山本 明尚(やまもと・あきひさ)
音楽学者。1991年生まれ。東京大学特任研究員(日本学術振興会特別研究員-PD)、東京音楽大学・立教大学・慶應義塾大学・和光大学非常勤講師。専門は19世紀後半〜20世紀前半のロシア芸術音楽とその普及運動。東京藝術大学音楽学部楽理科、同大学院音楽研究科修士課程、モスクワ音楽院ロシア音楽史学科、ロシア国立芸術学研究所音楽史専攻を経て東京藝術大学大学院音楽研究科博士後期課程を修了。2017~2019年度日本学術振興会特別研究員(DC1)。2020~2021年度公益財団法人ローム ミュージック ファンデーション奨学生。2025年国際音楽学会優秀博士論文賞(IMSODA)第3席。訳書にチャイコフスキー『実践的和声学習の手引』(音楽之友社)。猫、種々のボードゲーム、筋トレをこよなく愛する。
第1回 吉田秀和を軸に「音楽評論」を考える3冊NEW
はじめまして、音楽学者の山本明尚と申します。専門は19世紀末~20世紀前半くらいのロシア音楽です。当時のロシアの音楽家を含む知識層は、なんとか自分たちの愛する芸術音楽を庶民にも広めようと試行錯誤しました。その一環として、学校や教室を設立して、自分たちと西欧の大家たちの音楽を労働者に教えようとしました。私のもっかの課題は、そうした学校の活動の実態や美学的背景を、いろいろな一次資料を探しながら解明していくことです。
さて、広瀬大介先生からこの連載を引き継ぐというお話をいただいたときは、若輩者の私で良いのだろうかと戸惑いました。ほとんど“観る将”ですが、将棋好きなのもなにかのご縁なのかも。でも、特に明言していないことなのでそんなことはないはず(藤井猛九段、山崎隆之九段が好きです)。とはいえ資格云々を言っても仕方ありません。もともと濫読の気質があるので、これを機にさらにいろいろな本に触れることができると考えるとうれしく、また皆さんと一緒に知見を広げていけることを楽しみに思います。もうお一方の執筆担当の方と二人三脚で、往復書簡のような気持ちで頑張っていきたいと思います。では、これからしばらくよろしくお願いいたします。
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音楽評論みたいなことをしていた時期がある。といってもクラシックのそれではない。高校時代にブログを開設して、そこに当時ドが付くほどはまっていた日本語のロックの曲に関する批評文を掲載していたのだ(ゆらゆら帝国とかナンバーガールとか志村がいた頃のフジファブリックについて、本当にたくさん書いた)。いま思うと批評文でもなんでもない。自分が聴いていて気持ちいいかそうでもないか、その日のムードに合っているか合っていないかなどが判定基準になっていて、理論や歴史といったことは一顧だにしていなかった覚えがある。当時の自分はそういう軸しか持っていなかったのだ。当時の自分の文章のひどさも相まって、音楽作品を評論するということにはいまだに若干の引け目がある。今回読ませていただいた3冊は、ある意味でそうした気まずさを払拭するような、音楽評論との距離をぐっと縮めることのできる作品だった。
吉田秀和の遺稿集『音の世界のそのことを』(2025年)を手に取って、ふと思い出したことがある。最初に音楽評論という存在に意識的に触れたのは、吉田の『私の好きな曲』なのではないか、ということだ。大学受験で東京藝術大学の楽理科を受けることを決めたとき、そうしたらこれを読んでおくといいよ、と誰かに勧められたのだったと思う。2010年の3月(だから受験のちょうど1年前だ)の購入履歴がいまでもAmazonに残っている。
高校生の自分は無意識に通り過ぎてしまっていたのだが、大学に入りもろもろを経て卒業し、もっぱらパソコンで文章を書くようになってから、ふたたび吉田の文に触れてみると、彼の文体の妙味に気づかされた。それはおそらく、吉田が自分の手で文字を綴っているからなのではないだろうか。『音の世界の……』の巻頭(7~28ページ)には原稿用紙に綴られた彼の遺稿が掲載されていて、その次のページには細身のペンだろうか、筆記具を握って楽譜に向き合いながらなにかを筆記する吉田の写真が掲載されている(29ページ)。遺稿には、推敲の跡こそ見られるが大胆な修正はない。思い出されるのは、村上春樹が1980年代半ばに万年筆からワープロへと執筆ツールを移行したとき、年配の作家や評論家から否定的な意見が噴出したということだ。「ワープロで書かれた文章は記号的だ」とか「身体性を失っている」というのだ。いま思うとそれほど目くじらを立てる必要もないと思うけれど、吉田の文章を読んでいると、丁寧に手書きで書かれた文章には、ワープロで書かれた文章には持ち得ない味わいがあるような気がしてならない。
閑話休題。吉田の評論には、妙に食べものの比喩――しかも饅頭とか肉の脂身とか、わりと庶民的なたとえ――が多いのもおもしろい。吉田は古いものも新しいものも分け隔てなく聴く。アラウ、リヒテル、ゼルキン、ルービンシュタイン、ムーティ、ストコフスキーといった古典(?)から、当時若手の俊英として頭角を現わしていた小菅優や河村尚子まで。いまのものを論ずるために、昔聴いたものや食べてきたものを取り出して見比べながら創造力を働かせているように見える。これは回顧のプロセスでもあり、昔のものの中にアクチュアルなものを見いだす営為でもあり、新しいものの中に伝統や以前にはなかった良さを見つける作業でもある。
『音の世界のそのことを』の巻末には白石美雪によるインタビュー(214~261ページ)が収められている。きき手の白石自身も音楽批評を行ないながら現代音楽研究の第一線で活躍していることは言うまでもあるまい。彼女はそのインタビューの内容も踏まえて、『音楽評論の一五〇年――福地桜痴から吉田秀和まで』(2024)を上梓している。副題にあるとおり、明治時代に音楽の知識薄いながらも筆を振るって西洋音楽の評論に取りかかった福地桜痴(1841~1906)に始まり、日本の音楽雑誌や新聞掲載の「演奏批評」を主要人物・主要な場所をめぐってその歴史的な流れを記した一冊だ。白石が「はじめに」で述べるように、「通史」ではないながらも、膨大な一次資料に当たって書かれた骨太の研究書となっている。その一方で、筆致は親しみやすく、読みやすい。読み進めるうちに気づくのは、この書物が著者自身の「個」にも通じているということだ。出身校である東京藝術大学の楽理科、恩師である遠山一行、そして巻末近くに据えられた吉田秀和への言及――組織と制度の歴史を丹念にたどった筆が、終盤になって著者自身の「私」へと静かに帰っていくような心持ちだ。音楽評論の歴史を書くということが、自分がなぜ評論を書くのかを問い直すことと不可分であるような、そんな手触りがある。
さて、『音の世界のそのことを』の物語はさらに分岐する。そこに収められた吉田の『レコード芸術』での連載は、東日本大震災の翌年、2012年に彼の逝去により終わっている。本書の後半で吉田は「音楽をじっくりきいているのが、とてもむずかしくなった」(168ページ)と漏らす。災禍の中で音楽を聴けるのか、音楽を聴く精神状態にありうるのか、という問題は、老境を迎えた経験豊かな評論家にとっても深刻な問題だったということにはっとさせられる。そしてその問題は未解決のまま私たちに投げかけられている。被災時、私は合格発表を数日後に控えた受験生だった。その春は藝大に入学できた喜びと、それを享受して良いのかという戸惑いが綯い交ぜになったものだが、忙しい大学生活の中で徐々に問いは棚上げになっていった。現実の生活が危ぶまれている状況にあって私たちは音楽を楽しめるかどうか、という吉田が投げかけた問題が私にとってアクチュアルになったのは、むしろこの最近の日本と世界の情勢に大きく関係している。
そんな中で『レコード芸術』に連載され、上梓された舩木篤也の『三月一一日のシューベルト』(2024年)は、私にとって救いの書でもある。ちょうどロシア留学の時期と重なって雑誌へのアクセスができず、しかも博士論文の執筆に追われていた時期に連載された元の記事を私は読んでいない。だが、いまこの本を読んで強く感じたのは、この本が災禍や戦争といった不吉な雲の下で、「いままさになぜ音楽をやるのか」という問いに、誠実に向き合っているということだ。音楽の視点と音楽以外の視点を交差させ、揺さぶりをかけるその方法は、吉田の苦しみへのひとつの応答になっている。音楽に真摯に向き合う方法は、なにも音楽そのものだけに注力することではない。白石は『音楽評論の一五〇年』の第5章で、昭和の批評家たちが社会や政治の文脈と音楽を結びつけることに積極的ではなかったと指摘している。舩木の批評は、まさにその空白に踏み込むものとなっている。舩木は、社会と否応なしに結びつきながら、同時にどこまでも個人であるところの「私」の視点を絞り込むことで、実現している。コロナ禍の「記憶」を克明に残す第一級のドキュメントでもある第5章、原民喜とリヒャルト・シュトラウス、さらにこんにちの戦禍を予言するかのような第9章、書簡形式で書かれたいわゆる「表題作」であるところの第15章……。これらは、ときに理解を拒みがちな現代音楽がテーマとなっていても、平明かつ説得力をもって私たちにその魅力を伝える記述となっている。
3冊に通底するのは、書き手の「私」が音楽に向き合うその一点から出発しているということだった。自分がいつか音楽評論を書くのだろうか? その距離感はまだ測りかねているけれど、とにかくいまは自分の目でしかと本と向き合いながら書くこと――それをこの連載でやっていきたいと思う。
※この記事は2026年4月に掲載いたしました。

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