せたことも過去にはあるので、住民の方は津波が来ることを重々承知されていたと思います。
にもかかわらず、これだけの犠牲者が出たのはすべてにおいて想定外だったのだと思います。
大規模にかさ上げされていたり、巨大な防波堤などを見ると、そう感じます。
被災していない他府県の私たちが被災地をめぐるのは不謹慎なのではないかとも思いました。しかし、南三陸の旧防災対策庁舎の横にある震災後にできたさんさん商店街がにぎわっているのをみると、被災の現地に行き、現状を見たり聞いたりして自分の周りの人や後世に伝え続けることは、微力ながら復興のお手伝いができるのではないかなと思います。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
合掌
本編はhttps://youtu.be/3WMuzUakRqM
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2 Comments
遺構を訪問することで、貴重なメッセージを受け取ることができました。
早口で何言ってるか解らない