正観さん流の生き方を表面上だけ聞くと
夢も希望もない
五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を言わないなど
どこか、無感情な人間のように思われることがあります。
ですが、そんな生き方(悟り)は、無感情ではないということがわかる
正観さんのお話(宇宙飛行士が1500時間訓練する理由)を解説。
毛利衛さん
向井千秋さん
若田光一さん
野口聡一さん
が登場するお話です。
この方たちの画像は、各Wikipediaより引用(パブリックドメイン)
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この動画は小林正観さんの著書
【悟りは3秒あればいい】
を参考にしています。
該当書は、全国のうたしショップ(もしくはAmazon)から購入できます。
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【小林正観さん公式HP】
https://www.skp358.com/
【全国うたしショップ】
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【悟りは3秒あればいい】
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【小林正観さん考察ブログ】
https://xn--358-j63bua9a2okk.com/satori
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【もくじ】
0:00 ・オープニング
0:32 ・宇宙飛行士の条件
3:32 ・悟りは無感情ではない
4:42 ・最後に
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#小林正観 #宇宙飛行士 #悟り

10 Comments

  1. 人生は、日常生活が訓練である! 目の前に起こったことに、文句を言わずただ受け入れて、感謝が出来るように精進して参ります。人間関係もより楽しく、良好になって、楽に生きていきたいと思いました。宇宙飛行士の訓練を、教訓にしながら生きていこうと思います。合掌

  2. ありがとうございます✨

    声が心地よすぎて
    もはや睡眠導入剤です

    ずっと聞いていられます✨

  3. 「修行」って「訓練」だと思いがちですが、「修行」って「修めて、行く」ことです。

    良い事も悪い事も、自分が生きてゆく中に「修めて、行く」。その安らぎを味わいながら生きること。

    あるお坊さんが仰ってます。「修行が ”悟り” だ」と。

    「修行」して悟りを得るのではなくて、「修めて、行く」ことができれば、その都度「悟り」だということです。

  4. 日常は、問題を回避して行動して、
    問題が起こったら対応する。
    無駄に怒ったり、悲しんだりしない。
    人を慰め、人と交流する。
    愛を残して生きること。
    シを積極的に飾る様に楽しむ事。
    それは、花道だから。
    何処より生まれたら、何れ帰るのだから。使命を果たしてください。
    老衰でシねたらラッキーですよ。

  5. 因みにただの真理記述。

    ただの真理記述です。

    2500年以上前に 派生した仏教 そして 仏典。

    それが現代 まで廃れることなく続いてるということは、

    つまり 観念で構成された この現代社会というもの
    その時代 その時代の観念 常識がくるくる変わる 1つの観念というものを前提とした社会 というもの中 においても変わらず 存続してきていると。

    これは真理であることを表してると。

    真理とは
    いかなる 時間 空間においても変わることのない法則、
    そして全ての人が絶対に避けられない法則を言うと。

    全ての人には個体差がある
    これはいわゆる 創造主が神々が人間をおつくりになったということと大変な矛盾があると

    なぜこうも 個人 個人
    生まれつき
    境遇 周りの人
    全てが良いも悪いも
    こうも違うのだろうかと。

    人々はそれを曖昧な思考から運という言葉で片付けようとすると。

    真理では
    全て目の前に起こってる現象は その人の心の表れであると
    つまり その人自身がなしてきたことが原因となり 結果として目の前に現れてるのであると

    よって自分の境遇というものは決して人 他人 環境 周囲のせいではないと。

    よって この現世というものにおいて 全てにおいて幸福になりたければ自分自身の身、口 心 の行為を 良きものにする必要があると。
    つまり善行、徳業 をなす必要があると。

    つまり 自分自身が自分自身の総責任者であると 自分自身で手を打たなければならない 以外 方法はないんだと。
    それは第三者はもちろん ブッタ 神々ですら それはどうすることもできないんだと。

    この部分の具体的定義、 方法論 としての前提を仏教で述べられてるものであるが
    ここでは割愛します。

    とにかく
    別に これは特別なものではなく
    なしたことがその人にかえるということを 前提としてると。

    これは特別の道ではなく 一般人でも誰でも 垣間見ることはできる それは その人その人自身の 環境というものは似た者同士が集まってるということ

    で証明されるということであると。
    これは親子はもちろん 友人知人関係 恋人 関係まで全て それを知ることができると

    もちろん 何かを 事業 勉強 なす際
    それが良い悪いは別にして
    努力したら努力した分だけ確実にその人に身になってるということもそういうことであると

    ただそこで問題になってくるのが
    ある人は 思ったことが 速やかに成就し
    ある人は努力してもなかなか実を結ばないと

    そこが 仏教でいう 何を為せば利益になるという部分ではあるが
    それは一言で言うならば善行、施し であると
    他に与えるものは自分も与えられると

    それはともかく

    よって な し た こ と が 帰る という前提から幸福になりたければ良きことを成すと。

    そこで その上があると それは
    全てこの現象 というものは無常を根本としてると。
    どんなに素晴らしい環境 人間関係にあっても それは変化する 壊れてしまうという 法則を前提としてると

    そして 仏教の 第1段階として この世の証現象は全て 楽喜びの裏側には苦しみがあるということであると。

    それらを認識した 1段階 高い魂は 苦と楽から離れる
    ことのできる状態 物理的な状態で言うならば 精神集中の途切れない状態を達成すべく
    仏教で言われる 壊れることのない 絶対自由 絶対幸福 絶対歓喜
    の世界である

    ニルヴァーナを目指したと

    言葉の定義はどうでもいい として
    いわゆる 人里を離れて 一人 ひたすら
    瞑想修行に励むと
    いうようなものはこれを基点としてると

    よって 何も 現代人に 忌み嫌われるようなものではなく 1段階上の知性の高いものの賢者 なる行為であるとは言えると。

    最後に話は変わって
    原始仏典で繰り返し 記載されてること
    それは
    喜び 楽しみ 平安 安らぎ
    そして全ての良きもの
    個人個人 においても 全ての幸福 の第1スタートとなる部分は
    怠惰でないことから始まると。

    全ての忌むべきもの 悪しきもの
    個人においても
    様々な 悩み苦しみ
    悲しみ 悲嘆 苦痛
    そして全ての不幸の 大元となってる部分 第1スタートは怠惰 から出発すると

    怠惰というものは毒を飲むよりも 崖から落ちるよりも過ぐ。

    ここまで個人的 私的な意見は 見解は全く述べていません 。

    原始仏典。
    真理教典。
    仏、世尊の説法、
    これらより引用、抜粋。

  6. そう考えると🤔私の主人は私がいかなる状況下でも感情的にならない訓練をさせてくれる存在なんだ💡と改めて思いましたー😄ありがとうございまず😊

  7. 今までの私は感情的になり過ぎていました。反省したら極端な無感情になりました。このお話を聴く事ができて良かったです。正観さん、いつも有難うございます🙏