※概要
承久の乱の敗戦後の藤原秀康、三浦胤義、後鳥羽上皇、土御門上皇、順徳上皇、仲恭天皇、頼仁親王、雅成親王がどうなったのか、ざっくり紹介しています。
2022年、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」解説動画です。
【関連動画】
後鳥羽上皇が作った西面武士と藤原秀康について
→ https://youtu.be/DmpoRHEkIjk
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50 Comments
とうとうおまけが動画の半分に!
本編も勉強になりますが、最近はおまけを楽しみにしている自分がいます笑
学校で習ったことが正史なんだけど、本当はこうだったんじゃ?と推理することが楽しいです😊
三浦平九郎胤義は草燃えるでは、頼家の近習で、彼の最期に立会い泣く泣く斬った恨みから、承久の乱では北条に徹底して敵対する役だった。柴俊夫さんが演じてすごく印象に残っているが、本作の設定ではなんかあっさりしてた。義村が鎌倉、胤義が京都について、どっちが勝っても三浦が残るとか真田家みたいなことかな。
草燃えるはわりと、ドロドロした人間模様が描かれていたが、三谷さんの切り口は違う。どっちがいいとはいえない。13人とにかく楽しめた
私も元々大河ドラマで伊達政宗が好きで歴史に興味を持ちました😊
こういうのをきっかけで歴史好きになると良いですよねー
承久の乱では実朝の嫁のチヨの兄弟も上皇側に参戦して、本当は死刑になるところをチヨが義時達に「兄たちの刑を軽くして下さい!!!」と懇願して、流罪で済んだんですよね。本当に優しい人だと思います
確かに、具体的に恩賞を与えると書いてあれば、士気もあがりますね!治天の君に楯突く鎌倉武士って、不思議と思っていたけれど、彼らにしてみれば、遠く京にいる支配者より、目先の利益が強かったわけですね。もちろん官軍に敵対するのは、心情的に決して簡単ではなかったでしょうが。
人って興味がない(自分に利益がない)物には情報として脳に入ってこないですからね。
で、数年後興味持ち出すとすんごい近場にそれがあったか!?と驚くという😅
まぁこれもひとつの楽しみ方と言われればそれまでですが。
いつも詳しい歴史の話と楽しいおしゃべり、ありがとうございます。
今回のおまけは、うんうんとうなづきながら見ていました。
私も子供の頃から歴史が好きでしたが、年号に滅法弱くて、悔し紛れに「何年に何が起きたかより、なぜそういうことが起きて、その後どうなったかという流れの方が大事だ」と思ってきました。
あと「みんな人」というのも納得です。
歴史上の人物も、みんなそれぞれの人生があって、後世どんな風に言われるかなんてあまり考えずに、日々目の当たりにする出来事に向き合っていた結果が歴史だと思います。
歴史は一人ひとりの人生ドラマの積み重ねですよね。それこそが、歴史はエンターテイメントということだと思います。
これからも動画を楽しみにしています。
承久の乱、勝利後、御家人たちは約束通り土地を分け与えられたのでしょうか?
特に気になるのは、誰の土地荘園を切り分けたのか気になります。後鳥羽法王は皇族歴史上でも指折りの荘園持ちだったと聞いたことがありますが…
上皇の荘園を切り分けて御家人に与えられたとしたらその土地に赴任した御家人は現地民に、上皇様の所領の民だったのに、片田舎のちんぴら豪族の…とか思ってなかなか服従しなかったりしなかったのでしょうか?戦国時代肥後に赴任した佐々でさえあれだけ苦労したのに…
きりゅうさん、くーさん、こんばんは。(ラットさんはお休みでしたね。)後鳥羽上皇が後白河法皇の想いを兼子さまに言われてはっとして自ら闘うことを辞めたシーンで、後白河法皇の大切にされていたお考えはなんでしたっけ?と思ったのですが、今回の動画でわかりました。ありがとうございます。
治天の君、上皇を「臣下」である武家が裁くという、前代未聞の行為が、どのような名分で行われたのか当時の身分秩序を考えるととても不思議です。新治天の後高倉院の沙汰によるという形をとられたのであろうと思いますが。
20年来鎌倉市に住んでいるのですが世間一般と同じく戦国時代と幕末が好きで鎌倉も通り一遍な所しか見ていませんでした。きりゅうさんのYouTubeを見て義時の墓もわかりました😅
今は寒いので(根性なしなので)暖かくなったらきりゅうさんの昔のYouTubeを見ながら鎌倉を回ってみたいと思います。きりゅうさんのYouTube見て義高の葬られた寺には行きましたよ😊
天皇や上皇が現在の天皇家より人間臭いのが凄いなぁ
それから、蒙古軍をやっつけたのは神風じゃなくて鎌倉武士達だったってのもなるほど!と思った
あの血の気の多い鎌倉武士なら日本の土地を守るため頑張ったんだなと納得
こんばんわです
そうなんですよね
どうなっただろうと思う三浦さんの弟さんとか?謎が解けました
謎が解けて良かったです
でも、運慶さんはどうなったですか?
あと、義時の人相を彫った物は本当のお話なんですか?
きりゅう先生はお元気そうで、良かった‼️(笑)何よりです
ありがとうございました
廃位は天皇であったことさえ認めないという厳しい処置なので、増鏡の逸話はきっと創作ですね。
鎌倉に近い所に住んでいるのですが、今まで観光地としての鎌倉しか知りませんでした。それが今では、ゆかりの地巡りハイキングを楽しんでいます。鎌倉殿ファンに朝比奈切通しがおすすめです!
きりゅうさんの解説がわかりやすくて鎌倉殿にハマり、鎌倉の地が好きになりました❤
わけのわからない褒美よりも具体的な土地、いまで言えば賞状よりも現金、
そりゃ実(じつ)を取りますわ😚
歴史エンターテイメントとして楽しめる内容とは思いますが…。そもそも「乱」なのか?「変」なのか?再考をお願いします。
あれ?土御門上皇の話を聞くと崇徳院が浮かぶ…でも本人の資質や境遇、親子関係で変わるものなんだろうなぁ
いやはや流石に三上皇流されたら権威なんてガタガタになるわなぁ…
それにしてもまさか承久の乱のその後の話オチが「マンションの石礎」で終わるとは
やっぱり一味違う歴史チャンネルだ👀
最終回の日、信濃で梶原景時の文書が発見されたというニュースがありました。ドラマの盛り上がりの影響で御家人たちがまた陽の元に現れたような運命的なものを感じました。きりゅうさんのおかげでこの一年楽しかったです。そういえば時代考証の木下竜馬さんも「きりゅうさん」と呼ばれているそうですね。
後鳥羽法皇になった…
後鳥羽は諡だから
正確に言えば 治天の君から
法皇になったが正しいのでは?
コメントけしましたか?そうであれば理由願います⁉️
きりゅう先生は歴史上の人物を語る際、必ずその時代の文化や常識や特に「立場」を一緒に解説してくださって
どの歴史人物へも深い情愛、尊敬の気持ちが感じられるのが素晴らしい。解説を聞いてる私も、きりゅう先生が語る人物は
誰のことも嫌いになれなくて毎回ほっこり。
立場というのであれば、まず自分だったらと、おもいませんか。誰も嫌いになれないとが、今だけだとおもいます。
承久の乱その後が分かって良かったです!その後は誰が天皇になるかでもめて高倉天皇の子孫にまでいったんですね!勉強になりました!
男性が可愛いけど無知な女の子に、ウンチクを語る形式は、多いけど、マンズスプレイニングで、見る気もしないけど、このチャンネルは、マンズスプレイニングじゃないので、イライラせずに見れて嬉しい。日本史大好きです。ここで自慢話ー私の大学の日本史の入試問題はマニアックな難問で有名なんですが、私は、全問正解で、合格してます。これからも楽しみにしていますね。
番組がおわってのコメントです。手違いあれば理由願います。私のいっていることがおかしいですか❗きりゅうさん。
ひまじんさん 学校のはなし。それはあなたの経験と、ぜったいなどと思い込みが激しいようです。私は歴史の時間が楽しみでたまりませんでしたよ。面白い教師とあわなかったのでしょう。
桐生さんの話っぷりの虜になっています。
こちらの動画の配信が一番楽しみ❤な日々を過ごしています。❤
鎌倉殿は終わっちゃいましたが、ずつーと、視聴していきたいと思います♪
お3人様の掛け合いも最高です❤
また消しましたね。北条のわるいところをつくと消すのか、三谷批判か。きりゅうさんのよいしょでないとだめなのですか。
きりゅう先生、やっぱり歴史は人の生き様ですね☝️
蟻が十ならさんへ 日本が最古の。。。とかいう意味深な意味の内容を説いていたと思いますが、詳しい根拠を教えてください。
おはなんさんへ かまくらどのをかいたほんは、たくさんあります。どらまだけではありませんよ。どらまがれきしではないとおもいますし、きりゅうさんのかいせつもどらまのかいせつにちかいですよ。
野球太郎さん t
治天の君は、上皇でいいと思いますよ。頭を丸めて法皇だ思いますよ。
きりゅう先生、慈円さんはどうなったのですか?よろしくお願いします🙇
仕事納めは何日でしょうか?
2022年最後の動画は鎌倉殿の総まとめをお願いしたいです
みんな人…けだし名言ですw
今年も一年間、楽しい動画ありがとうございました!
ドラマの登場人物に縁のある場所として、和田義盛の生誕の地と言われている場所が実家の隣の町内にあります。
ウキペディアなどの経歴から見ると、余り関わりのない場所なんですが、地区名が「和田」ということで、後の人が言い出したのか、末裔の方がその土地をそう名乗ったのか、今ではわからないことが「そうだったかも」と思えるのが歴史の楽しいところですよね。
因みに我が家の家伝の書によると、我が家は頼朝公よりこの地の地頭を任された三兄弟の一人がご先祖様と書かれています。
「本当に?」と思うよりも、「わたしも世が世ならお姫様だ!」と脳内再生し、毎日楽しく妄想しております笑
現在の天皇の直接の祖先は土御門天皇ですよね。
きりゅうさん
もしかして漢字で書くと
「桐生」ですかね?
すると、もしかして 「桐壺更衣」からのペンネームですね😃
再来年は、今年のドラマとはまるで違う 源氏物語ですね。
ところで、紫式部は白居易などの漢詩が読めたのですか?
後鳥羽上皇が院宣、仲恭天皇が宣旨をそれぞれ出したのですか?
忠臣蔵の時期はすぎましたが、あえて内蔵さんにでもなったつもりで粘ります。1、義村の毒殺示唆の件、全くのウソといってよい。義村が政村の烏帽子親であることからきたものだと思うが、いくらフィクションであってもブレーキは必要だ。とかく大河で歴史をかたるようになると義村がかわいそうだ。女好きもあまり、根拠がない。
2、伊賀の変。北条家当主が死んだ場合、後事をたくすのは、正妻である。北条氏の事に口を出す政子がわるい。彼女は、亭主も、息子も死に将軍をつれてきたとはいえ、自分の意のままになるかわからない。泰時が、執権を継げるか微妙だった。伊賀氏の企みは、現実味がなかった。あったのは政子の命令で鎌倉中の御家人が、鎌倉中を走り回っただけである。政子の一人芝居だったと思う。3、実朝事件の黒幕。これは、永井路子先生が義村説をとなえたのをきっかけに学者もとなえはじめた。しかし、仮に義時が死んでも鎌倉はかたまっており、公暁に真実を告げたしても、三浦、北条は、考えられない。京都もありえない 公暁、義村の事件後の会話も計画性があったとは、思えない。とすると、公暁の単独でいいのではないか。また義時が腹痛をおこしたのは本当ではないだろうか。彼は腸やカッケになやんでいたそうだから。
4、承久始末、義村は上皇の宣治等を幕府に出してからは、積極的に出馬していると見る。泰時同様、倅の泰村も出陣している。東海道をになった義村はよくはたらいた。戦後しょりは、泰時をたて、時期天皇を説得にまた領地問題もかたづけた。そして、彼は京都で公家から絶大な期待をよせられた。
5、最晩年の義村
成人した三寅を連れて鎌倉勢は、上洛した。きらびやかに着飾った先陣は、三浦義村だった。もう義村に何も言えるものはいない。「平六よ、よぅやったなあ、たえたなあ」彼の脳裏には義明、義澄、そして手を汚した。畠山の息子。公暁、最後には和田義盛の姿がしっかりとみえた。彼の生きる道それは、「曩祖為継以来の家」をまもるにあった。義村は初めてこころから「すまぬ」といっていた。
参考文献、拙書 夢を紡ぐもののふ「三浦一族物語」
後鳥羽上皇本人が軍を率いていたら鎌倉軍は降伏していたのかと考えると歴史が変わっていたのかな?
そう考えると おもしろいですね🎶
悲しい最期でしたが 藤原秀康と三浦胤義の その後も聞く事が出来て良かったです。
官軍に勝ち、上皇を流した大きな出来事になりましたねー。さすがに上皇を斬首出来ませんでしたねー。ただ斬首できないという先例は後醍醐の流罪止まりとなり後醍醐の倒幕に繋がるとはなかなか北条としては辛い話ですねー。
藤原秀康と三浦胤義はほんとに気の毒ですよね。命令に従っただけなのに。朝廷に尽くして冷たい仕打ちを受ける姿は楠木正成を思い出します。上皇さまは坂東武士を見下していたんでしょうが、実態はさらに上を行く貪欲さだったので「土地」ワードの差が出たんでしょうね。時政が「坂東武士っていうもは勝つためには手段を選らばねぇんだよ!」っていうシーンが思い出されました。承久の乱以降もドラマがあるので大河が終わって残念でした。次回もよろしくお願いいたします。
九条廃帝,仲恭天皇は明治天皇によって,淳仁天皇,弘文天皇と一緒に追諡されました.
「一所懸命」の「所」は土地を指していたとは…なるほど…全然意識してませんでした。
まぁ今は「一生懸命」ですけど、マメ知識ですね!
ありがとうございます😊
今日も歴史の楽しいところを沢山学びました。きりゅうさんありがとう❤
日本史で一番の興味は、未だ場所が特定されていない邪馬臺国や女王卑弥呼です。それと、明智光秀の謀反の真実は?でした。
歴史書がある時代はあまり興味なかったのですがきりゅうさんのおかげで史書にも色々な解釈があって面白いなと興味がわいてきました。
貴族様のお話は、複雑過ぎてオッサンには理解不能ですので😵🌀
ふと最終話で思ったこと…
家康が吾妻鏡の愛読者だったって、マジですか?😅
ほんと、鎌倉殿の13人と、きりゅうさんの解説で、鎌倉時代の大勢の御家人や宮中のことがたくさん学べました✨ありがとうございました😹