源頼朝の落胤の忠頼の子の忠明は、忠頼の死後、母方の刈田平右衛門に養育され、15歳のときの建歴2年(1212)に奥州和賀郡へ下向し、二子に城を建て、和賀氏となった。その後、鎌倉期・南北朝期・室町初期にかけて、毒沢氏・春山氏・成島氏・関口氏らが分派し、戦国期に向かっていくことになる。

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