#静御前 #源義経 #大姫 京都守護 鎌倉に着いた静御前(石橋静河)と母・磯禅師。静御前が鶴岡八幡宮で舞うに至る経緯。「吉野山 峯ノ白雪 フミ分テ 入ニシ人ノ 跡ゾコヒシキ」から別の歌、さらに、「シヅヤシヅ シズノヲダマキ クリカヘシ 昔ヲ今ニ ナスヨシモガナ
」と続きました。八幡大菩薩の神前で朝敵である源義経(菅田将暉)を恋慕する歌を披露し舞った静御前に激怒した源頼朝(大泉洋)。その時の、御台所 北条政子の返しの言葉の重み。工藤祐経 (坪倉由幸) の鼓と畠山重忠 (中川大志) の銅拍子は『吾妻鏡』にも出てきます(三浦義村 (山本耕史) の太鼓はフィクションかと)。木曽冠者源義髙 (市川染五郎) を殺され、ふさぎ込んでいた数え年9歳の大姫(南沙良)。自分よりも、酷い目にあった人がいる。衝撃的な出来事だったことでしょう。静御前は前伊予守 源義経の妾なのか、否か。妊娠中。妊婦。いずれにせよ、身重で舞ったのは確かです。生まれてきた赤ん坊が女の子なら助命。しかし、男の子なら殺す、と決定。生まれてきたのは、男の子でした。泣くこと数刻(1刻は、2時間ゆえに数時間)。雑色の安達新三郎に磯禅師が赤ん坊を渡し、赤ん坊は由比浦、すなわち、由比ガ浜の海に沈められ、殺されました。産後の肥立ちを見て、御台所政子、大姫から、たくさんの贈り物をもらって、鎌倉を去るまで。その間、御家人が静御前の宿へ押しかけたエピソード。そのとき、静御前は?磯禅師は?女の意地とプライド。認めるのか、認めないのか。認めた方がよいのか、よくないのか。人生の選択。あなたなら、どうしましたか???鎌倉殿どうでしょう???忘れてはいけないことは、源義経は、鎌倉殿の弟であり、かつ、御家人である、ということ。『義経のスマホ』、始まったようですね。これから、仕事なので、時間があれば、続きも作ります。取り急ぎ。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』あらすじ
第20回 帰ってきた義経 2022年5月22日(日)放送 京を離れ、奥州へ逃れた源義経(菅田将暉)。しかし、温かく迎え入れてくれた奥州の覇者・藤原秀衡(田中泯)が程なく死去。これを知った北条義時(小栗旬)は、状況を探るため平泉行きを志願するが、義経の才を恐れる源頼朝(大泉洋)は、藤原国衡(平山祐介)・藤原泰衡(山本浩司)兄弟の仲の悪さにつけ込み源義経を討つように冷たく命じる。八重(新垣結衣)に見送られ、平泉へと発つ義時。一方、捕らわれた静御前(石橋静河)は鎌倉で・・・。
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文治二年三月小二十二日、静御前に尋問。文治2年4月8日、鶴岡八幡宮で舞った静御前。文治二年五月十四日、工藤左衛門尉祐経と梶原三郎景茂と千葉平次常秀と八田太郎知重と大和判官代藤原邦道がそれぞれ酒を片手に連れ立って、静御前の宿舎へ冷やかしに行って、酒を傾け宴会を開催。その時の、磯禅師のリアクションと、静御前のリアクションが、好対照。文治二年五月二十七日、合間を縫って、大姫に、本物の舞を見せてた、御台所政子の教育ママっぷり。文治2年閏7月29日、静御前が男子を出産したものの、殺されました。母と子。守りたくても、守れなかったのが、義経と静御前との間に生まれた男の子を、数刻(つまり、数時間)泣いて守った、静御前。果たして、何と言って、赤ん坊を受け取り、磯禅師に渡し、磯禅師は何と言って、安達新三郎に渡したのでしょうか。文治二年九月大十六日、静御前と母・磯禅師が、いとまをたまわり、京都に帰ります。御台所政子様と大姫君(数え年9歳)は憐れみ慈しんで沢山のお土産を贈りました。産後の養生のためしばらく留まっていた。、と。大姫は、静御前の生き様を見て、何を感じたのでしょうか。静御前が鎌倉に残した数々の記憶。ひとつひとつが、実に鮮やかによみがえります。