「君たちはどう生きるか」は昭和10年代に書かれた小説です。
内容は道徳の教科書に出てくるようなテーマであり、束縛された時代の空気に影響されてか、お行儀のいい、面白みの欠ける内容だと思いました。
が、一方で、誰しも生きていると必ずぶつかる試練に主人公がどう乗り越えていくか、がリアルに描写され、我が身自身、身につまされました。
多くの大人たちが自己反省を込め、次世代に伝えたい内容だと、子供たちに読むよう推薦したくなる作品だろうなと思います。
さてその上で問題提起したいのは、「君たちはどう生きるか」の前に「君たちはなぜ生きるか」がなければならないのではないか、ということです。
この小説は、人生の試練にぶつかった時にどうしたら強く乗り越えられるか、の生き方を教えたものです。
それはそれで大事なことです。
しかし考えてみてください。
そのように試練を乗り越え、生き続けていく理由は何なのでしょうか。
主人公であるコペル君は、クラスの友人を失うかもしれない試練に直面し、こんな時「どう生きればいいか」大切なことを学びました。
しかし彼には今後も、人生の様々な試練はやってきます。
それはまたしても友人や家族を失うかもしれない試練かもしれませんし、財産を失う試練や、健康を失う試練かもしれません。
それらの試練をなんとか乗り越え、乗り越え、みな生きていくのですが、時に私たちは、その試練を乗り切れず、大切なものを失ってしまうこともあります。
その孤独、喪失感は耐えられない苦しみです。
その苦しみを耐えてでも、私たちがずっと生き続けるのは、なぜなのでしょうか。
どう頑張って苦難を乗り越え、生きたところで、遅かれ早かれ、最後は死ななければなりません。
必ず死ぬのに、なぜ生きねばならないのでしょうか。
「なぜ苦しみを何度も乗り越え、人は生き続けねばならないのか」
「必ず最後は死ぬのに、それまで死なずに生き続けねばならない理由は何か」
この根本の問いに真正面から答えを示されているのが仏教です。
そんな内容の動画です。
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20 Comments
菊谷先生 ありがとうございます🙏
四聖諦、八正道についてお聞きしたいです。
苦しみの山を越えても幸せは得られないんですね。なぜ生きるのかは、人生の目的地をもってそこへゴールすること。仏法を聞いて、幸せを得ることだと思います。。
私は、生まれてから、
ずっと【どう生きるか?】を追っかけてきたのですね。
山超えて山超えて。
だから、息苦しくなっちゃった。
【なぜ生きるか?】
なんて、
7月に、菊谷先生の動画に出会うまで、そのようなこと、
全く考えたことありませんでした。
ジワジワと、嬉しいです。
安らかな心地になりました
煩悩即菩提。
どう生きるは生きる方法、なぜ生きるは生きる理由です。
経験は、乗り越えた先に自信や教訓を与えます。それが幸福の一つです。人生の富であり人としての豊かさです。人生は経験によって、潤いや充実感が増します、この連続で幸福感が増えてきます。逆境を不運と捉える人もいるでしょうが、逆境に幸福の種があります。幸せにたどり着いて後は遊んでいたいと、私は思いません。一つ充実してゆっくり休む、これは人生の暇つぶしです。
車椅子でも登るのか…きっついなあw
仏教、もっと勉強して、きっついなあじゃない、新たな境地を目指します!
確かに人がなぜ生きるか。。
その疑問には普段は人は考えないでしょう。
目の前の人生を生きることに精一杯だからです。
そこに焦点を当てたお釈迦様は偉大だと思います。
あまりにも感動して、安易なコメントを上げ、申し訳ありません、大切な動画であります
。📱😳🐶❤️🌅👍
今の社会は競争社会です。 誰もが、他の誰よりも多くの家、金、財産を手に入れようと 一生競争する社会です。
トラブル、不幸、戦争と破壊の原因のほとんどは、この競争にあります。
受験戦争、就職戦争、出世競争、企業競争、借金地獄など……。
本当の幸せは、競争しないこと 争わないことではないでしょうか。
自分一人の幸せから、みんなの幸せへ。
奪い合うことから、分かち合いへ。
競争から、調和へ。
本当の幸せは、みんなの幸せ。
本当の幸せは、誰とも対立しない。
私は、非対立を自分の生き方として、やっていこうと思います。
心の中の対立の炎を、消していきましょう。
どう生きる=手段
なぜ生きる=目的
目的地がハッキリしてこそ、そこへ向かう手段を考える事が出来る❣️
目的がハッキリしていないのに、手段ばかり考えても意味が無い❣️
なぜ生きるこそ人生の目的❣️
頑張って聴聞させて貰います❣️
10年20年30年先も今の様に毎日を過ごしたいですか?
来世も今の様な生を続けたいですか?
これを己れに問うてみるのは良い事かも知れません。
なぜ生きるのか、人間以外にも聞いてみたいです!
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
どう生きるかは、人生の節目での、苦難の乗り越える為の方法=処方箋。
仏教のなぜ生きるかは、何度も何度も、苦難を乗り越えてきたが、また先に苦難がある。
人は、そうやって乗り越えて行くのは、なぜなのか、人生の目的をはっきりさせなければいけない。
目的=目的地とも言い換えられる。人生の目的地が、はっきり決まれば、そこに行く方法を考える。
人生の目的をはっきりさせないで、いたずらに、どう生きる=処方箋 ばかりにとらわれていたら、
人生の最後になって、自分の人生を振り返った時に、後悔の念に苛まれるだろう。
なぜ生きる=人生の目的をはっきりさせることは、とても大事な事です。
菊谷先生、よくわかりました。有難うございました。🙏🙁
今回の話を聞いている時に菊谷先生の以前の動画を思い出しました。360度見渡しても水平線の苦難の海で泳ぎ方をコーチしてくれる人は居てもどの方向に向かって泳げば良いのかを教えてくれる人は居なかったが、教えてくれた人は地球上では「お釈迦様」ただ一人であった😄
本当に、どう、と、
なぜ は、一見、同じことだと、
思われがちですね。m(_ _)m
コンビニにありましたが、
ビニールに、包んでましたm(_ _)m
菊谷先生の法話にいつも感動してます。成功論と仏教の違いはこの世だけの思考と来世を信じて死ぬ寸前まで努力出来る事だと思いますが。
何故生きるかと云うよりは、どう生きるかの方が大切です。何故生きるかなんて知って生まれて来た人一人も居ません。人間社会においてどう生きるかを考えるのは当然のことで、うまいこと行くにはって事は私も会得したいです。医者は人間がまだ生きたいという希望に添うことと同時に医者の立場としてしてる事で、何故とかどう生きるかは医者が考える事ではありません。一所懸命治療するだけです。それが仕事です。山登りに例えて言ってますけど、登山でこの山の頂に着いたらまだ向こうに山があった。登山はここ迄で満足終了。向こうの山は関係ありません、下山の時死ぬかもしれないってことも思いもしないでしょう。では何故生きるのですか?。おぎゃと知らん間に生まれて来て、産みの親は何故子を望んだかは知ってますよ。だけど人間として何のために存在し何故生きるのは、子を産んだ親も知りません。釈迦も人間です。知る訳が無い。知っているのは人間はいつか必ず死ぬと云うこと。だからどうだって言うんですか。なんだかんだ高齢になっても「あ~ああああああああああああ~」なんて思って苦悩して生きてる、そんな賢い人いません。いよいよになったら意識は混濁として彷徨い気持ちよくお亡くなりになります。この世は苦の娑婆では有りません。我田引水に過ぎます。・・さて、確かに苦は沢山有ります。けど、そこをどう生きるかを探りながら、大いに悩み楽しんで生きてください。辛い悩みがあっても一時のことですから、ず~~とそんな事無いです。ゲームでもして忘れてでも生きてください。何故生きるなんて事考えて悩む事のないように・・・。by一言居士詐欺師・利一八田