上下、善悪の区別なき街
結局この欄で私はいつもノンフィクションばかり紹介している。
私は、出版界でノンフィクションの地位が低すぎると思っているのだ。出版界や本好きに評価されるのは、まず小説だ。出版にかかわる賞もほとんどは小説に与えられる。しかしノンフィクションは書店にコーナーすらないことが多い。
小説の中では、登場人物はだいたい善人か悪人かの一直線上に分類される。「基本的に善人だが悪い部分がある」「悪人だけど憎めない」という人ももちろん登場するが、それもやはり善と悪の直線上のどこかにポイントされ得る。そのスケール自体を壊すような人はなかなか創作物には登場しない。
しかし、ノンフィクションの、現実ゆえの複雑さは容易にこういった基準を超える。善か悪か、聖か俗か、そんな判断がまったく不可能な存在が山ほど登場する。そこが良い。
この本も、善とか悪とかそんなちゃちな基準で測れない人物が登場する。主な登場人物である夫婦それぞれについて、まったく予期しない方向の展開が起こるのだ。だからノンフィクションはやめられない。
主人公は、日雇い労働者の街といわれる山谷に、ホスピスケアの受けられる集合住宅「きぼうのいえ」を作った山本雅基という人物。彼はお金のない中で使命感に燃えて施設を造り、愛する妻・美恵とともに悪戦苦闘しながら山谷のホームレスの方々と親交を深め、いろいろな人を入居させて実際に経営していく。その思いは多くの人を感動させ、この施設は「プロフェッショナル仕事の流儀」に取り上げられ、ここをモデルとした映画が作られたりもした。
と、こう語るともう彼は「善」でしかない。美恵も含め、善の極みである。
となれば、もし物語が意外な展開をするならば、彼がお金を儲けて、変わってしまう?あるいは、実は彼は初めから悪人で、悪徳貧困ビジネスだったというようなどんでん返し?
……予想できる展開はせいぜいこんなもんだろう。しかし、ノンフィクションはそうはいかないのだ。
私はこれを読みながら、そうだ、現実ってこのくらいわけが分からないものだった!と何度も思い直した。こんな展開は創作ではなかなか思いつかない。世の中って誠に複雑怪奇。
冒頭、身近な人の死によって心のバランスを崩していた著者は、前述したようなすばらしい行いをしている山本雅基を知り、救いやアドバイスを求めて会いに行く。が、そこには想像していたような人物はいなかった。妻・美恵もいない。もうその時の雅基の描写からして強烈すぎて引きつけられる。簡単に言えば、雅基は救われる側の存在になっていたのである。
山本夫妻それぞれの言動には、まったく賛同できない、およそ理解できないことが大量に登場する。しかし、彼らは問題人物として描かれるわけではない。そして雅基は、自らが立ち上げたシステムによって生きていくことになる。救うも救われるも、上も下も、善も悪も区別はなく、山谷とそこに住む人はすべてを優しく包含していく。強烈だが、とても優しい本だ。
(末並 俊司 著、小学館 刊、税込1650円)
選者:文筆家 能町 みね子

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