【阪神淡路大震災から29年】母をいまも支える息子からの手紙 生きることの大切さを伝え続け

凝縮された29年があの子にもあったはず なの にってもう 一度29年前に戻ってあの子救いたかった なっていう風にねもう常に思います ね広島市に住む加藤立子さん です阪神淡路大震災で息子高光さんをくし ましためのように 集中加藤高光 さん当時は神戸大学の2年生兵庫県西宮市 の下宿先のマンションで亡くなりまし た広島で暮らしていた母立子さんが事態の 深刻さを知ったのは地震発生のおよそ1 時間後でし た大変な被害が起こってる様子が映像で 出されてそれでなんかびっくりしてもう どうしていいかわからなくって行きたいの に行くこともできないうんそういう中で 本当に部屋の中うおさおしてまし た高光さんの安否が分からないまま翌日 やっとの思いで手に入れた飛行機の チケットで大阪に向かいまし た 電車がずり落ちてましただからえ痛みの方 までこんな状態だったら西宮はもっと ひどいかもしれないっていうこう不安が あの時によぎったの記憶してます けどそれでもあの子はきっと大丈夫 そう自分に言い聞かせながらおよそ4時間 電車を乗りついで歩け ましあの大きな鉄筋コンクリート5階建て のマンションが倒れてるんです からそれはもうほと地獄でし たえと思ってそれでもまだ私は大丈夫だと 思って気場に歩いたんです けど高さんが暮らしていたマンションは 地震 でに高さんは建物の下敷きになり亡くなり まし た帰省していた高光さんから将来の夢の話 を聞いたり一緒に初詣に行ったりと楽しく 過ごした正月のわずか2週間後のことでし た手に触ったらのけぞるように冷たかっ たあの子の手はこんな冷たい手じゃなかっ たってあのあの時の別れ際に握手したあの 手のぬくもりがもう全然消えなかったもん だからお母さんも体に気をつけてねって 言ってスタスタスタとコンコースに消えて いったあの後姿で最後にわっと振り向いて 手振って行ったあの姿が最後でし た心も何もかも壊れてしまっ た高道さんを失ってもう生きる意味がない と感じていましたもう悲しかったです [音楽] ね想像もしてなかったことですからね

まだまだこれからあの子は夢を追って生き ていくっていう私は後ろからちゃんと見 見守っ て自転車通学してたんですよすごいでしょ 私もあの あの 高校です40分 わあ本当だ体育館ですよこれが ねあ向こうがあのあれですね剣道部の道場 があったんかな向こうの屋根 [音楽] が高い目標を立ててそれを実現するために 何をすべきか考える子だったと [音楽] いうに興味を持ち将来必ず留学したいと 語っていまし たそのためにまず日本文化を学ぼうと剣道 にも励みまし たあまりにも思い出が多すぎてあの来ると すごく涙が出てしまうんであまり来なかっ たんですけど あのやはりここであの彼の青春が始まっ たっていうか熱い思いが切ったんですね体 の中 に大学進学後も将来は国際平和に関する 仕事がしたいと勉強熱心で国際交流 サークルの仲間たちにも慕われていたと 言い ますそんな高光さんからもらった大切な ものがあり ます大学入学を前に家を出て離れて暮らす 時にもらった通の手紙です これまでにほんの一時としてあなたの 優しく温かく 大きくそして強い愛を感じなかったことは ありませんでし た私はあなたから多くの羽を頂いてきまし たあなたのそしてみんなの希望と期待を無 にしないためにも力の続く限り飛び続け ます リツ子さんに対する感謝の気持ちと1人で 立派に生きていくという決意でし た最後にあなたを母にしてくれた神様に 感謝の意を込めてと結んであるんですけど ここまで言ってもらったらハーとして やっぱりリと生きていかなきゃいけないっ ていう気持ちにさせて くれるそんな内容の手紙です ね現子さんは懸命に生きた息子の姿や 生きることの大切さについて小学校や中 学校などで語り続けていますみんな それぞれ あの命をこう授かったわけだからその命を 目いっぱい使って欲しいっていう気持ちが あの私の中にはあるんです

ね一寸先には何が起こるかわからない今 思ってるそれを時々思い出して今を大切に 生きてほしいと話しますこれから先って いうのはやはり1日1日をあのしっかり 楽しみながら悔いのないように行きないと いけないなっていうことを今29年目に 感じてるんです ね今息子はどんな風に生きていただろうか 考えない日はありませ ん高道さんに思いをはせながらそういう子 さんは明日震災から29年の朝を迎えます 基礎とし てあの自分の体の中にあったんじゃないか なと思あの手紙に綴られた言葉文章本当に すごい手紙だなと思いますあのどれだけ それまで大学入学までにリツ子さんが高光 さんを大切に愛情込めて育ててきたかで そのことにどれだけ高さんが感謝していた かが伝わる手紙ですしその手紙が 29年間リツ子さんを支えてきたんだなと いうのを本当に強く思いましたねうん本当 ですねあの手紙の内容からそれまで良好な 親子関係だったとかいつ子さんが息子さん にものすごく愛を注いできたっていうのが 本当に伝わってきましたしうんこの震災が 起きたら時間が経てば町は復興していき ますけどでもどれだけ時間が経っても戻っ てこない大切なものっていうのがやっぱり たくさんあるんだなっていうのを映像を見 て改めて感じさせられたのでだからこそ今 できることて言ったらもしそういう災害が 起きた時にちゃんと防げるようにとか対処 できるような備えっていうのをしておか なきゃいけないんだなっていうのを改めて えリツ子さんから教えていただいたような そんな気になりましたねうんだそんな中で の半島自身が起きてしまいまして立子さん は29年前の自分と同じような身の上の人 がまた生まれてしまって辛い思いです現地 にことはできないけれど自分にも何か できることはないか考えていますと話して いたということなんです一寸先には何が 起こるかわからないこの言葉を改めて心得 なければならないなと感じましたここまで 深堀ニュースリグでした

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35 Comments

  1. 穏やかな日常を突然奪われた人達には、何年、何十年経とうとも、その出来事は決して遠い過去にはならないんだね…そして時間は、いなくなってしまった人達を置き去りにして、どんどん流れていくんだね…切ないな。

  2. 神戸大、いまでも外国からの大学生を多く受け入れている。
    グローバルに学ぶには、うってつけだったんですね。
    命は短し、されと魂は燃え続けている。

  3. 震災当時21 歳なら同年代だから、とても切ない気持ちです!優秀な息子さんでしたね!お母さんがお元気に生きておられるのが幸いです!(>_<)

  4. 震災時 大変でした。 お母さん 若い頃 綺麗 などの言葉は 止めて欲しい😓 親の立場から言うと 親より 子供が先に 天国に行くのは 一番辛いので 言葉に気をつけて メッセージ お願いします。

  5. 加藤さん娘麻実が色々お世話になりました。お元気そうで安心しました、麻実も、頑張っています

  6. 広島から大阪まで飛行機あるんですかね?一度東京へ飛んでから大阪入りでしょうかね。

  7. 阪神大震災も1月でした。高速道路が崩落していたので出勤前にショックを受けました。被災地にはベビー用品を送る事しか
    できませんでした。まだ21歳まさにこれからという時の死は無念だったとお察し致します。もう日本中のどこでも震災が
    起こってほしくありません。被災地が増えるたびに何とも言えない無力感を感じます。日本政府には日本は震災の多い
    国なので海外に何兆円もバラマキちらすのはやめていただきたいです。

  8. 貴光さん、良き息子さんです。
    生きていたら50歳、きっと良き父親になっていたことでしょう。

  9. あの日、同じく西宮で被災しました。
    住んでいたアパートは全壊しましたが、断層の向きの差で下敷きにはならず、命は助かりました。本当に一瞬の出来事、紙一重。
    後年、広島で勤務しましたが、安古市高校は超進学校。しかも高い志を持って神大に進まれた息子さん。ご存命ならどんなに立派になられたことでしょう。
    お母様のご無念に涙が止みません。けれど、悲しみを糧に活動されるお姿に、胸を打たれました。
    仕事も半ばリタイアして地元に戻った今は、防災の情宣活動を始めたばかり。
    このお母様の思いを胸に収めつつ、少しでも力になればと願っています。

  10. 阪神の翌日 母が入院中の父のもとに行った 淡路島に住んでたが スーパー は湯桶に何もなかったな 僅かなかき集めて買って同室のかたと少しづつ分け合ったが感謝された

  11. 素晴らしい手紙。悲しいけどお母さんの心の支えになっていると思う。

  12. 素晴らしい息子さん。
    きっと、いまもお母様を見守っていることと思います。
    犠牲になった方々に報いるためにも災害に備えて大切な命を守っていかなければ。

  13. すごい…
    あなたを母にしてくれた神様に感謝なんてなかなかお母さん本人に言える言葉じゃない。
    自分はもう40ですが、未だに母親にそんなこと言えません。
    立派な息子さんだし、強く凛と生きてるお母様も凄い。。

  14. 翔び続けていらっしゃるのですね、天使として。お母さまを見守って。
    本当にそう思います。

  15. 震災の時、津波は防げなくても倒壊と火災を防げばかなり被害は減らせる。居住は無理になっても倒壊しなければいいんだよね

  16. まあなんと美しいお母さん、息子さんもこんな奇麗なお母さんで誇らしかったでしょうね。この手紙はほんとうに宝物ですね。

  17. 今も鉄筋コンでも震災の揺れで倒壊を待ってるかのようなボロい建造物全国至る所にあるよね。