市川中車、父・猿翁さんへの長年の思いを告白 過去の確執も明かす「私の息子じゃないと言われた」

ご多忙の中お集まりくださりえ感謝 申し上げますありがとうございます本日え 小高屋送る会大変多くの方々にご喧嘩を 賜りましてえ滞りなく無事にえ式が終了 いたしましたることまずご報告申し上げ ます 昨年 の5月18日に叔父男子郎が そして9月の13日に父炎王が旅立ちまし た共 に我々小屋は公演の最中でございましたの でご縁の深た方々関係者の方々ゆかりの ある方々 とのお別れが十分に叶わないままあ来て おりましたしかし本日ここに本当に多くの 方々にそのお別れをしていただくという ことができましたあること改めましてえ 本当に心よりえ感謝申し上げます ありがとうござい ます え1つどうしてもうちの家を語る時に 避けて通れない話をしたいと思っており ます私が生まれる2年前1963 年私の総祖父に当たります初代の王先代の 炎王が6月12日に亡くなりましてその後 後を覆うように私の祖父仙台の男子郎も 11月18日に亡くなりました19年で王 郎は店に行きまし たえそれ からちょうど60年を経た2023 年また炎王と男郎は同じ土地に旅立って しまいました私たちは田としてまた60年 たって当時23歳1963年に23歳の父 16歳のおじ男史郎が残されたその時と 同じ気持ちで今また1からやり直そうと いう気持ち で公演に向かっており ます幸い父や叔父の元で検算を積んだ役者 たちが田屋にはいっぱいおり ます私は本当に微力なものでございますが 彼らと一緒に 再び小を60年に1度来たまた この地変に立ち向かっていこうという決意 を持っており ますどうか今後 とも重を温かい目でお支援くださります よう心よりお祈り申し上げます昨年のこと も含めまし て私どものことで皆様関係者各位の方々 多大なるご迷惑をおかけいたしましたこの ことに関しましても改めまして深くお詫び 申し上げ ますえ本日はえ多くの皆様方からえご言を いただき本当にありがとうございまし た改めまして祖父が多くのえ皆様に愛され

ていたかいたかそういうことがよくわかり まし た改めまして感謝申し上げ ますよろしいですかはいどうぞ改めまして 本日そのお別れ会をやられまして改めてな んですけれども王さんへの思い出というの を使せていただけます かそうです ねまこれは本当に昔のことなのでもう事項 なのでその時に僕は色々な人 をま怒らせてしまった僕の行動があるんだ けれどもそのことについて男子の王子に とってもに対しても思い出となるので1つ エピソードを言わしていただければ 1990年だったと思うんですが私は非常 に父と縁が薄く人生を育ってえきており まして25歳になる年でしたがえ父と1度 も会ったことがない えもちろん 歌舞伎の道にま一歩たりとも入っていない 違う人生を歩んで当時俳優になっていまし たけれどもこのままでは父と会う機会が もうないのではないかと思いある日本当に 本当にある日思い立っ て今日会わねばいつ会うんだという気持ち で父のことも一文のことも当時考えずに 自分のことだけを考えて1990年の春 だったと思いますが父に会いに行こうと 決意した日がございましたえ当時父は従業 中でその日は沼津の市民 会館公民官でえ従業の講演がございまし た車で運転をしていきまして沼津の会場で 僕 は一問の皆さん本当にびっくりされた顔を される中花束を持って父に会いに行って お父さん産んでくれてありがとうという ことをどうしても伝えたいと思って会いに 行った日がござい ますま公園の途中なので当然晴天の霹靂で 父はびっくりえして今となってはとても 当たり前のことを言われたんですがえ控室 で2人きりに昼夜の間になりましてえまだ 紛争を解いていないかったと思うんです けれども父が白塗りをしたまま私の前 で非常に怒りましてあなたは私の息子じゃ ないあなたと別れた時から私の人生は 始まったあなたは息子でも何でもない帰り なさいということを非常に冷静に伝えられ た日のことを昨日のように覚えています もう34年も前のことでございますしかし 僕はそれを聞い てあなたのことを愛してるという風にしか 僕には聞こえなかったんですなぜか 僕は非常に泣きましたそこで彼のあなたは 私の息子じゃないという言葉を聞きながら

本当に涙をして愛してると言ってくれてる ととても不思議な経験なんです がそして父は怒ったまま帰ってきました僕 はあこの人にあえて良かったと思いました 言え違うよう に男郎の叔父が入ってきました父とは全く 違う態度で男史郎のじ はにっこり微笑んで私に向かってよかった ねよく会いに来たよかった太陽のような 笑顔で微笑でくださいまし た父は本当に北風のように私に強烈な風を 浴びせ男史郎の叔父は太陽の温かい本当に 光を僕に浴びせてくれましたしかし2人 ともなぜか僕のこと を愛していると言ってくれてるような気が いたしまし たまその後僕が歌舞伎の世界に入るまで とても時間は要するわけです が今日父と男史郎を同じ年になくしてこの 送る会をして改めてその日のことを 思い出しますもしかしたらそれは僕の人生 にとって1番幸せな日だったと言えるかも しれませんそれほど男史郎のじと父炎王の 対象的な態度は今でも覚えていますそして 加えるならその日はえ父の吉 千本桜の公演がその後沼津でございまして ま皆様もよくご存知の通り子供の狐子狐 が狐た佐藤たに化けて包みになった自分の 親のことを非常に慕うという演目でござい ます親子の幸愛の話でございますあれだけ 怒った父が舞台場でずっと泣いていた泣い てただを務めていたということも後から 聞きました後から1問に聞きましたこの話 をもう事故だと思うので今日は最後だと 思って皆様の前でさしていただこうと思い ましたまちと男子は後ろから今天から見て いますけれどもあの時本当にどう思ってい たかは分かりませんただ僕はあの日のこと は忘れられないし今思い出はありますかと 聞かれたらこの1 点しかむしろないこの1点だという風に 集約されてると思っておりますうんさんに とってさでどんな存在だったんですか偉い すぎて本当にもうまばゆく てまずあったことがもう全くない人だった ので本当に自分の中では解釈ができない人 でした父が病気になってから何度か何度か 藤紫先生に間に入っていただいてご人力 くださって合わしていただくようになっ てそれからようやくあこの人は本当に痛で ものすごく怖い人なんだなということが逆 に分かっていたぐらいもしかしたらあの他 よりも遠い距離だったところから始まった 関係かもしれませんえ祖父はえどんな時で もえ私に勇気を与えてくださる存在でした

また男史郎の叔父はえいつも優しく声を かけてくださいました今日本当に多くの 方々からあこの会を催してくださって ありがとうございますそしてえお父様おじ 様より何より勇気をいただきましたえ力を いただきましたえ笑顔をいただきました 明るさをいただきました本当にありがとう ございましたというお声をたくさん聞き ましたやはり父と王子は一文を背負い ながらこれだけのことを多くの方々に本当 に伝えてそして影響を持っていたんだなと いうことを思いを新たにいたしました そしてまた僕たちもこの思いを新たに父と 叔父の精神を継いでなんとか僕は本当に 美力もでもう本当に力がありませんけれど も一問の皆様の話を聞きながらえ息子を しっかりと育てていくということを目標に おきましてえしっかりと前に向いていき たいと思いますどうかどうか引き続きの 本当にえごご指導のほどをよろしくお願い 申し上げ ます

昨年83歳で死去した歌舞伎俳優の市川猿翁さん、73歳で亡くなった市川段四郎さん兄弟の合同お別れ会「澤瀉屋 送る会」が28日、都内ホテルでしめやかに営まれた。約700人が参列し、故人を偲んで白いカーネーションを献花。式後には市川中車(香川照之/58)と長男の市川團子(20)が取材に応じた。

猿翁さんは1968年に浜木綿子と離婚。中車は、母・浜の元で育てられた。改めて父・猿翁さんとの思い出を問われた中車は「1990年、父と縁が薄く人生を育ってきた。25歳になる頃でしたが、父と一度もあったことがない、もちろん歌舞伎の道に一歩たりとも入っていない。違う人生を歩んで、俳優となっていました。このままでは父と会う機会がないのではないのかと思い、ある日思い立って“きょう会わねば、いつ会うんだ”という気持ちで父のことも一門のことも考えないで、自分のことだけを考えて、父に会いに行こうと決意した」と回想。

念願の初対面は壮絶な一幕となったという。中車は「父は怒り『あなたは私の息子じゃない。あなたと別れたときから私の人生が始まった。あなたは息子でもなんでもない、帰りなさい』と非常に冷静に伝えられたこと、きのうのことのように思い出します」と語る。

しかし「ただ私には“あなたのことを愛している”としか聞こえなかった。僕はそこで泣きました」と中車。その後、叔父にあたる段四郎さんとも対面を果たし「『よかったね、よく会いに来てくれた』と太陽のようにほほ笑んでくれた」という。「僕の人生で一番幸せな日だったかもしれない。それくらい2人の対照的な態度は今でも覚えてます。この話を時効だと思うので、きょうは最後だと思ってに話させていただきました」と明かしていた。

23 Comments

  1. 香川さん、歌舞伎だけでなく、早くテレビドラマにも戻って来てください。#99.9-刑事専門弁護士-待ってます💕

  2. 市川中車さん(香川さん)
    朝のテレビ番組から離れてから
    いろいろありましたね。
    ちょっとお老けになられたような気がします。

  3. 60年後に同じ市川猿扇と市川段四郎が相次いで亡くなるとは不思議な因縁ですね😮

  4. いろいろありましたが、香川さん役者として日本に必要な方だと思います。

  5. うちも父と縁が薄かったので、香川さんがどうしてそんなに父親や歌舞伎にこだわったのか不思議だったので、インタビュー見れてよかったが、やはり凡人の私には分からない。香川さん、すごいな。

  6. あの騒動の後、中車さんが6月ひとつき代役で勤めた時、千穐楽の幕引きで大当たりって大向こうかかってて泣きそうになった。歌舞伎が上手い下手とかじゃなくて、やっぱり役者としてすごいと思う。気迫がね。

  7. 中車さん、苦しい親子関係でしたね。それが東大入学、演劇の世界での成功に繋がったのかもしれません。波瀾万丈ですが彩りのある人生ですね。ここからの集大成楽しみにしてます。

  8. 香川照之は再婚して娘も生まれたんだから頑張らんとね。VIVANTの続編出て欲しい😊