▼謙信×信長 手取川合戦の真実 (PHP新書)
https://amzn.to/444jqbB
■関連動画
『長篠の戦い』信長は謙信の策略に嵌っていた……?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
【目次】
00:00 ご挨拶
02:41 長篠の戦い(設楽原の戦い)通説
07:03 武田の騎馬隊突撃
12:31 武田四天王全滅に関して
12:55 乃至先生のご考察①
23:31 「武田根切り」宣言する信長
26:14 信長の戦術
31:25 酒井忠次の奇襲作戦
33:44 乃至先生のご考察②
40:17 武田軍総崩れ
45:37 エンディング
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
◆ミスター武士道著書
家康日好評記発売中!
https://amzn.to/3Fm3QOJ
◆チャンネル登録はこちらからお願いするでござる!
https://www.youtube.com/sengokubanashi?sub_confirmation=1
◆サブチャンネル『ミスター武士道ch』
https://www.youtube.com/channel/UCp1o7vb0aWiashQAgmL9XDw
◆戦国BANASHIの公式Twitter
◆戦国BANASHI公式サイト
https://sengokubanashi.net/
※参考文献リンクURLはAmazonアソシエイトのリンクを使用しています。
■協力
株式会社メディアエクシード
https://mediaexceed.co.jp/
#どうする家康 #戦国時代 #歴史解説 #徳川家康 #織田信長 #武田信玄 #武田勝頼 #眞栄田郷敦 #五徳姫 #岡崎体育
40 Comments
説得力ありますね。 勝頼、馬鹿で無くて納得。 ありがとうございます。
フロイスら宣教師からローマの古代の戦いについて教えてもらってて、もしくは文献を手に入れて学んでて、その戦いを模倣したのでは?とも考えましたが、いかがでしょうか?
乃至先生の素晴らしい解説ありがとうございます。偶然にも回り込み作戦構想は私もいけるのでは?と思いましたがその後の敗走をさせる後方から一斉射というある意味。正面攻撃
─回り込み誘因攻撃ー敗走攻撃と長篠方面からの包囲攻撃が待っているという『三段構え』があったのなら『根切り作戦』といえる作戦だったんだんだろうと思います。三方ヶ原合戦でよりさらに高度な展開を想像できて楽しかったです!MR武士道さんもありがとうございました!
武田びいきの自分としては、設楽原は悔しい戦いだけど、先生の説を拝聴し、救われた気分ですね。
信長は好きな武将ではないけど、認めざるを得ないですね。
織田軍は馬防柵の前から馬防柵の後ろにどうやって逃げたのでしょうか?
馬防柵に切れ目をつけていたのでしょうか?
信玄なら即時撤退! したふりを見せて、信濃の奥深くの鉄砲使えにくい場所で待ち構えて、ゲリラ戦を仕掛けたでしょうね。
実際現地を歩いてみて、織田方からみて右翼に名だたる武将の墓があり目立たない農家の裏にも墓が点在していました。多くの兵が散らばって勝頼を逃がしたのでしょう。
痛ましい総崩れの様子がわかりました。ありがとうございました。
武田軍1万5千の内、1万が討ち取られるという大敗北の事実を説明するために、馬防柵・三千挺の鉄砲への無謀な騎馬突撃を繰り返した無策な勝頼というのが後世の作家や歴史家が作り出したイメージでした。
しかし、現在も残る設楽原合戦場を見ると両陣営がたった250mほどしか離れておらず、しかも当時から田地であり畦道しか通れない状況で、騎馬突撃なんかあったのかと疑問を持つ人もいたはずです。
今回、乃至政彦先生の熱気のこもった解説でとても合点がいきました。ぜひご著書を読みたいと思います。
この話を聞くとドラマでもそれなりに最新の研究を反映させてたのかなと思いました。
ただ、やっぱり騎馬突撃と三段撃ちは男のロマンで描かずにはいられなかったんですね 笑
歴史ドラマを否定するつもりは毛頭ありませんが、嘘も百回言えば真実になるという偉人の言葉が頭に浮かびました。馬防柵の後ろから鉄砲を浴びせ、あれよあれよという間に武田勢がやられてしまう。数々の映像作品で何度も何度もそんなシーンを観て、それが当たり前(真実)のように錯覚していました。歴史ドラマの考察がこんなに面白いと思ったのは初めてです🎉🎉🎉
金床戦術をよんで、鉄砲で包囲戦を行ったであろうとのことですが、その場所から当時使われた弾丸などは見つかっているのでしょうか?
長篠合戦の本来の姿が見えてきて合点がいきました。真田幸村の例えも分かりやすく、想像もしやすかったし、もしかしたら真田幸村は、長篠合戦を模して最後の戦いをしたのではないかを妄想してしまう程でした。洋の東西を問わず天才的な戦略をする人は最強であり、その後の運命もまた然り。
織田軍の兵力10万、鉄砲1万挺説は驚愕しました。
逃げたら一つ、進めば二つ!前に出るしかなかった
なるほど、私も周り込めばいいんじゃないかと思ってたんですが、信長はそれを上回ってたってことですね。これまでの長篠の戦いの解説で1番腑に落ちました😊
合戦は,勝頼が賛成 重臣が反対 →大敗 撤退戦 →織田,徳川に大損害をあたえる 勝頼 = 無能 重臣 = 有能 の構図 おかしくないか ? 実際 合戦での被害数と撤退戦の被害数の検証は,出来ないでしょうか ?
8時間繰り広げられたとも言われる合戦について、実像に迫る解説ありがとうございました。
一点、信長が実際その大軍を隠し切れたか(武田方の偵察が機能しなかったのか)についてはまだ疑問の残るところという気がします。
横に広がらないで、馬防柵の末端から侵入して攻めれば勝機あり?
単に鉄砲で撃たれて死ぬだけの戦いで8時間もかからない。
我々は織田軍数的有利だと分かっていますが、勝頼からすれば織田軍は立てこもっていて少ないんだろうから勝てるんじゃねと思ったのでしょう。
どう見えていたのか? どの位 隠れているか 分からない武田軍だろう。 一点 突破を考えていた城攻め ではないか? 徳川勢を切り崩す作戦、鉄砲が途切れたら 突撃 が定番なのだろう。 繰り返して 消耗した武田軍。負け始めて 殺戮状態で 大敗北ではないか?
こういうところを観たいのよ
それを有耶無耶で済ませるから
違和感しかない
合戦に力点をおかないなら
戦国時代を扱わないで欲しい
この見方だとヤンマガ連載のセンゴクでもこの流れ方で描いているね
解説分かりやすい
特に、政治面で上杉との関係に注目したとても有意義な解説でした。
ありがとうございました!
ただ、途中で武士道さんも質問していましたが、結局なんで上杉は気が変わったのか、その理由は議論されず、腑に落ちていません、、
ご説明のとおり、義昭の追放後、織田との同盟を継続したのは、幕府の権威より武田への攻撃を優先したからだと思いますが
その後、義昭の懐柔で気を変えたのなら、結局武田の攻撃は諦めて、幕府権威を優先したことになると思います
でも、上杉にとって織田は現実的な利害関係の不一致は特段ありませんし、隣接する武田の脅威の方が依然大きく、過去の経緯から義昭の権威下で武田と現状維持を保てる、保ちたいと思って妥協したとは信じがたいです
上杉がどういう背景で旧体制の保守を優先したのか、有識者の方にぜひ教えていただきたいです
徳川軍の後ろから回って包囲されて、、という話は聞いてはいましたが、ホワイトボードで実際に説明いただいたのでその惨敗の様子がよくわかりました。
そして謙信のたぬき親父っぷり!笑 少なくとも黒幕ですね。楽しく拝聴できました。有料レベルです。
謙信にも興味が出てきたので、先生のご著書、読んでみたいです。
誰がなんと言おうと、勝頼はアホ
先生の説は説得力があって素晴らしい!
織田陣は少なくとも見かけ上には横列の陣形ですから、武田軍が側撃を試みて横に回ったとするのは寧ろ当然で、これまでどうしてそうしなかったのか解説が無いのが不思議でしたから腑に落ちた所もあります。
一方でこの動画での御説明にはやはり不明な点も有ります。
武田軍が思い切って二手に別れて北側に取り付かなかったのは何故でしょう?
中央が開いて長篠城に織田方が進んでも長篠城の守備隊には加勢する余力は無かったでしょうに。
やあ 乱世乱世 出演料払えるほど儲けているとは いいことだ!
とても興味深いお話でした!
勝頼は馬鹿だとか、クズとか言われてたけど、そうじゃなかったというのは理解できました。どうする家康では織田、家康連合軍3万と言われてましたが、10万いたのではないかと、しかも鉄砲も3,000ではなく万を超えていたとなれば、武田軍勝ち目ないですね•••。信長圧倒的じゃないですか( T_T)
改めて織田信長の凄さを実感する動画でした
大変面白かった。勉強になりました!
納得のいく推理だと思います。設楽原ではあまり銃弾が出土していないという話があ
りますので、激戦地と思われるもっと南方を捜索してみては如何でしょうか。
鉄砲3千も無かったとかいう話は聞いたことがありますが万というのはとんでも論に聞こえます
ましてや織田側だけで10万の兵となると隠れて布陣できたのか疑問に思えてしまいます
乃至政彦先生説が正しいとすると、武田は織田・徳川の兵力を正しく察知していればこの長篠合戦は避けることができたとなる。ごまかせた織田の作戦勝ちか。さあどうでしょうか、武田の情報収集が甘すぎたかな。
長篠設楽原合戦の長年の疑問が氷解しました!勝頼はやはり凡将ではなかったし、山県昌景ら猛将が左翼に布陣して討死した謎も解けました。そして信長がカエサルに並ぶ戦の天才だということもわかりました。乃至先生のボードを活用した説明がすごくわかりやすくて納得です。素晴らしいプレゼンありがとうございます!この説に基づく映画ができれば面白そうです。
乃至政彦先生説が正しいとすると、武田は織田・徳川の兵力を正しく察知していればこの長篠合戦は避けることができたとなる。ごまかせた織田の作戦勝ち??さあどうでしょうか、武田の情報収集が甘すぎたかな。
センゴクの長篠と一緒だ。
織田信長の鉄砲で皆殺しはあってた
ストーリー的にはかなり説得力があるなあ。
寡兵が馬防柵を作って積極的に攻めないのは、鳶巣山から注意をそらして武田本隊を引き付けるため。
その鳶巣山が落ちたことで武田は別動隊の存在に気付く。
別動隊があるということは、本隊が想定より手薄の可能性がある(そうとも限らないけど)。
そうなると撤退より突撃の選択肢も出てくるし、攻めるなら側面を崩すのは常識。
側面を狙うために機動するのはまさに騎馬隊の役割……と繋がってくる。
乃至政彦氏、存じませんでしたが深い考察に引き込まれました。
いろいろな動画解説がありそれぞれが素晴らしいと思いますが、今回の納得感は大きいです。
私自身武田の突撃はなかったと思っていました。
昔の歴史本などにも鉄砲よけの竹束を使って城攻めを行っていたと解説されており、城と同等の馬防柵(砦)に自殺的な突貫を行うのは不自然に感じています。
連合軍は数を少なく見せていたという見方は彗眼だと思います。
乃至氏の解説通り、馬防柵への突撃はあまりされておらず、鉄床戦術を用い迂回して横から攻撃したと考えた方が理に適っていると考えます。
そこで織田徳川陣地に引き込まれ待ち伏せ(鉄砲数千丁)をくらい、侵攻隊が損害を受け後退。
そこから武田軍が撤収という流れだったのではないでしょうか?
※小牧長久手の秀次軍の結末に似ていると思います。
武田は長篠口からではなく、殿を置きつつ別方面から落ちて行ったのでは?
自分の想像ですが、
勝頼の損害は大きくはあったと思いますが、甚大でもなかったのではないかと思っています。
ですからその後の攻勢があったと思いますし、徳川も圧力をかけられたということになる。
撤収は見事になされたと考えたりします。
自殺という視点は面白いな