鎌倉に源頼朝が草創した幕府は、後白河法皇にはそれなりに評価されていたようですが、次世代の最高権力者である後鳥羽上皇からは、目の敵にされていたような節もありました。
パラダイムの変化を理解しない人はどこにでもいるもので、白河あるいは鳥羽院政の延長線上で、夢よもう一度的な方向性で京都の朝廷に、全ての力を結集しようとしたのが、後鳥羽上皇ということになるのでしょうか?
ただし、この後鳥羽上皇が、他と違うのは、芸能や武芸に関して手を出したものについては、ほぼ名人の域に達する器用さと賢さ、身体能力を誇っていたということでしょうか。

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▼目次・チャプター
00:00 最盛期の院政の再現を目指す人々
02:20 鎌倉幕府の混乱
04:08 後鳥羽上皇の強烈な個性
06:13 鎌倉への影響力強化を狙う後鳥羽上皇
08:55 実朝暗殺=源氏直径断絶と後鳥羽上皇の意識

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