今回の動画は、源頼朝について!
源平合戦に勝利し天下をとった源頼朝。
そんな彼が、弟の義経を追い込んだことは有名ですが、
どうやら一族もろとも滅ぼしかねないとんでもない男だったようで

#ゆっくり解説#ゆっくり歴史解説

45 Comments

  1. 義経のやらかした「勝手に官位をもらう」って割と致命的な失敗やろ。室町幕府だって朝廷との取次窓口を独占することで、大した軍事力がなくても240年続いたわけだし。一門衆とはいえ家臣が勝手に朝廷にアクセスできたら幕府の権威の源泉がなくなる。

  2. 頼朝は義経に対する恩賞として当時上国であった伊予守に推挙してるし弟の活躍をウキウキして聞いてたとは思うんだよなぁ
    何故決裂してしまったのか

  3. 後に天下取った狸親父も言ってたな。
    「大将たる者、最初の一撃をかわす能力さえあれば良い」

  4. 頼朝が勝手に官位貰った御家人達の悪口書きまくってる手紙とか面白いですよね、信用してなかったからこそよく見てたんだなって、名前あげられた人達はまじで怖かったでしょうが…、北条時政と義時親子は日本史で嫌いな人物ツートップですね、実朝が再評価されてきたからこの二人は本気で良いところ見当たらない…

  5. 頼朝は部下が有能揃いだったし、何より反平家勢力を束ねる「由緒正しき源氏の棟梁」としてのネームバリューがあったから。

    後の承久の乱では北条政子は「皆の者よ、今は亡き頼朝公に多大なご恩があるのを忘れた訳ではなかろう?」と頼朝の名前を出して御家人たちを鼓舞した事から、色々とダークな面はあったとしても御家人が公家や貴族から武家への政権交代をもたらしてくれる(くれた)存在としてのメリットが大きかったのだと思う。
    幾ら性格良くても何も出来ない単なるお飾りでは政治家失格であるし。

  6. 他勢力の排除を徹底して地固めをした点はやはり大きかったでしょう

    平家、奥州藤原氏はもとより、常陸源氏、甲斐源氏、信濃源氏といった同じ河内源氏も誅殺されています

  7. 何も戦に強いから大将に相応しいとは限らないんだな。織田や武田、上杉のような強いトップもいるが、漢の劉邦や島津義久のような前面で活躍することは数えるほどしかないけど優れたリーダーの気質を持った人も確かにいる。

  8. 腰越状読んでも何が悪かったのか全く分かってないので仕方ないね

  9. 武力を取りまとめて朝廷の上層部とやりあえる政治的教養と中央のコネ、南関東武士に担いでもらえる血統的背景を持った時代が待っていた人間なんだよね頼朝。いままでの棟梁にはどっちかが欠けてた。清盛は前者はあったけど自分を担いでくれる武士があまりいなかった。また一族を大事にし過ぎて他の武士から嫌われてしまった。

  10. そこまで危険とは思えない6男まで屠ってるんだし無理でしょうね
    義経なら危険視される理由もあるけど6男を危険視するのは無理しかない
    それと天皇(上皇・法皇)からの叙勲って無下にしたらそれはそれで大問題だろ

  11. 建前頼朝「北条が頼みや」
    建前北条「はい!俺ら超頑張るんで殿はここ鎌倉でどっしり構えていればいいですから」
    本音頼朝「俺なんもしてないし現場でブイブイやってる弟の方が人気出るに決まってるやん。このまま俺が将軍になったらこっちがヘイト貰うことになる始末しとくか…」
    本音北条「頼朝とかいう武士についてなんにもわかってない阿呆くたばんねぇかな?」

  12. 同じ常磐御前の子で義経の兄阿野全成は厚遇してるんだけどね。(妻は政子の妹で実朝の乳母)
    なお頼家。

  13. 武士なんてヤクザみたいなもんで、万単位を束ねる胆力は凄いよ
    義経には逆に出来なかったと思う

  14. 義経は、官位を勝手にいただいたことよりも、寧ろ、平時忠の娘と勝手に結婚したことで兄の怒りを買ったような気がします。

  15. ここらへんのストーリーって、どれを読んでも「範頼頑張ったのにカワイソス」って感想しか出てこない

  16. 範頼はともかく、義経に関しては性格アレで空気読めないのに戦は上手ってのが厄介すぎて粛清されるのは残当って気がする

  17. あの時代の天皇家は現代とは比較にならないほど糞&糞
    京に住んで朝廷のいう事聞きながら生きようとした義経
    朝廷とは決別し、権力を奪い独立した勢力を築こうとした頼朝の二人は決別して同然

  18. 落馬が原因の死亡が陰謀臭く、後二代で血縁絶えてしまう。北条一族を始めとした御家人達から、不要ということでこうなってしまいました。

  19. 義経は過大評価されていると思われる。
    戦において正攻法を大多数で行っているからこそ、奇襲の別働隊の成功がある。
    実際幕府と袂を分かった後の義経は単なる逆張り、万馬券狙いの博打に負けた敗残者。

  20. 慈円の『愚管抄』などによると、当時の公家たちの間では、頼朝は大変な器量の人物という評価だったようだ。
    ただ親族を次々に粛清して、結局、源氏嫡流が途絶えてしまうのは、北条氏の洗脳による気がする。

  21. 義経は勝手に官位を貰おうがもらわなかろうが、最終的に潰される運命だったと思う。
    理由なんかどうでもよくて、
    頼朝とはそういう人物だと思う。

  22. 喧嘩両成敗の誕生読んだけど室町時代の武士どころか町人に至るまで舐められたら56すの精神で
    とても現在の倫理感で語るなんてできんと思った

  23. 京で人気があり、皇室に気に入られて、となると政権潰しに利用されるのがテンプレだったから。
    京に居座った義経が悪い。さっさと引き上げるべきだった。

  24. 義経は鎌倉で頼朝に会ってもらえなかった時に京都ではなく奥州藤原氏に帰るべきだったね
    表面上は、勝手に官位受けて頼朝の勘気を得たので引きこもりますって名目たつし
    鎌倉幕府の力がまだまだ弱いから育ての親がいる奥州藤原氏で英気やしなってたら

    ほっとっても反幕府、反頼朝の面子が流れ着いてくる。そこで
    兄が横暴働いてるみたいだから止めるわ!って勝負すれば世論(ほかの武家)も
    幕府の拡大を懸念してる後白河法皇が綸旨くれるんじゃないの?
    くれなくても難癖付けまくって勢力拡大して、最後は騙し討ちで奥州攻める頼朝の流れを
    完全にシャットダウンできるよ。難癖付けるたびに奥州藤原氏が強化されるだけだから

    梶原景時あたりが不評こうむったあたりで奥州に流れ着いてくれれば軍師?もえるし。

    んで義経率いる軍勢と頼朝軍が戦う。ぶっちゃけ北条一門いなかったら頼朝は血筋だけの
    雑魚だし。北条一門は優秀な人間揃ってるから仲間にして、奥州藤原氏が居れば均衡も保てる

    ってまあ・・・そんなバランス感覚あったら義経死んで無いわな。京都いった時点で詰んでる
    (歴史では頼朝の側が勝利したのも、京都の公家とか他が力を貸してくれなかったから)

    まあ政治も無理だし、奥州藤原氏が北条の代わりに実験握ってたのかな?
    ただ頼朝勝てなかった場合。公家系の力が強まって、この後の武家社会なんてなかったかもね

  25. というか都落ちした平家と行動を分かち、平家を追いやった木曾義仲が武士の棟梁の器にない事を見抜き、かと言って義経にはちゃんと恩を売る事で頼朝のやりたい放題にもさせなかった後白河法皇ってホンマもんの怪物政治家だと思う笑

  26. 最近じゃ義経は政治家寄りだったって評価変わってきてるのがまた。

  27. 北条氏の後ろ盾が大きかった。
    これがなかったら征夷大将軍には就任できなかったでしょう。

  28. 家柄と北条との縁故が強すぎる。ただ、頼朝が幕府開いて結果的に源氏は衰退したよね…。

  29. 蒲冠者の養父(藤原範季)は高倉帝の第四皇子尊成親王の育ての親(乳母父?)。この人物が後の後鳥羽天皇。なんだかんだで武家が日ノ本の統治者であり続けられたのは有る意味不思議

  30. 安房に逃れて、関東最大の上総の介広常を見方に引き入れたのは賢いし、またその強大さを怖れて恩を仇で返した残忍さがあればかな。
    この人の頭は猜疑心が八割で動けるから逆に凄いわ。良く判らん最期が納得いかないけど、まあ善人要素は微塵も無いから相応しい最期かなとも思う。

  31. 令和の現代は鎌倉時代に状況がちょっとだけ似ている気がする。
    刃物や手製の銃や爆発物を持っている奴が暴れ回ってるから。

  32. 源氏だった・長兄だった・妻の実家が超ハイパワー・妻以外への情が一ミリも無もなかった・妻とその実家の用意した家臣団が異常に優秀だった・血筋的なライバルに政治的頭が無かった。これくらいかな。だから、鎌倉幕府開いた後、源氏である事や長兄である事の価値が無くなったら、アッサリ妻の実家に乗っ取られた。