幼少期
愛媛県宇和島市出身の父と西宇和郡伊方町出身の母の間に生まれる。両親はそれぞれ家族と貧困の生活を送った末に大阪市に転居し、たまたま同じ市営住宅に入居した事が縁となり結婚した(後に離婚)。家族は他に弟がいる。
物心ついた頃から自分が女性だと意識しており、小学生時代(大和川小学校)から女装してものまね番組などに出演。その際の字幕スーパーでは「大西賢治」(本来の字は賢示)と表示される。持ち歌は松田聖子の「Rock’n Rouge」など。1985年3月3日放送の『全日本ちびっこ歌まね大賞』(テレビ東京)では、森進一の「北の蛍」を歌って優勝を果たす。
1989年、福井県の九頭竜湖で行われた英語学校の夏季キャンプ(小学生向け)にて、「未来派少年大西賢示」としてレクリエーションにゲスト出演し、この際に男子高校に通っていたことを話している。また、同年5月25日には「大西ケンジ」として「チャンス」でレコードデビューを果たしている。
少年期
中学生時代はいじめに遭っていたため勉強はほとんど出来ておらず、成績は悪かった。13才の時にバラエティー番組に女装姿で出演したことがあるが、「当時は無理矢理、女装させられたと嘘をついていた」と語っている。
また、この当時からニューハーフになろうと思っていたといい、弟がはるなの箪笥の中身が気になり開けてみると、女性物のカラフルな下着が数枚入っているのを見て兄が女性になりたがっていることを知ったが、親には話さなかったという。
中学卒業後、男子校の高校に進学し、空手部に所属。しかし高校は中退し、その後は大阪・心斎橋にあるニューハーフショーパブ「冗談酒場」に勤務(現在も帰阪の際には冗談酒場のステージにゲスト出演している)。 1991年、ショーパブ「Tootsie」梅田店で働く。性同一性障害であり、ニューハーフとして働いていることを父親に告白。
1995年、大阪市・わだ形成クリニックにて性別適合手術を受け、陰部の外観も女性のようになった。しかし、「男性と結婚するまで大西賢示でいることが親孝行」を理由に、戸籍上の名前は現在も「大西賢示」のままである。声に関しては、元々は女性アイドルの曲を原曲キーのまま歌え、話し声も女性と同じ高さだったが、度重なる酷使の結果、現在のような低いしゃがれ声となった。また、一時期は声帯にポリープが出来て声が出なくなったこともある。
芸能界デビュー
1996年に『上岡龍太郎がズバリ!』のMr.レディー特集や『ろみひー』などメディアへの出演が多くなり、「家なき子」のパロディ劇「玉なき子」では相沢すずの役を演じた。
1996年頃、『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)にレギュラー出演。以後はアイドル系美形ニューハーフとして、テレビ番組のニューハーフ特集やものまね番組に出演。また、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)などにも出演し、メディア出演が増加。
1998年、東京のタレント事務所に所属、上京。DDTプロレスリングで世界初のニューハーフ・マネージャー・デビュー。この頃は芸能界でのタレント活動はほとんど行っていなかったが、トランスジェンダーであることを隠して働いていたレースクイーンの仕事などにより蓄えた貯金でスナック店を開業するなど、事業家として活躍するようになる。
2000年代
2002年、特番『さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル』に出演。この頃はまだ準レギュラーではなくゲストだったが、ブレイク後は現在まで数年に一度の割合で出ている。
2005年、MEGUMIが恥骨骨折で入院した際、病院で献身的に看病をしたことから野田社長の目に留まり、2008年にサンズエンタテインメントに移籍。現在の名義に変え、タレント活動を再開する。
2007年、陣内智則・藤原紀香夫妻の結婚披露宴の2次会でエアあややを披露、その場に居合わせた業界人の注目を集め、モノマネ芸人として活動するようになる。持ちネタは、松田聖子・松浦亜弥・島谷ひとみ・ビヨンセ・藤本美貴・ホイットニー・ヒューストンなどのモノマネと、横向けにしたVサインを目頭から目じりに移動させて「よろしくピース」などのギャグ。口癖は「言うよね〜」。それを始めとして、いろいろな「○○よね〜」を言うようになっている。
2007年、『ミス・インターナショナル・クイーン(Miss International Queen)2007』(ニューハーフ世界のミスコン)に出場し、第4位になる。
2008年、下半期頃から松浦亜弥の口パクモノマネで大ブレイク。骨髄バンク職員の役で舞台『IMAGINE 9.11』に出演。
2009年、1月3日に放送された『週末のシンデレラ 世界!弾丸トラベラー』(日本テレビ系)にてパスポートが映った場面で、一部ぼかしがかかっていなかったため1972年7月21日生まれであり、それまで年齢をサバ読みしていたことが発覚。はるな本人はこの事実を2009年1月20日発売の『週刊女性』(主婦と生活社)で認めた(下記を参照)[5](詳細は「エピソード」にて後述)。
ウィキニュースに関連記事があります。
はるな愛さんがニューハーフ世界一に (2009年11月1日)
2009年、『ミス・インターナショナル・クイーン 2009』に再挑戦し、優勝した[6]。前哨戦である『Angel of Talent contest』でも優勝し、2冠に輝いた。日本人の優勝は初めてで、賞金1万ドルを獲得。帰国後に、日本外国特派員協会で在日外国人記者のために会見を開いた。
2010年代
2010年、海外ドラマ『カイルXY』のテレビCMに起用され、「謎の美青年=ケンジXY」に変身するという設定で、「高校生以来」という「男装」を披露した[7]。
2010年の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のマラソンランナーに抜擢される。史上初のトランスジェンダーマラソンランナーとなり、日本武道館までの約85キロを完走した。
2014年4月13日、韓国観光公社の企画による韓国観光応援団の団長に就任。
2016年8月26日、出雲観光大使に就任。
2019年、映画初監督作品『mama』(主演:吉野寿雄)があいち国際女性映画祭2019にて特別招待作品として上映された[8]。
2020年代
2021年8月24日、国立競技場で開催された東京パラリンピック開会式の冒頭に登場し、ダンスパフォーマンスを披露した[9]。
エピソード
はるなを女性と勘違いした星田英利(当時、ほっしゃん。)にプロポーズされたことがある[10]。「私は男だから」と一度断ったものの、「男のようにバリバリ仕事をしているから今は結婚のことは考えられない」という意味だと解釈した星田は再度アタック。最終的に実名入りの運転免許証を見せられて、ようやくはるながは男性であると認識し結婚を断念した。そのエピソードが縁で星田と共演する仕事がしばしばあり、現在は友人である。また、初めて志村けんと会った際にも、はるなは志村から女性と勘違いされナンパされた[10]。中山秀征とは中山が司会をしていた『THE夜もヒッパレ』で出演者に飲み物を配るバニーガールのエキストラとして出演して以来の付き合い[11]。
藤原紀香を『紀ねえ』と呼び、慕っている。藤原もはるなを妹のように可愛がっており、自宅の合鍵を預けるほど信頼している。ブレイクする以前は藤原の前夫だった陣内智則の留守中に掃除や留守番をすることも多かった。
歌手のミドリカワ書房による、体は男性だが心は女性である人物を扱った「愛なるは」という曲は、はるなをモチーフとしており、曲名を逆から読むと「はるな愛」になる。はるながテレビ番組で生い立ちを語る姿を見て心を打たれたことが歌作りの動機となった。当初は遠慮から「男の子 女の子」というタイトルに変更する案もあったが、本人から許可されたため、そのままの曲名で発表することとなった。
本格的なタレントとして活躍する以前には、文化放送で構成作家もしていた[12]。
2013年10月30日放送の『今ちゃんの「実は…」』(ABCテレビ)で実母と実母の再婚相手(義父)と実家が紹介された[13]。
2019年1月22日放送の『バラいろダンディ』では、その昔にクリス松村と1泊2日の韓国旅行に行った際に焼肉を食べてから帰国する予定を立てたが、急遽はるなが韓国のアイドルグループとのレコーディングに参加することになったことで松村との約束が守れなくなり、それが原因で松村との不仲が続いていると明かした。はるなは番組内で謝罪を表明して松村への和解を求めた[14]。その後、インターネット上では「何故わざわざ番組のトークとしてこの話題を出すのか」「何故本人に直接謝罪しないのか」「アイドルグループとのレコーディングの際に何故クリスを誘わなかったのか」とはるなへの非難明るい人柄と愛嬌の良さが特徴でサービス業全般に向いています。人の考えや気持ちに敏感で洞察力があるので、カウンセラーやコンサルタントの仕事も適しています。
人から好かれる人気運も持っているので、役者や歌手など芸能の世界でも活躍できるでしょう。
丁寧で緻密な作業も得意なので、医療、金融、情報の分野でも能力を発揮できます。
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過去に所属しておりました芸能プロダクションです。
役員死亡により、会社の登記としては、解散しております。
藤谷美和子、大竹しのぶ、小林聡美、三宅裕司、松下由樹など多くの俳優を輩出してきたプロダクションが 、今また新たに個性あふれる新人タレントを発掘・育成するため力を注ぎます。今こそ、新しい人材が必要とされる時代!「ますます不安感がつのる」これからの世の中はそんな時代へと 突入していくように思えます。だからこそ、本当に人を感動させ、 楽しませることが出来るエンターテイメントが必要とされます。普段、エンターテイメントはテレビや映画や音楽など、 私たちの生活の一部となって人々を楽しませています。 しかし、そこには必ず新しい素材・人材が必要です。
私たちは、これまで培ってきた経験と発想を活かし、個性ある新しい素材・人材を育てて参ります。
会社名 株式会社 東京新社
所在地〒151-0071東京都渋谷区本町1-2-2 榎本ビル301
資本金 10,000,000円
業務内容 設立;昭和46年に番組・フィルム・ステージの制作及びタレント マネージメントを目的として、脚本家・プロデューサー・演出家を 中心に芸能プロダクションを設立。以後、新人タレントの発掘・育成・マネージメントに力を入れる。
設立以来、大竹しのぶ・斉藤とも子・藤谷美和子・小林聡美・烏丸 せつ子・三宅裕司・松下由樹・等多くの俳優・タレントを発掘・ 育成・マネージメントする。
取引銀行 みずほ銀行 ・ 三菱東京UFJ銀行
主な取引先
各テレビ局/各番組制作会社/各キャスティング会社/NTTドコモ/NTT東日本/au/ソフトバンク/サッポロ/キリン/キリンビバレッジ/アサヒ/JR東日本/森永/グリコ/任天堂wii/ ソニー/パナソニック/シャープ/ユニクロ/トヨタ/ホンダ/ニッサン/日本マクドナルド/モスフード/ミスタードーナッツ/ケンタッキーフライドチキン/日清/エースコック/ロッテ/東京メトロ/資生堂/P&G/カネボウ/ドモホルンリンクル/イーオン/キャノン/三菱電機/JAL/全日空/小林製薬/大塚食品/東京ディズニーランド/ディズニーシー/ユニバーサルスタジオジャパン/セブンイレブン/ローソン/ほっかほっか亭/NIKE/栄光ゼミナール/AXE/学研/VISAカード/マスターカード/
O型 45年1月2日金曜日
2009年5月
東京都内の芸能プロダクション東京新社に入る。
現在、東京新社は、役員死亡で解散しました。
仕事をやめフリーター12年目に突入
実家
京都府京都市左京区北白川小倉町50−254
滋賀大学大学院経済学研究科22期修了
WACOCA: People, Life, Style.