#朝時 #義時 #解説
【概要】
本当なら北条家を継ぐはずだった(?)北条朝時の生涯をざっくり紹介しています。子孫が起こした宮騒動や二月騒動については時間がなくて解説していませんが、詳しく知りたいというご意見が多かったら、別動画を作ろうと思いますので、コメントよろしくお願いします。
2022年、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」解説動画です。
Twitterで配信情報とか配信前のネタをフライングでつぶやいてます。
https://twitter.com/rGDfU0KgzH2ankI
▼使用効果音
「効果音ラボ」
https://soundeffect-lab.info/
「DOVA-SYNDROME」
https://dova-s.jp/
▼使用画像
「Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/
「鎌倉殿の13人公式ツイッター」
https://twitter.com/nhk_kamakura13?s=20
▼使用動画
「MotionElements」
https://www.motionelements.com/ja/
※素材提供ありがとうございます!
▼お問い合わせ(☆を@に変えてください)
tonreki.ch☆gmail.com
50 Comments
是非、宮騒動と二月騒動の話をお願いします。
鎌倉時代をもっと勉強したいです✏️
きりゅうさんの説明は、とっても解りやすいです。
こんばんは
あれこれ不憫続きなところもあるけど朝時も光源氏くらいイケメンだったらその後の人生も違ってたのかもなあ。ま、光源氏も寝込み振られも案外ありそう。
ドラマでの朝時は最後期の登場で人生最大の見せ場カットの脇役なのにちゃんと生き方や人となりを見せてるのは凄い。
自分一人だけならそこまで権力に固執しないかもですが、自分の息子を高い地位に就かせたいとか奥さんに贅沢させたいw
その為の権力なのでしょうか。ハリー王子も自分の息子と娘には王族の称号があった方が良いと思ってそう。
義時死後も、名越家は、常に得宗家に対して反抗心を見せているところを見ると、良好な関係ではなかったと思います。
権力闘争って、いつの世もあるんですね。
見てて思うのが、女性側の位が高い方が嫡男って言うのが、どうも解せない
その子供の能力を見て判断しないと、平民ならともかく、トップに立つ人になるのに、そんな事で決めるから争い事になるのに…と
(もちろんその時代は成人になる確率も低い事もありますが)
今もそう
親が政治家だからって、子供が有能な訳ないし、得て不得がある
親はそこを見てあげないと周りが不幸になる
返す返すも、源氏が三代で滅びたのが悔やまれますね。
権力と権威でワンセットと永井路子さんはおっしゃってましたけど、鎌倉時代は権威なき権力の苦悩の時代と言えそうですね。
姫の前は教育ママ、野心は義時以上 朝時は根が優しすぎるんだよ 情にもろい
今じゃ4カード妻子そろって仲良くやってるからいいじゃない
北条の嫡男は政子以外朝時だと思っていたんだね
なんとなく平家の清盛と頼盛みたいな関係ですね泰時と朝時
鎌倉時代だと本人に権力欲が無くても周りに担がれたり(全成パターン)権力者から疑われたり(蒲殿パターン)するから権力争いレースから降りたくても降りられないのかもしれませんね💦
ドラマの中でも実朝が江間の泰時って言ってましたね
きりゅう先生、もう和田っちロスから立ち直られたんですねー良かった🤗
捨てた駒の価値を敵対勢力に利用されるよりは無くしてしまえ、、、なんだろうな。
その中で生き残って名越流まで繋げることが出来た朝時は能力のある人だったんだと思う。
兄に対する忠誠心をことある事に周りに知らしめることで生きのびた。情だけで繋がることの出来ない家族って辛いね😭
伊達政宗の弟はお家の分裂を防ぐ為に殺したことになっていますが、現在の研究では僧侶として生きていたというのが定説になっています。
義盛の最後は何回も見直しています。ところであの楯の話しは本当なんですか。東ローマ帝国のテストゥドそのままだったので疑問に思いました。
ドクロを取りに行った大江広元が必殺仕事人並みに強かったのが、何故かちょっと笑えてしまったのが自分でも不思議…笑
三谷さんの脚本に翻弄されて私まで闇落ちしてしまいそう。
毎回こちらのチャンネルで日光浴させていただいています。ラットさん、もっとガンガン暴投かましてください。
きりゅうさん猫飼ってるんですね🐈
やっぱり頼朝亡くなるのが早すぎた😂
ニャン 😸
朝時くんは、自分が北条の本流になれるかもしれなかったのに、いつの間にか傍流となってしまった。そんな自分のおかれた立場に忸怩たる思いがあったのかもしれませんね?
そもそも、義時がいけないと思います。自分が死ねば、後継争いでゴタゴタが起こるのは分かっていたはず。なのになぜ生きているうちに後継者を指名しなかったのでしょうか?
大江広元 尼将軍 後妻のえ やはりのえさんの強い意向に、決めきらなかったのかな?
朝時くんの女グセの悪さ、頼家くんに似てますね。
でも個人的には、頼家くんが安達景盛の妾に悪さしたというのは捏造 冤罪 だと思っています。
つまり、北条が源氏から政権を簒奪したことにより、曲筆したかと?
景盛は、政子の代読したり、泰時と共に明恵に帰依したり、後々 朝時くんの倅と敵対関係にもなりましたね。
可愛い猫ちゃん、名前はなんというのですか😹
朝時解説取り上げてくださってありがとうございます😊
鎌倉殿ではなかなか登場しなくて(子供時代にちょい出ただけ💧)
足利みたく抹消されてしまうのかと思ったので、いざ登場したらけっこう目立つ存在になってて嬉しいですw
個人的に、泰時みたいに出来の良い人物ではないかもしれませんが、母親の件もあり不遇な中、和田合戦や承久の乱でそれなりに頑張っていたので応援したい気持ちもあります。
承久の乱でどんな見せ場があるのかドラマも楽しみです。
平民から見たらその立場でもう十分じゃん、って思うけど、
生まれのちょっとした違いで、自分より裕福なお金を持ち、多くの人から貢ぎ物をもらえたり、
相続では絶対的に領土を多く相続できたり、周りの皆んなから敬われたり、
目の前の人がそんなんだったら、羨ましくなり権力を奪いたくもなるんだろうな。
今の時代でもお金や権力は魔力。いくらお金を持っていてもまだ欲しいってなるんだろうな。
うーんなるほど 徳川家康が体の弱い家光を大事にしたのはそんな兄弟争いを防ぐためだったのですね
比較的泰時をヨイショする吾妻鏡では泰時は権力握ってからも変わらず素晴らしい名将ですが実際には変わった部分も多かったでしょうねー笑笑(ドラマは初さんのあなたにはこうなって欲しくないから義時が泰時にダークの面を見せていると言っていたから泰時は変わらず名宰相になるように描かれそうですね)
伊賀氏の変は伊賀氏と伊賀の方を追放するために政子と広元が仕組んだ説もよく見かけますねー。政村は最後得宗家を支え続け、執権職を得宗が幼い時だけ引き受けて成熟したらすぐ返していたりと協力的なのですよねー。
起請文は吐いたら無効になりましたねw
最初にちらっとニャンコのしっぽが映ったので、再登場するかと・・・きりゅう先生もニャンコ好きだったんですね。アイコンがそうですもんね。
いつもわかりやすいお話、ありがとうございます。
最後の「権力を握ると~」ですが、下の者は積極的に取りに行かないと権力は手中にできませんし、一度権勢を手にすると今度は下から這い上がってくる者に狙われるので身を護るためにも蹴落とし続けなきゃいけないのかもしれませんね。
たぶん蹴落とされたら謀反の罪を着せられて一家で連座させられそうですし。
本当、無縁でありたいです笑
この風習、令和の現代でもあるよね。
全てを押し付けられる長男と俺は関係ね次男。
次男坊と言っても、長男坊とは言わない日本の風景がありま
因みに自分は、長男坊です。
朝時廃嫡の原因が件のレ○プ事件だとするとだったら同母弟の重時でいいじゃんってなるので、
やはり比企の乱や牧氏の変が大きく影響してるのかななんて思ったりします。
いずれにしろ泰時は他の兄弟にはめちゃくちゃ気を遣っただろうなあ。
人間とは、政を行える立ち位置に近付くと好きな様に世の中を変えたい自分の想うがままにしていきたい生き物なのですかね😁
なるほど、繋がりました。
子孫が2月騒動、同士討ちを起こすんですね。
「声の大きい女性」よもぎ.セリフの内容は朝時のことなんだろうけど、川◯絵◯さんのことが3割りぐらい入っていたのかも…
(なお、このコメントは自動的に消滅する🙄)
きりゅうさんのお部屋から可愛いゲストが!🐱ラットさんの「ハリー」呼びにじわりました。
権力闘争に挫折した男は、それを穴埋めするかのように、多くの女性に手を出したがるようですが、彼の場合は逆だったようですね。
きりゅうさんの後ろに、うちのキジトラの高齢猫と同じような尻尾が垣間見えました。
時房が実力十分なのに候補に上がらなかったのは気の毒だね。母親の身分がよほど低いか、時政から嫌われていたか、義時への遠慮からか?
自分も相続で、実姉と揉めたもんな・・・。
そう考えると、伯夷・叔斉の兄弟はえらいなー。
相続争いというか、譲り合いで揉めるとか中々できません。
いつも感心するのが、カンペなしでお話されるきりゅうさん🎉リスペクトです
皆さんもコメントしてらっしゃるけど、途中ちらっと見えたニャンコの尻尾が
可愛い!
自分が権力を握らなければ権力者に殺される時代ですから
朝時の弟の重時のほうが真面目な人だったらしいですね。
きりゅうさん、解説がすごく面白いので、毎回欠かさず拝見しています。
を
きりゅうさん好き(⌒▽⌒)
あ、後ろ猫だ
名越流がたびたび得宗家に歯向かう背景には、朝時の母方は比企氏の娘ですので、謀略で滅ぼされた比企氏の恨みが残っていたのでしょうかね。
朝時自業自得。むしろ、戻されたのもあり得ん
蟄居・幽閉・流罪なんですけど、
鎌倉から流されるのが近場なのに(朝時→駿河、頼家・範頼→修善寺、時政→伊豆、全成→常陸)、
承久の乱の戦後では隠岐・佐渡・土佐とワイドな流刑になってます。
この差って何かあるのですか⁉️
京都朝廷も同様、他氏排斥によって権力のトップに上り詰めた藤原一族は、血筋では天皇にはなれないため今度は身内争いを起こし、京家、式家、南家、北家の争いの果てに藤原北家が優位に立ち道長の時代に全盛を迎えます。武家とは違って、血が流れないだけで、相手を陥れて失脚させて地方へ流罪にするという点では同じす。日本の歴史を俯瞰してみるに、この枯れた大木に巣くう寄生虫のごとき権力変遷は、武家、公家問わず同じ構造のようです。政治体制はそのままで、権力構造だけが下へ下へと移っていく。世界史的にみると実に奇妙なのは、実力では天皇家を上回っている藤原摂関家は武力を持たない天皇家を滅ぼして自分が天皇になればいいのにならない、というかなれない。大陸国家なら王朝交代が何度となく行われています。実力的には鎌倉殿を凌いでいる北条得宗家が鎌倉殿になれないのも血統が鎌倉殿になれる血統ではないため、執権という職を設けて他の御家人より頭一つ抜きんでるように仕組みます。やがて北条得宗家も時宗が亡くなるとその後は得宗家の家政を司る平盛綱の子の頼綱の権力が強まっていき御家人ではない北条得宗家の家臣である内管領(身内人)へと幕政の権力が移っていき、実質的には頼綱の子長崎円喜入道高綱高資親子が幕府内では執権を上回る権力を持つにいたるんですが、これも同様ほうじょうとくそうけを継ぐことはできないわけです、血筋が違うからです。大陸国家なら間違いなく上を滅ぼして自分が王家を起こし、あるいは皇帝となり新しい国家を打ち立てるはずなのに、日本ではそうならない。天皇家は滅亡することなく現代まで存続し、清和源氏も頼朝流は滅びても、他の清和源氏は生き続けていますよね。天皇家あっての藤原摂関家、鎌倉殿あっての北条得宗家、北条得宗家あっての内管領身内人。これが実に不思議です。長文失礼しました。
オスマン帝国もムガル帝国も兄弟を滅ぼして帝位についてますからね。
トップに立つと、いつ取って変わられるか分からないのでそうするしか無いのでしょうか。