2000年に起きた英国人観光客ルーシー・ブラックマン失踪事件の波乱に満ちた捜査の内幕を、警視庁捜査一課の刑事たちのインタビューを通して描いた長編ドキュメンタリー。
『サムライと愚か者〜オリンパス事件の全貌』で日本の企業文化に鋭いメスを入れた山本兵衛監督が、事件解明のためにすべてを捧げた刑事たちと、捜査のあらゆる局面で彼らを翻弄した犯人の卑劣な犯罪を浮き彫りにしていく。

Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』7月26日独占配信スタート
http://netflix.com/title/81452288

チャンネル登録: https://bit.ly/2S1vSXh

Netflix公式SNS:
➡️TWITTER: https://twitter.com/NetflixJP
➡️ANIME TWITTER: https://twitter.com/NetflixJP_Anime
➡️INSTAGRAM: https://www.instagram.com/netflixjp
➡️FACEBOOK: https://www.facebook.com/netflixjp
➡️TIKTOK: https://www.tiktok.com/@netflixjapan

11 Comments

  1. うわーコレやるのか。
    Netflixスゲェな。
    日本のテレビ観なくなるはずだわ。

  2. 英国人(先進国の白人)じゃなければ、これだけのニュースにならなかっただろうな。

  3. 当時、逮捕された男の画像が、若い頃の(中高生時代の詰襟姿のモノか、青年期の大きなサングラスで顔を隠す様な白黒写真)のモノしか報道されず、違和感しか無かった。
    (男の出自がアッチ系とか、不確かな情報が流れたりした。只、かなりの資産家で有る事は確からしい。)

    【NETFLIX】には、”弱腰”の日本メディアが、当時突っ込めなかったor突っ込まなかった、事件の”暗部”を是非、深堀して欲しい。

  4. こういうのは見てもよい。。馬鹿芸能人が出るのは見ない。。

  5. 僕は事件当時、読売新聞社会部に所属してこの事件を失踪事件として扱われていた時から取材しました。殺された女性たちの家族とも親しくなって犯人への怒りが消えていません。(若き僕が予告編に出ています)本来、犯人は未必の故意という観点から殺人罪で起訴すべきでした。外国のマスコミは警視庁の捜査をよく批判しましたが、ドキュメンタリー映画の基盤となっている「刑事たちの挽歌―警視庁捜査一課「ルーシー事件」(著者・髙尾 昌司)を熟読すればいかに捜査一課の刑事たちは苦労したのかよくわかります。だたし、警視庁は性犯罪や夜の街の女性たちを軽蔑する傾向もあって犯人を10年以上も野放しにしていた事実もあります。90年代でも捕まえる機会を見逃していました。番組そのものは、刑事たちが実名で登場しており、捜査過程を証言することは極めて珍しいもので、比類のない「True Crime]ドキュメンタリーとして傑作です。また監督が被害者の遺族への配慮も尊敬します。

  6. “犯人は1952年、大阪府生まれで、在日韓国人の親を持つ貸しビル会社社長。貧しい移民から不動産会社・駐車場・タクシー会社・パチンコ屋の経営者となった父を持ち、裕福な環境で育った。17歳のときに父を亡くし、2人の兄弟とともに莫大な遺産を相続した。『黒い迷宮─ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』の著者リチャード・ロイド・パリー氏は、貧しい移民から裕福になった家族のもとで甘やかされた経歴がこの犯罪に影響を与えた可能性を示唆するが、「同様の経歴を持つ人は多い(“But there are many people with similar backgrounds”)」ためこれだけでは犯行の原因は説明できないとする。

    慶應義塾高等学校入学とともに単身上京し、父親から与えられた田園調布の家政婦つきの一軒家で生活していた。高校在学中、1969年頃からアルコールやクロロホルムや睡眠薬の使用による昏睡レイプを始め、1995年まで209人の女性に対する性的暴行をノートに記録していた。1971年に韓国籍から日本国籍に変更。

    高校卒業後、慶應義塾大学への内部推薦を辞退し、駒澤大学への在学を経て3年間アメリカ合衆国やスウェーデンに遊学した。当時、カルロス・サンタナの知遇を得たと自称している。1974年ごろに日本へ帰国し、慶應義塾大学法学部の法律学科と政治学科を卒業した。

    30代以降に家業の駐車場経営や不動産業で成功し、総資産が40億円に達した時期もあるが、2000年に本事件で逮捕される前にはすでに事業で失敗していた。1999年には自宅を一時的に差し押さえられたほか、逮捕されるまでの18ヶ月間に複数の所有物件の差し押さえを受けていた。この間、1983年には前方の自動車に追突する交通事故を起こし、1998年には和歌山県白浜海岸で女子トイレの盗撮事件を起こしてそれぞれ罰金刑を受けていたほか、1998年以前にも同様の性犯罪による逮捕歴があった。

    犯人は21歳まで韓国籍だったが、21歳のときに日本国籍を取得した。有罪判決を受けたのが民族的な被差別マイノリティだったことについてリチャード・ロイド・パリー氏は不用意に出自と犯罪を結びつけることは「人種差別主義者と同じ」だと警告した上で、「日本のニュース機関というのは、どうも在日外国人などの出自の問題になると、非常に神経質になる部分もある」と指摘し、「在日韓国人であったことと、事件の犯人であるということは、すべて並列な事実の中の一つであって、その事実を読者に知らせるために、それぞれ述べることに関しては何の問題もありません」という考え方を示した。パリーは「ただ、彼が日本という国で生まれ育った人間であることを考えると、その意味で日本にも何らかの原因はあるのではないか」とも述べ、該当事件の捜査に関する日本警察の無能さとともに、犯人の出自に関する報道状況に関して「日本社会にはタブーがあるとも気がついた」とコメントした。日本のTV報道では家族構成も含めて全てが謎の大富豪と逮捕後も報道され続け、民族的出自を初めて報じたのは起訴直前になっての雑誌報道だけであった。” Wikipediaより

Exit mobile version