今回は石川数正出奔事件の真相に迫ります。

本能寺の変を起こした 明智光秀との共通点とは?
実は信康事件の延長で起こった事件だった など

なぜ苦楽をともにした家康を裏切ったのか?
近年の研究の成果を元に掘り下げます。

※本動画は「どうする家康」のネタバレを一部含みます。

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0:00​ オープニング
0:51 出奔までの石川数正
3:19 出奔の背景
6:00 なぜ出奔したのか?
9:30 出奔後の家康と数正 ーおまけ:出奔の新説ー
14:39 参考文献のご案内

についてお話しています!
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27 Comments

  1. 大河ドラマを見てからのコチラの動画、詳しい説明ありがとうございました。
    取付の難しさ、責任感、仲間との孤立
    石川数正悩むだのですね。

  2. 大河では徳川家のためにも秀吉と戦ってはならぬと主張し、それを直政たちが秀吉に丸め込まれたと本人の前で言い放っています。どこまで事実かはさておき、自分なりに主家のことを考えていたのにわかってもらえないもどかしさの末の出奔もあったかもしれません。

  3. お疲れ様です。
    松重さんの演技、良かったですね。数正の苦悩が身に沁みました。去り際に、いつまでも殿と一緒です。の言葉に涙がこぼれました。今後ドラマの中では、秀吉の元で何かしら家康に有利になるように動くのかしら。

  4. 明智光秀と同様に、取次の任に当たっていた数正が、成果をあげられずその後の渦中での政争に敗れ存在感を発揮できなくなるという過程が、全く異なる事情ではあっても一種の共通性があって、なるほどなあと思いました。取次役、なかなか高度な難仕事なのですね。秀吉と家康の最終決戦が、天正地震により事実上不可能になったとは、さすが神君家康!家臣だけでなく運にも恵まれていますね。最後の検証されていない新説、とても説得力があって納得です。

  5. ドラマでは数正はいつまでも殿と共にあります!と言っていましたね。秀吉の刃から家康を守るために自らを犠牲にしたのでしょうか…😢

  6. 確かに光秀と同様の立場だったとすれば…の面白い学説紹介有難うございます。大河ドラマでも、

    『徳川家康』では酒井と気持ちを合わせて秀吉の元にスパイ兼任で出奔
    『秀吉』では秀吉の人たらしの魅力により
    『真田丸』では真田昌幸と信尹に騙されて(笑)
    『おんな城主 直虎』では家康が自分が忠義を捧げていた瀬名と信康を殺したから

    と色々な説があります。

  7. 大河はまたコンフィデンスマンみたいに時間を巻き戻すやり方で家康と密談して秀吉の所へスパイで送ったと言う感じになりそうな😅

  8. 数正の苦悩の重さと、家康に個人として抱いている深い愛情と忠義心が伝わってきて、胸がいっぱいになるすごい回でした✨
    松重さん圧巻でした!!ドラマ直後にこの解説を聞けて、うれしいです。

    当時の交渉役の説明、光秀の例も含めてとても分かりやすかったです。
    交渉役って、リスク大きすぎないですか?😅 関係が決裂した時の責めが過酷すぎる…。
    きっと数正は、交渉役を長年務める中で色んなことを見てきて、広い見地を持った人だったんだろうなと思いました。
    息子の代での没落は、あの数正を見ちゃうと悲しすぎますね。
    またライブ配信楽しみにしてます😊

  9. 歴史ドラマ上で石川数正出奔を扱ったことは今まで~稀だったと思いますので、今回の大河に出てきた(しかもかなり正鵠を射たと思わせる描写で)のは大変良かったですね!松重豊さんも好演でした。【補足です】~過去大河で豊臣⇒徳川に係るモノでは結構、題材としては描かれているのですね!皆さんヨク見ていらっしゃる😅

  10. 解説有難うございました。大河では急に気変わりして出奔するように描かれましたが、なにか含みがありそうでした。特に奥さんの表情がなにか知っているようで、、、次回以降が楽しみです。

  11. 秀吉のもとに身を寄せることで、秀吉が天下を取った後も家康に不利にならないように動くためだったのかなとかドラマを見て思いました

  12. 石川数正ほどの頭脳(←ドラマだけで史実はどうなのでしょう?)があってしても最後に勝つのが家康というのを読めなかった辺り、家康の天下は当時の感覚からしても奇跡だったんだろうな…と思います。

  13. 織田信長がいるまでは何とかいけるだろうと思っていたみたいですご、本能寺の変とか色々あり、全体を見てきて、しかも羽柴秀吉との取次をした事で秀吉の凄さを知り、しかも徳川家臣団の中で居場所をなくしていたのも一因かもしれませんね。

  14. 真田昌幸は典型的なマキャベリストですね。
    現代だったら信用の置けない隣人ですね。
    家康さん、さぞはらわたが煮えくりかえっていたことでしょうね❗

  15. いつもわかりやすい解説をありがとうございます。
    ドラマの最後のシーン、家康と教正の主従の絆が深く現れていて、
    今までに合戦で逝った顔、顔、顔、こちらの脳裏にも浮かんで
    涙が流れ止まりませんでした。教正のいつでも殿と一緒です、
    の言葉で、裏切りというより自らが人質として赴いたような気がしてなりません。
    人の愛の表し方は様々だと思いました。

  16. 石川数正の出奔、この歴史の転換時にも【天災】が一つの要因になっていたかも知れないなんて、元寇と言い、何か分からない自然の力が働くのですね~😮 また一つ勉強になりました。ありがとうございました😊

  17. 40年前の大河・徳川家康では、豊臣に入り込むことで、
    徳川を守る意味合いで、数正は出奔?しました。数正役
    は江原真二郎さんでした。
    昨日の「どうする~」でもそういう感じの数正の決意が
    吐露されていたような気がします。
    「敵を欺くにはまず味方から」ということで、仲間たちには
    心中を語らずに豊臣に入った。
    個人的に家康は承知の上のことだったと思います。

  18. 美濃斎藤家の家臣で、織田家との交渉役だった人が、同様の悩みから織田方に寝返ったが、信長が《裏切り者は召し抱えん》と言ったので、秀吉の家臣になった、という人が居たように思います。

  19. 今日もわかりやすい解説ありがとうございました。

    家康との会話、最後の数正の意を決したかのようなセリフ、史実を知っていても痺れました。松重さん凄いなぁ。そしてムロ吉さんがどんどん悪くなってくる😅

    家中で孤立し居場所が無くなった時に三顧の礼で迎えられたら行っちゃうかなぁと、息子のことも考えると尚更ですね。

  20. 徳川家中の石川数正への嫉妬心や妬みを「秀吉につけこまれて有能な人材を失った」

  21. この時期各大名の参謀役が大名に取り立てられたこともあるけど、それと関連があるか。また同様に裏切り者扱いとなったかが気になる🤔

  22. この頃の数正は康輝に改名してたんじゃなかったっけ?

  23. 実際に自分の目で見なければ秀吉の権力の大きさはわからなくて当たり前です。石川数正もそれをよく理解していたのではないでしょうか。いくら口で説明しても伝わらないと。だからそう言う行動に出るしか方法がなかったのかも知れません。

  24. 石川数正が好きです🎵
    徳川家康を裏切って豊臣秀吉の家臣なりました🎵
    理由は、松平信康問題と思います🎵
    武田勝頼公と武田信玄公と徳川慶喜公が一番大好き💓♥️❤️です🎵
    伊達政宗公と明智光秀公と大久保利通と後醍醐天皇も大好き💓♥️❤️です🎵
    浜松城と岡崎城と青葉城と安土城と駿府城と岐阜城と清州城と松本城も大好き💓♥️❤️です🎵
    織田信長と徳川家康と豊臣秀吉と足利尊氏と源頼朝と松平容保が一番大嫌い😭💔です🎵
    石川数正と武田信玄公が松本城を作りました🎵
    石川数正は、いい武将です🎵

  25. 第一次上田合戦の徳川軍の苦戦(まぁ、事実上の敗戦😅)が巡り巡って石川数正を苦境に追い込んでいて、出奔理由の決定打に繋がっていたとは~正に「目から鱗が落ちる!」とはこの事。今までは、ちょっとしたこと・軽い火傷をした程度くらいに思っていたのですが・・・徳川もなるべく対真田敗戦にはスルーしがちではあるけれど・・・それと小牧合戦和睦後の徳川氏再討伐戦計画は天正地震の為に中止したとはいえ、徳川氏信州支配は周囲の秀吉による圧迫と相まってかなり揺らぎ(いわば小牧合戦PARTⅡと言えなくもない)、徳川は軍事的に相当追い込まれていた!と解釈出来そうですね。それだけに数正以外の主戦論(家康公自身の考えは分かりませんが)の頑迷さときたら・・・数正が不憫に思えてしまいます😢

  26. 他の人の動画にもコメントさせていただきましたが、数正の出奔を理由に武田式軍法に切り替えるってのがわかるようでわからないのですよね…
    武将の裏切り調略なんて当たり前にあった戦国時代で、軍法の漏洩を危惧したエピソードってこれだけですし、
    (それこそ関ヶ原とかでは家を二分して敵味方やってるところありますよね、真田さんとか)
    武田式に切り替えたところで、秀吉傘下には武田の情報を持っている人間も多数いたはずです…

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