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プロレス動画維新軍
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※敬称について
本来なら「さん」「氏」など敬称をつけるべきですが、
ナレーションが不自然になってしまうため
あえて”敬称略”とさせていただいております。

#プロレス#アントニオ猪木

37 Comments

  1. マルコ戦はマルコが本調子ではなかったですね。 試合を受けたこと自体が凄いと思いますが。

  2. バトラーツは熱い戦いをしてましたね。 両国で引退式をしたリングガールの人も良い人でした。

  3. 解散後も単発で澤選手などバチバチスタイルを継承する興行を行ったりしてた気がします。今は近いものではパンクラス系ですが、 全日本プロレスに所属する 佐藤光留 選手がハードヒット という 興業をしていますね。

  4. バトラーツの最終興行見に行ったな…ステージ上にリングを設置してたんだけど、客席側からステージに上がる階段を選手が上がった途端ズルッと落ちたり、第2試合?に組まれてた学生プロレスでリングの鉄柱が折れたり、メイン終了とほぼ同時に土砂降りになったり…印象に残る大会だった。ゲスト参戦してたバス・ルッテンもサインや握手にも気軽に応えてくれて(他の選手も)ファンサービス凄くよかった。…すいません、動画とは関係のないただの思い出語りになってしまいました。

  5. 団体名がショー的要素の試合かと思ってたら途中から見れる機会があったので見たら結構試合も選手達もしっかりとカラダを作り代表の石川選手が意外にもしっかりした人でもあり、
    良い団体だと思い始めた頃に
    両国進出しておめでとうと思ってたら、それから消えていってしまったので

  6. もったいない団体でしたね・・・
    上手くいけば現在のドラゴンゲートみたいな新時代の寵児になってた可能性大だったし

  7. 埼玉の越谷で学生向けのアパートも経営してた。管理人夫妻常駐で手作りの朝・夕食付
    風呂は結構広めの温泉旅館みたいな大浴場(共同)で幾らだっけな~
    まだバトラーツ絶好調な頃に紙プロで見たけど、その後はどうなったんだろう?
    アレクは紙プロの女性編集者と結婚したんだよね

  8. 高校の時バトラーツジム(B-CLUB)に通ってたけどすごく新鮮だったなぁ。今は格闘技のジムってそこら中にあるけどその走りみたいな感じだったし。色々あったみたいだけど自分はバトラーツいい思い出です!

  9. いや、ちょっと待って。2001年で完全に潰れたような動画だったけど、正しくは翌2002年から活動を再開して、何だかんだでその後10年くらい団体としては存続しましたよ。活動の規模はかなり縮小されましたけど…

  10. バトラーツが正式に解散した直後の2012年に、ウチの会社に澤宗紀選手(最後のバトラーツ選手)が入社して、数ヶ月でしたが同じ部署で勤務しました。ノリの良い明るい性格で職場の人気者でした!私はプロレス好きだけど、バトラーツまでは見てなくて、彼の現役時代を見れなかったのが残念です!!

  11. 池田はリングで顎つき出して猪木のモノマネしてる石川を所属時から「違うだろ」って批判してた記憶。

  12. 紙プロが推す団体は潰れるというフレーズは、バトラーツから始まったんだよなあ……
    初期〜中期のバトラーツは皆必死で、「明日大丈夫かよ」と思わせる試合を毎回していたけど、情念キャラというか猪木コピーが表に出過ぎてから衰退が始まってきたのを覚えてる

  13. その他のバトラーツ没落の理由
    ・両国を使ったインディー団体は低迷するジンクス
    ・石川のネズミ講疑惑
    ・ネット勢への批判および支持を失った
    選手は個性的で粒揃いだっただけに勿体なかった・・・

  14. マーク・ケアーの件だよな 猪木というより、百瀬の存在

  15. 菊田に何もできずに敗れたアレクがマルコに勝てるだろうかという疑問はあるけど、あの勝利は快挙だったよね
    もともとレスリングとか柔道もやってないんだよね?
    プロレスしかやってない人で真剣勝負でちゃんと戦えた人はごく僅かだからね

  16. 三沢はバトラーツに苦言を言うと共に、橋本に「どこ(の興行が人)が足りないんだ?」と言ってノアの選手を派遣してくれたからな 男前だった

  17. プライドで菊田早苗に、アレクサンダー大塚と島田裕二レフェリーが組んで故意に金的攻撃をやってファンをヘラしたよな、よそのリングでもバックステージでなに揉めてたか知らないけど、トラブルメーカ―になって、団体消滅してコメディ迷惑キャラ「男盛」になってた。
     そのあと石川はアメリカ行ってゴッチの手伝いしてて、一時的に佐々木健介が練習場に使ってて、
     バトラーツとパンクラスの差って、マネジメント営業事務かな、やっぱり島田裕二

  18. こういう経緯があったとは…
    次は、DDTやドラゴンゲートがバトラーツのようにならなかったのか解説してもらいたい。

  19. 好きとビジネスは全く違うってことです。それと身の丈に合わない言動が、崩壊へとつながっていったのでしょうね。

  20. “U系のみちのくプロレス”…言い得て妙な表現ですね、個人的にはUWFは生観戦すると必要以上に疲れるし、インディはイマイチ、シリアスさに欠けるモノが多かったからバトラーツの生観戦は心地良かった記憶があります。ビクター・クルーガーなんかはバトラーツ以降、名前を聞かなくなりましたけど、どうしてますか?

  21. ロゴというかマークがなんとも垢抜けないのがな、、、

  22. こんなときこそ,藤原が間に入れば、と思ってしまう,難しいかもしれんが

  23. 下北沢でやってたぐらいの時が
    よかったなぁ
    U系なのか純プロレスかどっち付かずも短命になった原因かな

  24. バトラーツを知るきっかけになったのは澤宗紀選手でした。「やりすぎくらいがちょうどいい」と書かれたタオル3枚買いました。バチバチでかっこよかった。

  25. 思い出深い話です
    パンクラス勢が抜けたあとの藤原組が好きでバトラーツも追いかけていました
    石川選手も好きだったんですが猪木さんへの傾倒が強くなってからはどうなのかな?と思うことも増えていたので
    よい考察動画だと思いました

  26. スレタイ見たら猪木が潰した、若しくはトドメを刺したみたいな感じ。若パヤシさんは猪木disりのスレが多いからな。

  27. それもあるが、島田レフリーが傲慢だったことに象徴されるように驕っていたね

  28. 正直、当時から「多団体」時代は嫌でした。
    バトラーツはU系三派より明らかに弱かった(途上だった)
    との印象で。それこそFMWとの対抗戦なんてやっていたら
    もう少し上がったのかとも思いますが、当時はFMWのような
    デスマッチ団体も出てきて「あれもこれもプロレス」の始まり
    な印象もありましたよ。
    もう多団体時代は止まらずに、怪我しても生活もままならない
    「元プロレスラー」を増産する時代へと突入するのでしょう。
    どこかで止めるべきです。
    猪木さんが冷たい?
    そこから這い上がって来られてこその「プロレスラー」でしょう。
    表も裏も「力」。それが嫌なら一般社会で生活すべきでしょうね。

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