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19 Comments

  1. 1尺=30cm(30.3030cm)、4尺=120cm です。
    ナイアガラ花火は、きれいですよ。(アメリカのナイアガラ滝にちなんで)

  2. このジョンさんには感謝しか無い。
    COVIDで日本中の花火大会がキャンセルされた夏に、クラウドファンディングで
    世界中の人からお金を集めて独自のlivestream花火大会を開いて、
    別の日には、この花火大会のスポンサーもして花火業者を支援してくれたんだよ。

  3. If you like a fireworks show, you should go to the Sumida River Fireworks Festival (隅田川花火大会), which is held every year in July.

    The Sumida River Fireworks Festival is one of the most popular fireworks shows in Japan.

    Unfortunately, it has been canceled for three years in a row due to the COVID-19.

    I hope it will take place this year!!

  4. ヨーロッパの青い目の起源は1万年前だが、日本の色白金髪碧眼(青い目)の起源は4万年前です。
     タタール人の「あしや」「アディリア」は色白金髪碧眼(青い瞳)高身長だが、コーカソイドではない。
    青い目の人は全て1万年前の共通の祖先の子孫、デンマーク人研究者

     デンマーク人研究者によるDNA調査によって青い目の人は今から6000~1万年前に突然現れた青い目を持った祖先の子孫であるということが1月31日までに明らかとなった。

     この研究を行ったのはデンマークのコペンハーゲン大学のハンス・アイベルク(Hans Eiberg)教授を中心とする研究グループ。

     研究グループではメラニン色素の生成に関与するOCA2遺伝子に着目。その上でこの遺伝子の部分的に機能しなくなったことにより青い目のを持つ人が誕生したこと、更に、OCA2遺伝子の追跡調査により、青い目を持つ人は6000~10000年前に現れた共通の祖先から枝分かれした子孫であるということ突き止めた。

     現在、ヨーロッパの全人口の20~40%は青い目を持つ。6000~1万年前に生まれた青い目の祖先からここまで青い目の人口が拡大したことに関して、研究グループでは、この祖先が持っていた遺伝子は青い目を形成するOCA2遺伝子以外に、別の面で子孫を繁栄させる面で何かしら有利となる特徴を持っていたのではないかと、述べている。

     研究グループでは恐らく6000~1万年より以前には青い目をした人は居なかったとも述べている。

                                                     (以上)

    ネアンデルタール人と日本人→色白金髪碧眼の原因

     12万7千年前ごろにできた地層と、約11万年前の三瓶木次火山灰でできた地層に挟まれた地層から石器が出土した。島根県出雲市の砂原遺跡で約12万年前の旧石器が出土した。

     ヨーロッパから広がったネアンデルタール人は日本にも旧石器時代中期の12万年前から住んでいた。ネアンデルタール人は旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。3万8000年前から日本に住んでいたホモ・サピエンスは新石器(磨製石器)を使用していた。ヨーロッパのホモ・サピエンスはネアンデルタール人を絶滅させたが、日本ではネアンデルタール人と共生していた。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配していた。ヨーロッパの白人にはネアンデルタール人の遺伝子が少ないが、日本人にはネアンデルタール人の遺伝子が多い。つまり、日本では緩やかに混血して共生していた。ネアンデルタール人は、北方の気候に適応して、①現在のヨーロッパ人以上に白い肌、②金色や赤い色の毛、③青い目や灰色の目、となる。

  5. ハプログループD(Y染色体)の移動(ヨーロッパ→日本)

     最終氷河期には中近東と南欧は陸続きだったので、ハプログループDEは南欧に入った後、DE→D(YAP+) (約6万年前、黒海北岸)、E(YAP-) (6万5200年前、地中海沿岸)に分かれた。ハプログループEはエジプトなどのアフリカ、イタリア、フランス、ドイツなどの西欧、ウクライナなどの南欧、イスラエル、イランなどの西アジア、インド等に残った。約3万9000年前にイタリア・ナポリ西側で火山の大噴火が起きた後、南欧にいたハプログループE(YAP-)から派生したハプログループD=地中海沿岸系日本人の先祖(日本固有種D-M116.1*・16.6%、D-M125*・12.0%、D-P37.1*・3.9%、D-P42・2.3%、古代ラテン語)は黒海北岸(現在のウクライナ、モルドバ、ルーマニアあたり。ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘されている)に移り住んだ。2万年前、食料となるマンモスを追って東に進み、バイカル湖畔を経由して寒冷化による南下を始め、アムール川、沿海州を通って、氷河期は海面が140メートル低く陸続きとなっていた樺太や北海道(マンモス生息域南限)に南下した。約1万4000年前、凍った津軽海峡を渡って東日本縄文人となった。ヨーロッパ南部(+バルカン半島・北欧系I-P19・0.4%、2万年前、古代コーカサス語)→西シベリア南部(アーリア系R-M207・0.4%、2万年前、古代ケルト語)→バイカル湖畔(+トルコ系C-M217*・1.9%、2万年前、古代トルコ語)→アムール川(+タタール系Q-P36・0.4%、2万年前、古代インディアン語族)→沿海州(+北方ツングース系ウリチC-M86・1.2%、2万年前、古代ツングース語系)→樺太→北海道(2万年前、残留組がアイヌ)→東日本(1万4000年前)と移り住んだ。計39.1%。主に関東に住んでいた東日本縄文人は、3500年前、寒冷化に伴い、西日本(人口が東日本の10分の1)に広がり、日本海沿岸、太平洋沿岸、東シナ海沿岸、沖縄に移り住んだ。関東のハプログループDは平安時代に毛人=地中海沿岸系と呼ばれていた。

                                            (以上)

    ハプログループD(Y染色体)、E(Y染色体)の特徴

     ハプログループD(Y染色体)は、地中海沿岸系ヨーロッパ人の特徴があり、毛深いだけでなく、日本人の7~8割が天然パーマ又は癖毛(優性遺伝)である。

     東アジアにおけるD系統の平均頻度は、9.60%であるが、チベット高原(41.31%)、日本(35.08%)、アンダマン島(56.25%)が高い頻度を示す一方、他の東アジアの集団の頻度は、希薄(5%未満)である。アンダマン諸島(ジャラワ族、オンゲ族)はハプログループD1a3、日本列島はハプログループD1a2、チベット民族はハプログループD1a1、各々の分岐年代は少なくとも3.5万年以上前である。またチベット人からはD系統とE系統の祖形DEから直接分岐したDE*もわずかに観察されている。DE*は他にはアフリカでしか見出されていない非常に珍しいタイプである。

     D1b(Y染色体)は日本本土36%、沖縄45%、アイヌ88%で、D(Y染色体)はアイヌ89.5%、北海道42.3%、東北35.6%、関東48.2%、沖縄45.1%、西日本26.2%、日本人40.8%、で、チベット人42.9%、チベット人51.6%、チベット人(チベット自治区ラサ)41.3%、チベット人(青海省貴徳県)48.7%、チベット人(雲南省シャングリラ)36.2%、アンダマン諸島73%である。血液型A型のD(Y染色体)、R(Y染色体)、I(Y染色体)等に蒙古斑はない。

     ハプログループD(Y染色体)はバイカル湖畔居住時代に発明した細石刃を日本に持ち込んだ。鉄器と細石刃の技術から日本刀が生まれた。

     アメリカ大陸にも広がった。エチオピア(クシ語派)はE系統のE1b1b1c V6、E1b1b1d V92、E1b1b2 M281, V16。エチオピア人のお辞儀は日本人のお辞儀にそっくりで、エチオピアの音楽も日本の歌謡曲に似ていて演歌と同じでこぶしがある。エチオピアはイスラエル人の文化の影響がある。ロインクロス(Loincloth)=褌(ふんどし)はエジプトと日本で共通している。「~スタン」とよばれる国のアジア系民族は昔からヘブル(ヘブライ)人の末裔とされてきたことから、中央アジアでYAPの持ち主が多数発見される可能性もある。

     ハプログループD(Y染色体・YAP+)、E(Y染色体・YAP-)は優性遺伝である天然パーマ(髪の断面が楕円形)であり、毛深く、彫りが深い。日本人の7~8割が癖毛or天然パーマで、髪の断面は楕円形。緯度の高い地域では肌が極めて白くなり、瞳が青くなる可能性がある。加えて、①二重瞼(眉下の皮膚が上瞼に被さっている)、②眼の位置が低く、鼻が顔の中央にある(眉間上部より立体的に鼻が垂れ下がっているため目元がくぼんで見える)、③前額部が突出し、彫りが深い、④ウェーブ(天然パーマ・クセ毛)が多く、禿げている、➄体毛や髭が多い、⑥湿った耳垢である、⑦眉が濃い、⑧眉と目の間隔が狭く、眼が額につき刺さっている、⑨口元が引っ込み、前顎が出ている、⑩後顎が角ばっている、⑪後頭部が後ろに大きく突き出している、等の特徴がある。ヨーロッパ人の特徴と同じ。

                                            (以上)

    縄文系ゲノムが最も多いのは沖縄県・鹿児島県・東北・アイヌ。

     日本人は縄文人の子孫が大陸から来た渡来人と混血することで生まれた。現代人のゲノム(全遺伝情報)を解析したら、47都道府県で縄文人由来と渡来人由来のゲノム比率が異なることがわかった。弥生時代に起こった混血の痕跡は今も残っているようだ。

    各都道府県の50人のゲノム情報をもとに、その違いを可視化した。縄文人由来のゲノム成分が多い県は青色で、渡来人由来のゲノム成分が多い府県はオレンジ色で表示した。縄文人由来のゲノム比率が他県と比べて極めて高い沖縄県は地図に含んでいない。1都道府県あたり50人のデータを解析したところ、沖縄県で縄文人由来のゲノム成分比率が非常に高く、逆に渡来人由来のゲノム成分が最も高かったのは滋賀県だった。沖縄県の次に縄文人由来のゲノム成分が高かったのは九州や東北だ。一方、渡来人由来のゲノム成分が高かったのは近畿と北陸、四国だった。特に四国は島全体で渡来人由来の比率が高い。瀬戸内海沿岸は酒に弱い黄河沿岸系だが、高知県は酒に強い長江沿岸系である。なお、今回、北海道はアイヌの人々が含まれず、関東の各県と近い比率である。

    渡来人が朝鮮半島経由で九州北部に上陸したとする一般的な考え方とは一見食い違う。上陸地点である九州北部よりも列島中央部の近畿などの方が渡来人由来の成分が高い。大橋教授は「九州北部では上陸後も渡来人の人口があまり増えず、むしろ四国や近畿などの地域で人口が拡大したのではないか」と話す。縄文人の子孫と渡来人の混血は数百~1000年ほどかけてゆっくりと進んだ。弥生時代を通じて縄文人と渡来人が長い期間共存していたことが愛知県の遺跡の調査などで判明している。どのような過程で混血が進んだのかはまだ不明である。今回の解析で見えた現代の日本列島に残る都道府県ごとの違いは弥生時代の混血の過程で起こった出来事を反映している。書物にも残されていない日本人の歴史の序章はほかならぬ私たち自身のゲノムに刻まれている。

     縄文女性の顔の特徴に関わる遺伝子を調べた結果、肌はしみができやすい性質(コーカソイドで湿型の耳垢)で色が濃く、毛髪は細く縮れたタイプ(毛深いが、優勢遺伝の天然パーマ・禿げやすいラテン系の影響)。中国人のような直毛ではなかった。鼻の高さは中程度で、瞳は茶色(劣性遺伝である青い瞳・色白金髪の蝦夷【えみし】=東北地方の影響)だった。中国人のように黒い瞳ではなかった。アルコールを効率よく分解できる遺伝子を持ち、酒に強かった。北部中国にいた下戸の黄河沿岸系が日本に流れ込む前だった。縄文人は二重瞼だが、志那朝鮮人は一重瞼である。血液型はA型。血液型O型の東アジア人はまだ少なかった。

  6. 今年はあると思うよ! テスさん、浴衣(YUKATA:ゆかた)が似合うと思うな

  7. ハプログループN(Y染色体)と色白金髪碧眼高身長

     日本の国別の地勢、風俗、気質などを書いた地誌『人国記』(作者不詳、成立年代も室町末期らしい)という本において陸奥国のところに「この国の人は日の本の故にや、色白くして眼の色青きこと多し」と驚くべき記述がある。東北地方の人たちが白人の遺伝子を持っているのなら、青い眼の人が生まれるのも納得がいく。秋田美人などの雪国の色白美人の秘密は白人の血が混じっているためなのかも知れない。『常陸国風土記』には「この地は、本(もと)、日高見国」という記述や『日本書紀』の「東夷の中に日高見国あり」という記述で記録されている。
     現代日本人の中にネアンデルタール人の遺伝子が1.4%含まれている。白っぽい皮膚、金髪や赤毛、青い目などはネアンデルタール人から受け継いだ可能性が高い。シベリアで発見されたネアンデルタール人の兄弟種の化石から、その遺伝子の一部がポリネシア人に混入している。ヨーロッパから広がったネアンデルタール人は日本にも旧石器時代中期の12万年以上前から住んでいた。ネアンデルタール人は旧石器時代の石器の作製技術を有し、火を積極的に使用していた。ヨーロッパのホモ・サピエンスはネアンデルタール人を絶滅させたが、日本ではネアンデルタール人と共生していた。ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配していた。ヨーロッパの白人にはネアンデルタール人のY染色体遺伝子が含まれていないが、日本人にはネアンデルタール人のY染色体遺伝子が少し残っている。つまり、日本では緩やかに混血して共生していた。ネアンデルタール人は、北方の気候に適応して、①現在のヨーロッパ人以上に白い肌、②金色や赤い色の毛、③青い目や灰色の目、となる。青い瞳等は、ネアンデルタール人→最初の日本人(ハプログループN(Y染色体))→北東亜平野(現在は大陸棚となっている東シナ海や黄海や志那大陸の東沿岸及び台湾や沖縄や日本列島は陸続きだった)で匈奴(ハプログループN(Y染色体))→西シベリア~中央アジアでヨーロッパ人の先祖(ハプログループR(Y染色体))と受け継がれていった。明るい色彩の目や髪はハプログループN(Y染色体)の割合が大きいサーミ人(ノルウェー)とフィン人 (フィンランド)に特に多い。サーミ人やフィン人は銀髪だが、日本列島先住日本人(ハプログループN(Y染色体))は色白金髪碧眼である。特に東北には顔が真っ白で、青い瞳(劣性遺伝)や金髪の者がいる。九州北部や中部以北にもそれに近い者がいる。

     現代日本人でヨーロッパ人に近い人々は、青森28%、静岡18%、沖縄5%だった。東北を中心に青い瞳もしくはそれに類する人が1~2割いる。東北には小さい時は瞳が青く、だんだん茶色の瞳になっていく人も結構いる。東北には赤ん坊の時に金髪の者がいる。大人になっても地毛が金髪の者がいる。また、九州などの南方にもヘーゼル色の目の人たちがいる。個人的経験だが、岐阜県各務原市に、①明るい緑色と茶色の中間の瞳に近かった者、②プラチナブロンドの者、がいた。岐阜県や長野県にも青い瞳の者はいる。ちなみに、金髪碧眼のアイヌの族長の写真がいっぱい撮られ、アイヌには白人の血が30%ぐらい入っている。

    東北大学の調査によると、宮城県から424人の目を調査したら、①完全に茶色の目=359人→84.7%、②いくつか青い部分もある=43人→10.1%、③青い目だけれども全体の半分以下しかない=15人→3.5%、④青い目がほとんどだけれども中心は茶色=6人→1.4%、⑤完全に青い目=1人→0.2%、となった。この調査が本当であれば、100人に1-2人は、青い瞳を持った人となる。部分的に青い瞳を持った人たちも含めれば、100人に5~15人もの人たちが青い瞳を持っている。デンマークのDNA研究者によると、日本で青い瞳を持った人たちは6000年~1万年前にどこから来たのかは不明である。

     日本人の瞳は一般的に「黒」だと思われているが、正確には「茶色」である。東北と九州に多いのは瞳の色が極端に明るい(茶色い)日本人である。彼らの第一印象は「どこか日本人離れした顔」や「外国人っぽい」と思われることが多い。九州では特に明るい色の瞳を持つ人の人口割合が多い。東北では青と茶色の色素がミックスしたような不思議な青眼を持つ人もいる。「青×茶色」の茶色中の黄色味が強い場合は青い目と合わさって緑色っぽい瞳に見えることもある。東北出身の女性と結婚したAは待望の子供ができて大喜びしたが、生まれてきた子供の瞳はAとも奥さんとも似つかない青っぽい不思議な色の瞳をしていた。DNA鑑定の結果、その子はやはり正真正銘Aと奥さんの子供なのである。確かに、この子は瞳の色以外は完全に「日本人の赤ちゃんの顔」なのである。子供を育てていくうちに子供の瞳の色が暗い色に変わった。幼稚園に入りしばらくたつと、瞳の色も違和感のない程度に茶色く、「誰が見てもAさんの子供とわかる」くらい瓜二つの「日本人顔」になった。奥さんの方の親戚の多くがとても明るい色の瞳を持っている人が多いことが分かった。そのうちの一人はAさんの子供と同じように「赤ん坊のころは瞳の色が違った(青っぽい不思議な瞳)」だった。大人になってからも青い目だった人はめったにいないが、東北地方には「赤ちゃんの頃だけは明るい目だった」という人はいて、明るい瞳の遺伝子を持っている人も多い。

     日本人(福岡県、徳島県)や遼河文明人にはハプログループNO(Y染色体)がいる。北東亜平野や古遼河沿岸や日本でNO(Y染色体)がN(Y染色体)とO(Y染色体)に分かれ、N(Y染色体) (血液型A型)は北上し、O(Y染色体) (血液型О型)は南下した。日本は遼河文明の一部だった。現在、ハプログループN(Y染色体)は全国平均0.8%、北海道4.0%(大部分は東北地方からの移住者)、青森県7.7%、群馬県2.7%、東京都1.0%、静岡県1.6%、三重県2.2%、兵庫県1.4%、岡山県1.3%、山口県1.9%、愛媛県1.0%、徳島県7.1%(ハプログループNO(Y染色体)が5.7%)、福岡県は3.8%(ハプログループNO(Y染色体))、長崎県は1.7%、沖縄県は2.0%である。

     フィンランドは「ヨーロッパの日本」と呼ばれている。フィンランド人=蝦夷(えみし)=遼河系日本人である。フィンランド人は一般に色白で、瞳は青もしくは灰色が多く、フィンランド語を話す男性の86%,女性の81%が青もしくは灰色の瞳を持つ。また、男性の76%,女性の82%は金髪もしくは亜麻色の髪をしている。岐阜県各務原市での私の友人2人はフィンランド人と見た目が同じだった。秋田県人たちが先祖返りで、目が青かったり緑色だったりする農民がいる。祖父母の代まで秋田県という人は昔の写真が残っていて、小作農の顔を見ると目と髪の色が薄くて皆ロシア人のようである。東北の蝦夷(えみし)もフィンランド人同様に色白金髪碧眼で身長が高かった。アテルイ(阿弖流為)平安初期の時代、岩手県辺りの蝦夷(えみし)のリーダーとして朝廷軍との戦った東北の英雄で、身長170cm弱で色白金髪碧眼だった。当時の日本人は、男性でも150cm弱くらいが平均身長だった。

     蝦夷が弓騎兵だったため、これに対抗し、大和朝廷は少数精鋭の健児(こんでい)を重装長弓騎兵にした。この健児(こんでい)から派生した武士は重装長弓騎兵であり、元寇では6万人の九州勢(熊襲くまそ)と中国勢(渡来人)だけでモンゴル軍を全滅させた。鎌倉からはが続々と出陣していたが、彼らが到着する前に15万人の元軍は既に引き上げていた。

  8. ハプログループN(Y染色体)の遼河文明と縄文土器の関係

     新石器時代の中国東北部(満州地域)や東海岸の遺跡から縄文土器が出土している。

     「遼河文明」が黄河文明や長江文明に影響を及ぼした。中国東北(満州地域)の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つで、紀元前6200年ごろから存在した。1908年に考古学者の鳥居龍蔵が遼河文明の一つである紅山文化を発見した。大規模な竪穴式住居が出土しており、特に遼寧省凌源市から建平県で発見された紅山文化の遺跡の一つ牛河梁遺跡は広範囲にわたって墳墓や祭壇などの神殿が発見され、先史時代の「国」があったのではないか。紅山文化の遺跡からは風水の原型と見られるものも出土している。 興隆窪文化の遺跡からは中国最古の龍を刻んだヒスイなどの玉製品が発見されている。また最古の遼寧式銅剣(琵琶形銅剣)や櫛目文土器などが出土している。このように黄河文明や長江文明と異質でありながら、古代の中華文明に大きな影響を与えた。従来は過去100万年にわたって砂漠であった遼河沿岸は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在したが、約4200年前頃から始まった気候変動により砂漠化した。このために約4000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、後の中国文化へと発達した可能性がある。中華人民共和国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃~紀元前2900年頃に存在した新石器時代の文化。万里の長城より北方、燕山山脈の北から遼河支流の西遼河上流付近にかけて広がり、農業を主とした文化で、竜などをかたどったヒスイなどの玉から、現在の中国につながる文化や宗教の存在の可能性がある。出土品を見ると、確かにのちの中国文明とも共通するものを感じさせる。

     遼河文明遺跡における6500年前から3600年前にかけての古人骨のY染色体ハプログループ分析ではウラル系民族で高頻度に観察されるハプログループN(Y染色体)が60%以上の高頻度で認められることから、遼河文明を担った集団はウラル語族を話していた可能性がある。遼河文明を担った人々と、北欧のフィンランドやノルウェー、ロシア北西部などに住むウラル系民族は、同じルーツである。実際にウラル系民族が住んでいるところから櫛目文土器が出土している。当初は東南アジアにいた祖先型であるNO*(Y染色体)がN(Y染色体)祖型とO(Y染色体)祖型に分岐した後、そのN(Y染色体)祖型が北上して遼河流域にやってきて遼河文明を発展させた。O(Y染色体)祖型はO2(Y染色体)系統【長江沿岸・日本列島系】やO3(Y染色体)系統【黄河沿岸系】に分岐して長江文明や黄河文明を開化させた。遼河文明を担った人々は気候の変動や他民族から追われて、北(1万2000年前頃)又は西(4200年前頃)へ移動した。その根拠は櫛目文土器の出土である。最古のものは遼河文明・興隆窪文化(紀元前6200年頃~紀元前5400年頃)の遺跡から発見されており、フィンランドでは紀元前4200年以降、朝鮮半島では紀元前4000年以降に初めて現れる。日本の縄文土器にも類する土器(曽畑式土器)があり、弥生土器にも似た文様を持つ物がある。土器は東アジア発祥であり、西へと伝播した。曾畑式土器との類似が指摘され、縄文文化にも影響を及ぼした。遼河流域に紀元前6200年頃から繁栄した文明が北欧に伝播するとともに、朝鮮半島、日本列島にも伝播し、影響を及ぼした。

     縄文文明【紀元前1万6500年~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、縄文語】や長江文明【紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、ベトナム系言語】に遅れて、7300年前の喜界島超巨大噴火以後に遼河文明【紀元前6200年前~紀元前500年頃、ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】と黄河文明【紀元前6800年~紀元前1600年、ハプログループO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、シナ・チベット語族】が起こり、難を逃れた縄文文明人がこの2つの文明に深く関わっていた。遼河沿岸地帯は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在した。

     日本も7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。その後、遼河文明人は、約4200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したことから、色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)は西に移動し、カザフスタンのバルハシ湖の東にいた(狭義の)匈奴【ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】と呼ばれていた。中央アジアのキルギスの例からソグド人(バルハシ湖の南西にあるソグディアナに住んでいた)はハプログループR(Y染色体)、ハプログループO(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)の混血であり、(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体))とは別である。昔はソグド人と(狭義の)匈奴を混同していた。温暖化(縄文海進は約1万年前~6000年前)に伴い、関東まで熱帯であり、ハプログループN(Y染色体)は適温な青森県に移り住み、三内丸山縄文遺跡を担った。この人たちは栗や栃の実などを栽培していた耕作地が疲弊してきたため、青森から関東方面に向けて移動していった。氷河期が終わって海面が上昇すると、北極海の冷たい海水がベーリング陸橋→海峡を通って親潮(寒流)となって太平洋に流れ込んだ。7000年前から太平洋沿岸の寒冷化が進み、3500年前、東日本縄文人【東北のハプログループN(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)、関東のハプログループD(Y染色体)】が南下し、西日本にも広がった。遼河文明と縄文文明は関係が深く、頻繁な往来があった。

     現在、この(狭義の)匈奴は北欧【ハプログループN(Y染色体)のフィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人、バルト3国人、ウラル語族)】や東欧【ハンガリー人、ウラル語族、現在は周囲と混血し、ヨーロッパ人の遺伝子が多い】に住んでいる。ハンガリー人はハプログループR(Y染色体)の比率が高く、ヨーロッパ人化が進んでいるが、フィンランド人はハプログループN(Y染色体)の比率が高く、アジア系(日本の蝦夷と同じ)の特徴が残っている。ハンガリー人はマジャール人とも呼ばれているが、マジャールは(広義の)匈奴=モンゴル(ペルシャ語のムガール)である。フィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人【+I(Y染色体)、エストニア人N(Y染色体)・41%、ラトビア人、リトアニア人】、マジャール人(Y染色体ハプログループR1a が最多、R1b や I がほぼ高~中頻度、NやC2が低頻度)等である。ハプログループ I (Y染色体)が結構多いことから、バルカン半島~スカンジナビア半島でハプログループ I (Y染色体)+ハプログループR(Y染色体)+ハプログループN(Y染色体)がバイキングとして混血した。

     3割が色白金髪碧眼高身長であり、シベリアを中心に住んでいるアジア系アルタイ諸語タタール人【Q(Y染色体)、C2(Y染色体)、N(Y染色体)】がいる。

  9. ハプログループX(mtDNA)はヨーロッパ・縄文人・アメリカ大陸先住民のみにしか見られない。

     ハプログループX(mtDNA)≒ハプログループDE(Y染色体)orR(Y染色体)は、西中欧人、中東人、アメリカ先住民及びアイヌ人・縄文人で観察され、特にアルゴンキン語族話者に多く見られる。レーマン人の子孫であるインカ人とアイヌが同じ民族。4000年以上前のミイラからmtDNAを抽出し、インカ人の末裔であるケチュア族、ラウル・アパル氏より抽出したDNAと比較した。過去58体のミイラからmtDNAの抽出に成功し、それら58体のミイラとラウル氏のmtDNAを比較した結果、12体のミイラのmtDNAの文字配列(564文字)がわずか2か所だけの違いで、あとはすべて一致した。すなわち、ラウル氏はレーマン人の子孫であることが科学的に証明された。またデータベースで調べたところアイヌ人の一部の人たちと非常に近い配列であることも判明した。1970年代に採血された純粋なアイヌ人の血液からのDNAとラウル氏のDNAの比較をした。これまでに調べられた全世界の2万7000人すべての人の中で、ラウル氏に最も近いのがアイヌだった。そして、その現代アイヌのmtDNAと埼玉県戸田市で発掘された縄文人のmtDNAが一致した。また、同様の結果は北米インディアンのトリンギット族とアイヌの間でも出ている。

     縄文人のmtDNAとしては、ハプログループF(mtDNA)、B(mtDNA)、M7a(mtDNA)などの型があったと判明している。東北地方縄文時代人と北海道縄文時代人DNAと比較した結果、ハプログループN9b(mtDNA)及びM7a(mtDNA)が北日本の縄文人のミトコンドリアDNAの遺伝子型の中心とされている。北海道縄文人集団にはN9b(mtDNA)、D10(mtDNA)、G1b(mtDNA)、M7a(mtDNA)の4種類のハプログループが観察されている。このうちN9b(mtDNA)の頻度分布は64,8%と高いのが特徴で、N9bはアムール川下流域の先住民の中に高頻度で保持されている。D10(mtDNA)もアムール川下流域の先住民ウリチに見られ、主に北東アジアに見られるハプログループG(mtDNA)のサブグループG1b(mtDNA)はカムチャッカ半島先住民に高頻度で見られるが、現代日本人での報告例はない。

     バイカル湖畔にあるハプログループX(mtDNA)は縄文人、アイヌ、ヨーロッパ人、中東人及びアメリカ先住民で観察される。日本人におけるハプログループ(mtDNA)は、東アジア・東シベリア→アメリカ大陸のA(mtDNA)、B(mtDNA)、C(mtDNA)、D(mtDNA)、東アジア・東南アジアのE(M9) (mtDNA)、F(mtDNA)、G(M12) (mtDNA)、西アジア→南アジア→志那のM(mtDNA)、N(mtDNA)、西アジア→西シベリア→ヨーロッパ・中東、東日本、アメリカ大陸のX(mtDNA)、志那→北東シベリア沿海州のY(N9) (mtDNA)、遼河・西日本(匈奴=父系ハプログループN(Y染色体))→フィンランド(ウラル系民族)のZ、西アジア→ヨーロッパのHV(mtDNA)がある。ハプログループZ(mtDNA)はフィン人、サーミ人、ロシア人、ハザーラ人、日本人、朝鮮人、中国北部、カムチャツカの先住民などで観察される。一部は遼河~北東亜平野~西日本発祥のハプログループN(Y染色体)と同じような拡散経路をたどったと考えられ、ウラル語族との関連が想定される。

                                               (以上)

    免疫グロブリンの血液型Gm(ガンママーカー)遺伝子

     現在の殆どの日本人に最も濃く残っている免疫グロブリンの血液型Gm(ガンママーカー)遺伝子は土着系(シベリアから来た縄文人)と同じ。現代日本民族全体では、青のag遺伝子(白人)が45.8%、緑のaxg遺伝子(白人)が17.6%、北方型の黄色のab3st遺伝子(北方系新モンゴロイド)は26%、南方型の赤のafb1b3遺伝子(南方系新モンゴロイド)は10.6%であり、大半を占めるシベリア系の遺伝子基盤にシナ大陸中南部系を追加しただけで90%を占める。残りの10%は東南アジア系等のさまざまなDNAで、今の朝鮮半島人のDNAと似たものは僅かに5%程度。原日本人の数が多かったために縄文中期に渡来した人々、飛鳥、奈良時代の渡来人の血も原日本人の中に吸収され、同化していった。

     インドから東アジアに広がる際にマラリアに対する免疫を得た南方系新モンゴロイド:fb1b3遺伝子(白人)→マラリアに強いafb1b3遺伝子(南方系新モンゴロイド)と変遷した。東南アジアや中国ではafb1b3遺伝子(南方系新モンゴロイド)が大部分を占める。

    アメリカ大陸はag遺伝子(白人)が大部分を占め、次いで緑のaxg遺伝子(白人)が多い。黄色のab3st遺伝子(北方系新モンゴロイド)は極めて少なく、afb1b3遺伝子(南方系新モンゴロイド)に至ってはまったく存在しない。
                                               (以上)

    JCウイルスにおける縄文・ヨーロッパ・アメリカ大陸の繋がり

     JCウイルスという人間に害を与えず家族間で感染するウイルスがあって、このウイルスの種類を調べることで人間集団の状況を知ることができる。日本では、東北でMY亜型が多い(日本特有タイプ、例外的に中南米にもある)。西日本でCY亜型が多い(日本特有タイプ。中部地域で双方同数。沖縄、九州に少数のSC亜型がある(中国華南に特有タイプ)。鹿児島、長崎、山梨、富山、山形に少数のB1亜型がある(アジア大陸に広汎に分布)。青森、秋田、宮城、山形に約1割のEU亜型が含まれる(白人に特有タイプ)。となった。ヨーロッパ、北アフリカ、アラビア半島を含む地域はEU亜型(白人に特有タイプ)、アジア、インド、アラビアからギリシャまでを含む広大な地域はB2亜型、アフリカ大陸、インド、アラビア、ギリシャまでを含む地域はAf2亜型、(ギリシャはウイルス亜型においても東西の十字路だ)、メキシコ北部、メキシコ中部、ペルーではMY亜型。

     ヨーロッパなどのEU亜型が東北に若干存在する。日本にはモンゴルや中国東北部のB亜型がほとんど存在せず、西日本のCY亜型や東日本のMY亜型が日本特有タイプである。東日本と中央アメリカ大陸原住民が同じMY亜型である。

     弘前・秋田・仙台など北日本の住人の一部から1〜2割の割合でヨーロッパにしかみられないポリオーマ・ウイルスA型が見つかっている。

                                               (以上)

    犬の血液型は日本とヨーロッパがA型、アジアがG型

     秋田犬や北海道犬は、同じ日本犬でありながら、柴犬や紀州犬とは血液型が違う。犬の赤血球の糖質によって、A型とG型に分けられる。世界の38品種の犬を調べたところ、柴犬(古代犬種)や甲斐犬、紀州犬などの和犬やアジアに生息する犬は、A型、G型の血液を持つ。ヨーロッパではA型の血液しか持たない。同じ和犬の中でも秋田犬(古代犬種)と北海道犬は、ヨーロッパ犬と同じA型しか持たない。秋田犬と北海道犬の祖先は、アジアではなく、ヨーロッパから来たのではないか。日本テレビの「特報リサーチで2001年3月18日」において、秋田犬や北海道犬の血液型は、ヨーロッパ系の犬と同じく全てA型であり、東洋の犬のようにG型の犬が存在しないことが報告された。犬の赤血球糖脂質にはNアセチルノイラミン酸を持つA型と、Nグイコルノイラミン酸を持つG型がある。

  10. 日本→ヨーロッパに移動したハプログループN(Y染色体)

     縄文文明【紀元前1万6500年~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、縄文語】や長江文明【紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、ベトナム系言語】に遅れて、7300年前の喜界島超巨大噴火以後に遼河文明【紀元前6200年前~紀元前500年頃、ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】と黄河文明【紀元前6800年~紀元前1600年、ハプログループO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、シナ・チベット語族】が起こり、難を逃れた縄文文明人がこの2つの文明に深く関わっていた。色白金髪碧眼高身長は縄文文明人から遼河文明人に引き継がれた。

     遼河沿岸地帯は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在した。日本も7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。その後、遼河文明人は、約4200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したことから、色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)は西に移動し、カザフスタンのバルハシ湖の東にいた(狭義の)匈奴【ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】と呼ばれていた。なお、中央アジアのキルギスの例からソグド人(バルハシ湖の南西にあるソグディアナに住んでいた)はハプログループR(Y染色体)、ハプログループO(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)の混血であり、(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体))とは別である。昔はソグド人と(狭義の)匈奴を混同していた。

     ハプログループP(Y染色体)について、①ユーラシア大陸では西シベリアにハプログループQ(Y染色体)が集中している、②ハプログループQ(Y染色体)が満州を北上している、③極東からアメリカ大陸に渡ったハプログループQ(Y染色体)が多い、④ユーラシア大陸ではヨーロッパ・中央アジア南部・中近東・インドにハプログループR(Y染色体)が集中している、⑤一部のハプログループR(Y染色体)は極東からアメリカ大陸に渡り、北アメリカ北部に集中している、ことから、東南アジア~東アジアでハプログループP(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)に分かれた。東南アジア~東アジアにハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が結構いる。

     氷河期が終わると、東南アジア~東アジアではハプログループO(Y染色体)が強すぎるため、もしくは新天地を求めて、ハプログループN(Y染色体)、ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が北、東、西に向かった。ハプログループMS(Y染色体)→ハプログループM(Y染色体)、ハプログループS(Y染色体)は氷河期に南東に向かった。

     シベリア~中央アジアで北西に向かったハプログループR(Y染色体)とハプログループN(Y染色体)が混血し、色白金髪碧眼高身長はハプログループN(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)に受け継がれた。

     現在、この(狭義の)匈奴は北欧【ハプログループN(Y染色体)のフィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人、バルト3国人、ウラル語族)】や東欧【ハンガリー人、ウラル語族、現在は周囲と混血し、ヨーロッパ人の遺伝子が多い】に住んでいる。ハンガリー人はハプログループR(Y染色体)の比率が高く、ヨーロッパ人化が進んでいるが、フィンランド人はハプログループN(Y染色体)の比率が高く、アジア系(日本の蝦夷と同じ)の特徴が残っている。ハンガリー人はマジャール人とも呼ばれているが、マジャールは(広義の)匈奴=モンゴル(ペルシャ語のムガール)である。フィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人【+I(Y染色体)、エストニア人N(Y染色体)・41%、ラトビア人、リトアニア人】、マジャール人(Y染色体ハプログループR1a が最多、R1b や I がほぼ高~中頻度、NやC2が低頻度)等である。ハプログループ I (Y染色体)が結構多いことから、バルカン半島~スカンジナビア半島でハプログループ I (Y染色体)+ハプログループR(Y染色体)+ハプログループN(Y染色体)がバイキングとして混血した。

     3割が色白金髪碧眼高身長であり、シベリアを中心に住んでいるアジア系アルタイ諸語タタール人【Q(Y染色体)、C2(Y染色体)、N(Y染色体)】がいる。

     色白金髪碧眼でNが少ないが、色白金髪碧眼高身長がハプログループR(Y染色体)に受け継がれたノルウェー人(Y染色体ハプログループI・40.3%、R1a・17.9%~30.8%、R1b・25.9%~30.8%)、スウェーデン人(Y染色体ハプログループI・37.5%、R1a・24.4%、R1b・13.1%、N・4.4%)、デンマーク人〈+I(Y染色体)〉等の北欧人がいる。

     西シベリアの北極圏においてヨーロッパ人の先祖であるハプログループH(mtDNA)=R1(Y染色体)、U(mtDNA)=I(Y染色体)と、日本人やアメリカ先住民の先祖であるハプログループD(mtDNA)≒D(Y染色体)が一緒に暮らしていた。ハプログループX(mtDNA)≒DE(Y染色体)、R(Y染色体)はヨーロッパ・中近東、東日本(縄文人、アイヌ)、北アメリカ大陸北東に共通して観察される。また、西シベリアの北極圏では、永久凍土のミイラはゼレニーヤール(Z-Y)の埋葬地(66°19'4.54 С; 67°21'13.54Â)にある12〜13世紀の墓で発見され、古代のDNA分析は、ZYミイラのmtDNAハプロタイプが5つの異なるハプログループ、即ちU5a(mtDNA)=I系統(Y染色体)、H3ao(mtDNA)=R1(Y染色体)、D(mtDNA)≒C(Y染色体)、U4b1b1(mtDNA)=I系統(Y染色体)、及びD4j8(mtDNA)≒D系統(Y染色体)に属することを示した。それらは西部と東部のシベリア特異的mtDNAハプログループのそれらの独特の組み合わせでそれらを区別する。 

     7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)が温帯だった青森県の三内丸山遺跡を担った。この人たちは栗や栃の実などを栽培していた耕作地が疲弊してきたため、青森から関東方面に向けて移動していった。氷河期が終わり、海面が上昇すると、北極海の冷たい海水がベーリング陸橋→海峡を通って親潮(寒流)となって太平洋に流れ込んだ。これにより太平洋沿岸の寒冷化が進み、これに伴い、3500年前、東日本縄文人(東北のハプログループN(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)、関東のハプログループD(Y染色体))が南下し、西日本にも広がった。

     新石器時代の中国東北部や東部沿岸の遺跡から縄文土器が出土している。遼河系先住日本人【ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】=遼河文明系匈奴【ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】であり、日本の古墳は匈奴由来である。 

     日本人におけるハプログループ(mtDNA)は、東アジア・東シベリア→アメリカ大陸のA(mtDNA)、B(mtDNA)、C(mtDNA)、D(mtDNA)、東アジア・東南アジアのE(M9)(mtDNA)、F(mtDNA)、G(M12)(mtDNA)、西アジア→南アジア→志那のM(mtDNA)、N(mtDNA)、西アジア→西シベリア→ヨーロッパ・中東、東日本、アメリカ大陸のX(mtDNA)、志那→北東シベリア沿海州のY(N9)(mtDNA)、遼河・西日本(匈奴=ハプログループN(Y染色体))→フィンランド(ウラル系民族)のZ(mtDNA)、西アジア→ヨーロッパのHV(mtDNA)がある。ハプログループZ(mtDNA)はフィン人、サーミ人、ロシア人、ハザーラ人、日本人、朝鮮人、中国北部、カムチャッカの先住民などで観察され、一部は遼河~北東亜平野~西日本発祥のハプログループN(Y染色体)と同じような拡散経路をたどったと考えられ、ウラル語族と関連していると思われている。

  11. 長岡花火の方がヤバいですよ😅😊😊😊😊😊😂😂😂😂❤❤❤❤🎉🎉🎉🎉🎉

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