サモエドの光

 平日の昼下がり、渋谷のミヤシタパーク前で信号待ちをしていた。ついさっき観た映画がしんどい内容で、からだが地面にめりこみそうになっていた。それでも力を振り絞って、ずっと行ってみたいと思っていたある場所に歩いて向かった。
 渋谷の喧噪から少し離れた住宅街にある、MUSEUMの名を冠したそのショールームはゆったりと落ち着いた佇まいで、硝子窓から外の光を採りこんで仄明るかった。上品なアーチを描く垂れ壁の向こうに広がる空間にそっと足を踏み入れる。中央の大きなショーケースに並んだ色とりどりの天然石の指輪を眺めながら、私はゆっくりと回遊した。
 シックなブラウンの石に目を奪われて立ち尽くす。角度によってライトブルーやパールピンクの光をまとっているように見える石で、今にも吸い込まれそうだ。しかし今日は首飾りを買いにきたのだ。指輪のショーケースから離れて店の奥に進む。
 壁際の丸机の上、金色の華奢なスタンドに飾られていた天然石のペンダントに目がとまった。手にとったペンダントには、先ほど気になった指輪と同じ石が使われていた。小指の爪の半分くらいの大きさだが、ぐっと視線を惹きつける力を持っている。小さなメレダイヤが額縁のように石を取り囲んでいて、まるで小さな絵画だ。
「同じ石の指輪も、見ていらっしゃいましたね」
 背後に控えていた女性に声をかけられた。振り返ると、私が手にした石の名前や効果を教えてくれる。その穏やかで丁寧な話しぶりは、ジュエリーブランドの店員というよりは専門知識を持った美術館のガイドのようだった。
 家に帰って早速ペンダントを取り出し、うっとり眺めてから首に巻いてみた。映画を観た後のからだの重だるさは、いつの間にかなくなっていた。
 ふと気づいた。あんなに心惹かれて、しっかり説明も受けて購入したのに、この石の名前がどうしても思い出せない。記憶にベールがかかっている。鏡をのぞきこめば首元にちゃんと石があるのに、あの静謐な空間で過ごした時間が夢だったような気さえする。
 たしか、どことなく犬っぽい名前だった。そして名前の終わりは××××ライトだった、多分……。
 朧気な記憶を頼りにスマホに単語を打ち込んで画像検索したら、画面が天然石ではなく真っ白のもふもふした生き物であふれた。草原で日の光を浴びているサモエド、電飾で飾られたクリスマスツリーの傍らにいるサモエド。夜間散歩用の光る首輪をつけられたサモエド。なぜかみなつぶらな瞳で口角をきゅっと上げ、生きていることが幸福でたまらないという顔をしている。
 結局こつこつお金を貯めて、数ヶ月後に同じ店で同じ石の指輪も購入した。指輪は、執筆中や仕事中に愛でることができるのがいい。ミステリアスな光をたたえた深い色の石が視界に入る度に、もふもふでぴかぴかの犬たちの姿が脳裏に浮かび、いっそううれしい気持ちになる。
 石の名前は〈サモエドライト〉でなく〈ラブラドライト〉だった。惜しかった。

 

*****

早乙女ぐりこ(さおとめ・ぐりこ)
1987年、東京都生まれ。2024年にエッセイ『速く、ぐりこ!もっと速く!』(百万年書房)を、今年2月には初の長編小説『珍獣に合鍵』(KADOKAWA)を刊行。

WACOCA: People, Life, Style.

Pin