阪神・淡路大震災から27年。復興の歌はいまも、震災の記憶を伝え続けています。
三木市の小学校では子どもたちが震災について学ぶ講演会が開かれました。講師は臼井真さん。復興を願った歌、「しあわせ運べるように」の生みの親です。神戸市の旧吾妻小学校。震災当時、臼井さんは自宅を失った一方、小学校の職員として被災者の対応に追われました。先が見えない暮らしの中で、次第に心をすり減らしていったという臼井さん。そんな時、テレビで目の当たりにしたのが三宮の光景でした。
【臼井さんインタビュー】 
「私が幼いころから慣れ親しんだ街では無くなった。あまりにも悲惨な街の姿に込み上げてきた故郷への思いとか、様々な思いを目の前にあった紙の裏に書きしるし、突然にできたって感じですね・・・」                
そして震災からおよそ1カ月後。子どもたちの歌声が校庭に響き渡りました。27年が経ったいま、歌は震災の記憶を伝える役目も果たしています。

#阪神淡路大震災 #しあわせを運べるように #神戸三宮 #兵庫県三木市 #阪神淡路大震災27年 #神戸市
  

─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
やさしく・わかりやすくお伝えする「やさしいニュース」や
スポーツ、日本経済新聞社とのコラボ企画など日々、配信中!

【チャンネル登録】
https://www.youtube.com/c/tvosakanews/?sub_confirmation=1

【SNS】
▶Twitter   https://twitter.com/tvosaka_news
▶Facebook  https://www.facebook.com/tvosaka.news.fb
▶TikTok   https://www.tiktok.com/@tvonews

2 Comments

  1. 当時は12歳で小学6年でした。

    昨日まで一緒に遊んでた友達が何人も亡くなりました。

    現実を受け入れる事が俺にはできなかった

    小学6年の俺からしたら、あまりにも衝撃的すぎて心がボロボロになりました。

    今年で震災から27年です俺は今年で40歳になりますが、まだ心の傷は消えません。

    多分、生涯消える事はないでしょう。

    この傷は消してはダメだと思うから。

  2. もう、今年で27年になるのやな。
    俺は、所用で地元(三重県)に帰っていたのだけど
    たまたま、自宅にいた時に激しい揺れを感じて飛び起きた事を
    今でも鮮明に覚えている。あれが阪神淡路大震災だったのだよな。

Exit mobile version