東日本大震災の教訓踏まえ対応も…「活動は圧倒的に制限された」民生委員に課せられた課題や今後の役割 (2024年6月18日)
ここからは解説室木さんですどうぞ よろしくお願いしますよろしくお願いし ますはいえの半島地震の被災地で活動する 民委員児童委員にとって今回の震災は 大きな試練でしたまこれだけの被害という のはもう本当にあの初めて経験された民院 の方も多かったんじゃないでしょうかね はいえまず民生委員の役割ですが日常的に 自分が住む地域で高齢者や障害者子育て 世帯などを見まりえ困り事の相談に応じ たり必要があれば行政機関に求たりして 住民が安心して暮らせるようサポートし ますえ厚生労働大臣から移植される非常金 の地公務員で自動委員を兼ねますえ給与が ないボランティアですが行政の支援が届か ない人がいないようにする大切な役割を 担います1917年に岡山県で始まったと され活動の歴史は100年を超えました ちなみに県内には現在何人ぐらい いらっしゃるんでしょうかはいえ全国で約 23万人石川県では3おおえ一部は主任 児童委員と呼ばれ子供や子育て支援を専門 にしますただ今回の地震で本当に厳しい 現実と向き合われたと思うんですがねそう ですねえノで取材すると特に奥のでは民院 自らが避難したりえ見守る対象だった住民 の多くも遠くへ避難したりして民委員とし て十分な活動ができない状況があったよう です本当そうですよねまこれ地震後なん ですけど見守りの実際ってのはこれどうな んでしょうかねはいえその前に実はは 2011年の東日本大震災では民委員が 受け持ちの高齢者に避難を呼びかけようと して遅れえ津波の犠牲になる事例がつぎ ましたなるほどこれ責任を果たそうとした 行動が裏目に出てしまったということ残念 な事態だったんですよねそうですねえ全国 の民委にとって悲劇を繰り返さないように そのことが大きな教訓となっていますえ 今回7の民委員で作る協議会会長の森さん は自信をそのことが頭浮かびましたはい そこでまず津波から逃れるためえ急いで 高台に避難しました自分の安全をまず確保 してから担当する高齢者や民委員仲間に 電話し避難所で聞き込んで安否確認をして え顔見知りの高齢者全員の居場所を確認し ましたうん当時の教訓が生かされれたと いうことなんですねそうですねえ一方で 被害が大きかった和島市では活動が十分 できない民員が多かったようですえ和島市 の協議会会長の谷尾さんは深町の70世帯 余りを担当していますえ地震後は被災被災 住民の1人として支援物資配布の手代など をしましたがえ民院としての活動は大正 世帯の住民に電話で安否確認をしたぐらい だったと言いますえ市街へ避難中の住民も 多く個別に訪問することはできなかった ようですうんここら辺本当に難しい問題に 直面されたということなんですねそうです ねえ谷さんは道路寸断などの混乱の中で 活動がに制されると思い知ったと繰り返し ましたえしかしえ仮説住宅が増ええ避難先 から戻ってくる住民が増える今後が大切だ と話しますえ受け持ち地区の住民が多く 入る仮設住宅を回る考えで行政と住民の つなぎ役として今まで通りやるしかないと 気持ちを引きしめなしていますま先日は 和島市の仮設住宅で1人暮らしの女性の方 が亡くなられるということも判明しました からねそうですねえまさに今宅では入居者 同士の繋がりが薄いとされ孤独を防ぐため 見回り活動が大事になっていますえ7の 協議会副会長の千場恵美子さんも仮設住宅 で支援を必要とする人たちをどう把握し 見守りをしていくかが課題と感じていて 決め細かな助言ができるのは民委員と話し ていますえ民委員にとって今回の地震でえ 活動が限定されるなど課題が浮き彫りと なりましたが仮設住宅での見回りなど今後 も役割が期待されていますここまで解説 室木さんでした
能登半島地震の被災地で活動する民生委員にとって今回の震災は大きな試練となった。
民生委員とはどんな職種なのか、災害時の課題や今後期待される役割について北陸中日新聞の室木記者に伺う。
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民生委員🇯🇵🗾