▲戦国北条フェスティバル▲
日時 2024年1月7日(日)13:30〜16:00
会場 ライブ観覧(リアル):ポニーキャニオン本社3階イベントスペース(オンライン配信も予定しています。)  
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#歴史 #日本史 #大河ドラマ #どうする家康 #徳川家康 #豊国大明神 #二条城会見 #大御所政治 #解説

27 Comments

  1. 今回の「2人のプリンス」というタイトルは『秀頼と秀忠』だけでなく、『(かつての)家康と氏真』にも掛かってましたね。中々粋なタイトル。

  2. 今回は、家康と秀忠の対話が素晴らしかった。父ほどの才もなく取るに足らぬ自分は、秀頼に比べ明らかに劣っていると言う秀忠に、家康は才は受け継がれていると説く。自分の弱さを素直に認められることこそが、強みだと。かつて武田信玄の家康評が、同様だった。ひ弱で臆病だが己の弱さを正当に自己評価している。それは、今川氏真が父義元から言われた”天賦の才なき者が武芸学問に励むことにより、いずれ才ある者を凌ぐ”と同義だ。戦を求める者に天下を渡さず、王道による治世への志を秀忠に託す家康の姿は、義元、信玄、信長を経て戦国期の集大成のように感じた。弱き子だった家康が父となり同じ悩みを持つ秀忠を諭す場面が、時の流れと父と子の”入れ子構造”も表していた。老いの身である家康が、若さの象徴である秀忠、秀頼に対し願った”あるべき世の姿”だとも感じた。大河ドラマ前半部と後半部が見事に響き合う協奏曲のような構成、”戦なき世を作る!”という主題テーマが基調として繰り返し現れる秀麗な演出だと思う。

  3. 相手の本拠地に赴かず自領に籠もっていたばかりに相手の実力を見誤り無謀な戦を仕掛けようとする。
    皮肉なことにかつて秀吉に対して家康が犯しかけた過ちを秀吉の息子の秀頼がなぞるような形になってしまいましたね。
    片桐且元は秀頼にとっての石川数正になれなかった。

  4. お疲れさまです……、エンコード時間がかかっちゃったのかな……?

    こんな深夜にお疲れさまでした〜✨💦

  5. 北条フェスティバル
    興味深いです!

    まさかMummy-Dさんと武士道さんがコラボするとは!
    思いもよりよりませんでした😳

  6. 本作は従来の通説からかなり逸脱するので、動画制作大変ですよね💦
    お疲れ様です。

  7. 「神の子」であるはずのまーくん(田中将大)も近年はかなり厳しいピッチングで見ていて辛いですね。

  8. 二人のプリンスの対比も面白かったけど、やはり元プリンスの氏真が幸せそうで嬉しかったです。

  9. 今回は個人的に『どうする家康』全話のなかで一番好きだった。カリスマ性がない秀忠の苦悩がつらすぎた。

  10. 深夜の動画アップお疲れ様でございます♪
    今回の動画とは、あまり関係ないですが、「三河•遠江•駿河」の長(オサ)の時代に、家康は「殿」と呼ばれて当然です。
    が、1603年に征夷大将軍となってからは「上様」と呼ばれて然るべきなのに、ドラマの中でも 相変わらず皆んなが「殿」と呼んでいますよね。
    そして1605年に将軍を秀忠に譲位した後は「大御所」と呼ばれて然るべきなのに、皆んな「殿」と呼び、唯一 秀頼のみが「大御所」と呼んでいましたね。
    と、同時に秀忠は「上様」と呼ばれて然るべきなのに「殿」と呼ばれているのは可笑しいですよね。

  11. 方廣寺の鐘銘ですが、私は長らく「徳川側の言いがかり」だと思っておりました。
     が、今年の大河が家康なので、皆さん(歴史の研究者も含めて) 家康関連の動画を多くアップしていますね。
     それらを拝見•拝聴していると、どうやら寺の鐘銘などというものは、よくよく吟味してから彫るものなのだそうで、天下をとった人物の諱を分断する様なことは 極めて無礼なのだそうで。
     で、家康が立腹するのも当然なのだそうですね。
     つまり豊臣は、解っていてワザとあの様な鐘銘を刻んだのだとか。

  12. 上座の譲り合いは今回のクライマックスシーンと思えるヒリヒリする緊張感があって一番面白かったなあ。
    (個人感想です)
    秀頼の賢さが遺憾なく発揮されて、是は家康にとってこの若さでこの胆力は脅威かつ危険に感じたのが良かった。

  13. 豊臣秀吉が当時の人達からは【神】として慕われていた。
    という件は
    説明も分かりやすく、的を得た視点だなと感心致しました。
    どの動画も良く時代考証がなされていて、本当に毎週楽しみです❗️

  14. 三浦按針への改名イベント+船作りで丸々1回使って「鎌倉殿」とのリンクして欲しかったなぁw
    (三浦義村も後の世に異国人が家名を継ぐなんて思ってもいないだろうしw)

  15. 今回も解説ありがとうございます。
    豊国大明神の重み、家/康 の無礼さ加減等、当時の文化価値観を理解しないと見誤ってしまうので、こういう所の解説は本当にありがたいです。
    まだまだ頼りない秀忠も今後成長して家康の大事業を継いでいくのは我々知ってるんですが、如何せん今作では尺の問題で厳しいかな~、と。ちょっと残念ですが「どうする家康」なので仕方ないw
    茶々の今作での挑発行為、家康から攻めさせて義を得る、とでも考えていたのではないかと思いますが、例え主→従であっても 家/康 ってとんでもなく無礼な事だとすれば流石に義が立たないかなぁ…

  16. 「えっちなのはいけないと思いますッ!!」 ← たぶんお目当ての女官が乱パに参加してた

  17. どっちが上座か?じゃなく、上座に座った方の負けって駆け引きは面白かったなぁ 「気品とカリスマの卵故に家康に危機感抱かせる」って造形が今までの大河の秀頼像で多かったけど今作は「策士」という点で「これはまごうこと無き秀吉の子だ…」って危機感抱かせるタイプの秀頼でしたね。謙譲に見えた詭計(徳川視点)はまさに覇道の徒。王道と相容れない…

    秀忠は毛利隆元と絶対うまい酒飲めそうなキャラだったなぁ→「父上が偉大過ぎてしんどい…」「わかりますぞ…」 でも己の弱さを知るという点で君主として120点なのも面白い

  18. ますます面白い展開の、どうする家康が、楽しみな、私です。最終回迄に全部観ます。わくわくドキドキしながらね、

  19. 5:45あたりの「ドラマの加藤清正の真意も」と、史実とキチンとわけながら、ドラマの中の裏の気持ちを汲み取る、という姿勢に感心しました

    「いちばんわかりやすく説明できるのは私だ」ぐらいに自信を持っていろんなイベントにも参加してください〜、 がんばれ!

  20. 私は加藤清正は豊臣と徳川を拮抗させる事で緊張状態を作り出してそれによって自分の存在価値を高めようとしたんじゃないかなと思っています

  21. 民百姓を思えば家康ほど徳をもって治めた人間もいないわけですがこれを語る人は本当に少ないですね

  22. 清正は秀頼護衛と言うのは建前で二条城に連れて行くための方便って感じですかねえ

  23. 「俺には無理!お父ちゃんのパワーか通用するうちに蹴りつけて!」
    って言える秀忠もそれはそれで才能だと思う

  24. 秀頼側がそれなりに家康に対して準備をしていたのは、やはり秀吉も三法師の後見と言いつつも乗っ取った(?)わけで、自分たちがそうしたからこそ相手もそうするだろうと思うのは自然。当時は京都や大阪が中心なのだから、いくら家康が大御所で関東で250万石あろうとも、やはり地方の人なわけです。流行や噂だって西が発信源のことも多いはず。江戸なんてまだ開発中で田舎だし。そうなると首都圏にずっといる秀頼はやはり政治的にも有利だし、家康にとって邪魔ですよ。インターネットもない時代だから物理的な距離は大事だし、中心地に秀頼がいることは意味があるってことですね。

  25. 浅井家には、茶々が産まれた記録がないため、そのへんも家康なら知っていた事情がありそうです。

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