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ハリウッドスターである父・ショー・コスギさんの長男として生まれたケイン・コスギさん。18歳で来日し、スーパー戦隊シリーズ「忍者戦隊カクレンジャー」(テレビ朝日系)、「はぐれ刑事純情派」シリーズ(テレビ朝日系)、「SASUKE」(TBS系)、リポビタンDのCMなどに出演。30歳の時に改めて本格的にハリウッド映画に再挑戦。日本だけでなく、アメリカや中国など、海外のアクション映画にも多数出演。現在、実弟であるシェイン・コスギ監督の映画「四十九-SEEK」が全国順次公開中。10月2日(金)より映画「ブロート 河童は、もう中にいる」(パブロ・アブセント監督)がDVDリリース&配信スタートするケイン・コスギさんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)

■ハリウッドデビューしていたのに日本でアクション俳優を目指すことになったわけは…

アメリカ・ロサンゼルスで生まれたケインさんは、1歳から父・ショー・コスギさんから武道を習い始めていたという。

「物心ついた時にはもう武道をやっていました。子どもの時は、本当に父親と母親が厳しくて、学校が終わるとすぐに柔道、剣道、体操とか色々習い事に行かないといけなかったので、『友だちは普通に遊べているのに、どうして自分はこんなにきついことをしなければならないんだろう』とずっと思っていて、やっぱり最初は嫌でしたね」

1983年、8歳の時に父・ショー・コスギさんの主演映画「ニンジャII/修羅ノ章」(サム・ファーステンバーグ監督)でデビュー。その後も父の主演映画数本に弟・シェイン・コスギさんと共に子役として出演。幼くしてスタントも披露することに。

――初めて映画に出演された時の記憶はありますか

「あります。あの時は、学校を休めるし、いろいろなところに行けるから楽しいなって(笑)。そういう感じでした。撮影は、やっぱりアクションができることが嬉(うれ)しかった。アクションをやっている時が一番楽しかったですね。

でも、やっぱり映画のアクションと本当の武道とは全然違いますから、映画のアクションだと、同じ動きを何回も繰り返さないといけないので。

その時はまだ若かったので、父親から『もうちょっとカメラを意識しないといけない』とか、『(アクションを)覚えるだけではなく、ちゃんといろいろなことを意識しないといけない』

と言われて、そういうことを意識するようになって、もっとアクションが好きになりましたね。

やっぱりアクションはすごく複雑で、ただただやっているだけではなく、相手とのダンスのような感じなんですね。相手とのコミュニケーションはもちろん、カメラマンや周りのスタッフとの息が合わないといけない。

どんなにいい動きをしてもカメラがちゃんと撮ってなかったら映らないし、編集がうまくいかなければ、いいアクションにはならない。すべてを勉強しないといけないということが、すごく大事なんだと思いました。

自分から一生懸命取り組むようになったのは、やっぱり日本に来てひとり暮らしを始めて、そこで初めてジャッキー・チェンやジェット・リーの映画を見てからです。

世界にこんなにいろんなアクション俳優がいるんだと思って。これまでと同じ練習やトレーニングをしているだけでは絶対に足りないし、自分からもっともっと頑張らないとアクション俳優にはなれないなと思いました。

それで、そこからジムに通い始めるようになって、からだ作りやいろんな武道に取り組んだり、食事も鶏肉をメインにしたり、自分からいろいろと努力するようになりました」

――ケインさんは、ハリウッドでデビューされたので、そのままハリウッドで俳優を続けることもできたと思いますが、日本で活動することにされたのは?

「高校を卒業した後はどうしようかなって、最初は迷っていたんです。アメリカで俳優を目指すか、大学に進学するか、いろいろ迷っていまして。

でも、その当時は、アクション俳優はみんな30代、40代で、10代、20代のアクション俳優だと、どうしても少し嘘っぽい感じになるし、役も少なかったんです。

それで、父親が『じゃあ1回日本に行って日本語とアクションを勉強して、それから考えればいいんじゃないの?』と言ったので、最初は半年か1年、日本でいろいろ勉強しようかなと思いました。

ちょうど高校を卒業した18歳の時に父親が大河ドラマ『琉球の風』(NHK)に出ることになって。僕もちょっとだけ出させてもらったんです。日本にいる間にテレビを見ていると、日本の俳優は、歌を歌ったり、テレビに出たり、CMに出たりしていて、マルチでいろんなことをやっていてすごいなあって思いました。

その当時、アメリカでは映画俳優とテレビの俳優は分かれていましたから、日本にいて途中で帰るのはもったいないという気がして。日本でいろんなことを勉強したいなと思ったので、『琉球の風』の後、日本に住むことにしました」

■日本語の勉強はアニメ「ドラゴンボール」で

日本でひとり暮らしを始めたものの、アメリカでは家でも英語しか使っていなかったため、日本語は全くわからず、かなり苦労したという。

「日本に来た時は、日本語が全く喋(しゃべ)れなくて苦労しました。最初はテレビを見て勉強しました。たまたま『ドラゴンボール』(フジテレビ系)がすごく人気があって好きになったから、『ドラゴンボール』を見て、わからない言葉は辞書で全部調べて、それで結構日本語を覚えました」

――生活はどのようにされていたのですか

「コーヒーショップでアルバイトをしていました。日本語が話せないから注文も取れないし、皿洗い専門。あまり人と接する必要がなかったので。ある程度話せるようになるまで、2,3年はかかりました」

1993年、円谷プロダクションがアメリカで制作した特撮作品「ウルトラマンパワード」に主演。バルタン星人を追って地球へやってきた光の巨人・ウルトラマンパワードと一体化し、地球と人類の平和を守る戦いを繰り広げる特別捜査機関W.I.N.R.に所属するケンイチ・カイ隊員を演じた。

「全13話のオリジナルビデオで、撮影中は一旦アメリカに戻って、すべての撮影が終わった後、また日本に帰って来ました」

1994年、スーパー戦隊シリーズ「忍者戦隊カクレンジャー」(テレビ朝日系)に、ニンジャブラック/ジライヤ役で出演。第28話と29話には、父・ショー・コスギさんがゲスト出演し、ケインさんと親子役で共演した。

「カクレンジャーの1年間がやっぱり一番大きかったですね。毎日、共演者やスタッフの皆さんと一緒に過ごしたので、日本語の勉強になりましたし、アクションもすごく勉強になりました」

――特撮作品は、撮影が結構ハードだと聞いています

「1週間で1本撮らないといけないので、1年間ずっとそのペースでやっていました。撮影もハードだったし、あと毎日大泉学園に通うのも結構大変でしたけど、カクレンジャーを見た子どもたちから手紙をいただいたりして。そういうのがやっぱり嬉(うれ)しかったですね」

■スポーツバラエティ番組に出演!驚異の身体能力が話題に

戦隊ヒーローものに続けて出演するなど、当初は仕事が順調だったものの、日本語があまり流暢(りゅうちょう)に話せないことでオファーが減り、2,3年ほど仕事がない時期があったという。

「カクレンジャーが終わってから、しばらく仕事があまりなくて。アクション俳優を目指していたので、コーヒーショップのアルバイト以外はジムでトレーニングして。あと、秋葉原の駅前で週末などはずっとバスケをやっていたんです。

そうしたらたまたまサモ・ハン・キンポーの息子のティミーが携帯を買いに来ていて。スポーツが好きだというから一緒にやって、僕の友だちが彼と仲良くなって食事会をすることになって再会したんですけど、サモ・ハン・キンポーの息子だとは知らなかったんです。

ある日、ティミーが『有名なお父さんがいると大変だな』って、自分のことを言っていたって聞いて初めて知ったんです。それで、『ケインはアクション俳優を目指しているから、今度ジャッキーが日本に来る時は一緒にご飯に行こうよ』って言ってくれて。

昔からジャッキー・チェンさんに憧れていたので紹介してもらって、ジャッキーさんのところで映画製作の勉強をさせていただいたりしていました」

芸能界の中でも身体能力が高いことで知られているケインさん。1996年、「スポーツマンNo.1決定戦」(TBS系)の第2回サバイバルバトルに初出場して総合No.1に輝き、通算6度の総合No.1に輝いた。

「本当に仕事がないからもうアメリカに帰ろうかなと思った時、ちょうど『筋肉番付』(TBS

系)がテレビでやっていて。マネジャーに、『結構トレーニングをやっているから行けると思うので出たいな』って言ったらマネジャーがすぐ電話してくれて。

最初は『だるま落とし』という小さなコーナーだったのですが、だんだんいろんなコーナーに出るようになって、成績も良かったから芸能人大会など花形の企画に出させてもらえるようになりました」

――ピッタリでしたね。ケインさんが出られる時は、毎回ワクワクしました

「ありがとうございます。僕のターニングポイントでしたね。あの番組がなかったら、今の僕はないですから、日本にはいなかったと思います。

本当にタイミングも良かったんですよね。カクレンジャーが終わって仕事がなかったからトレーニングの時間がすごくあって、その番組があって出られることになって。日本語がうまくなくても、からだだけで勝負できる。本当にラッキーでしたね」

――筋肉が語っているような感じがしました。本当に真剣に取り組んでいる姿が見ていて気持ち良かったです

「負けず嫌いだからうまくできないと悔しくて燃えるんです。本当に必死でした。日本語があまり話せなかったから仕事がないけど、この番組で優勝したら、多分1年間生活できる。絶対にこれを頑張らないといけないなという感じでした」

スポーツバラエティ番組で注目されたケインさんは、さまざまなテレビ番組やドラマ、CM

などに出演。1999年、リポビタンD「危機一髪シリーズ」のCMに出演して話題に。

「サバイバルバトルで2回目に優勝した後で、リポビタンDの『ファイト一発!』のオーディションが芝公園であって。タイミングが良くて通りました」

――2016年まで続いて、崖から落ちかけて助けられる側から助ける側にもなって

「そうですね。あのCMは、撮影を海外で全部行っていたのですが、最新のカメラでスタントチームを使って、すごく勉強になりました。リアルにアクション俳優のための勉強という感じでした。なかなかないですよね」

2025年、リポビタンDのWeb CMに出演。自然の崖ではなく、ビジネスシーンの危機的状況を「崖」になぞらえて、そこに立ち向かう会社員に。シリーズ動画「従業員コスギ」篇では、配達員、建設作業員、IT 社員などさまざまな役を演じた。

■普段は使うことがない難しい言葉が多くて…

1999年、「はぐれ刑事純情派」(テレビ朝日系)に、ニューヨーク在住だったため、英語のほうが堪能な野田秀幸刑事役で3シリーズレギュラー出演。2002年、捜査中の関係者の護衛中に淡路島で犯人側の暴力団員たちに刃物と銃で襲撃され、安浦(藤田まこと)に見守られながら殉職。シリーズ最初の殉職刑事になった。

「あの頃は、『筋肉番付』のおかげで、いろんなドラマやバラエティ番組などのチャンスをいただくようになって。

でも、僕のイメージとしては、刑事ものだとアクションだったので、このドラマは、セリフがメインで、ほとんどアクションがないって聞いて、半分は楽しみで、半分は『やばいな』って思っていました。

撮影初日のことは、今でも覚えています。すごく緊張していました。皆さん大先輩、僕の役は新米なので、走って来ていろいろ伝えなくちゃいけないんですけど、『死亡推定時刻は…』とか、普段使わない言葉が多くて、ずっと震えていました(笑)」

――一度出させていただいたことがあって、藤田まことさんとケインさんとのシーンでしたが、ケインさんは合間の時間ひとりでずっとセリフの練習をしていました

「難しい言葉ばかりだったので、毎回必死で練習していました。3年間やらせていただいたのですが、いろいろな地方のロケもありましたし、本当に楽しい現場でした。

僕が一番若かったんです。皆さんすごく温かくて、休みの日はゴルフや食事に誘ってくれて、優しくサポートしていただいていました。だから(殉職して)終わった時は寂しかったですね。でも、あそこまで普段使わない言葉を話すことはないので、このドラマのおかげで普通のセリフを覚えるのが、すごく楽に感じるようになりました(笑)」

ケインさんは、2002年、念願のアクション映画「マッスルヒート」に主演。ノースタントですべてのアクションシーンに挑み、驚異の身体能力を知らしめた。次回は撮影エピソード、ハリウッド進出、自身が知らないうちに話題になっていた「君もパーフェクトボディ!」なども紹介。(津島令子)

※ケイン・コスギ 1974年10月11日生まれ。アメリカ・ロサンゼルス出身。1歳から空手、柔道、剣道、テコンドー、古武道などあらゆる武道を学び、さらに器械体操、アメリカン・フットボール、バスケットボールなど数多くのスポーツを習得。8歳の時に父が主演するハリウッド映画「ニンジャII/修羅ノ章」で子役としてデビュー。高校卒業後、来日。

「筋肉番付」、「SASUKE」(TBS系)で身体能力の高さが注目され、「リポビタンD」のCMに抜擢。2002年、「マッスルヒート」(下山天監督)で映画初主演。2015年、ハリウッド映画「ニンジャ・アベンジャーズ」(アイザック・フロレンティーン監督)に主演。2018年にゲーム配信をスタート。2023年には、なかやまきんに君とコンビ「パーフェクトパワーズ」を結成し、「M-1グランプリ2023」(ABCテレビ・テレビ朝日系)に参加。映画「四十九-SEEK」が全国順次公開中。10月2日(金)より映画「ブロート 河童は、もう中にいる」がDVDリリース&配信スタート。

ヘアメイク:金子 時菜(TOKINA PARIS)  

WACOCA: People, Life, Style.

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