「コスパ」や「タイパ」、そして「AIの活用」と、いかに効率を高めるかが問われる昨今。そんな「最適化」の中心地・シリコンバレーにおいて、「最適化」そのものに疑問をいただいたのがココ・クルムさんです。

 彼女は名門大学MIT(マサチューセッツ工科大学)出身の最先端データサイエンティストでありながら、世界を「最適化」の思想が覆いつくしていることに疑問を抱き、一冊の本を書きました。

「最適化」はいかにして世界を覆いつくしたのか? なぜ格差は拡大し続け、私たちは忙しくなる一方なのか? 私たちはどう生きれば良いのか――。

 NYタイムズ、ウォールストリート・ジャーナルで絶賛されたクルム氏の話題の書『最適化幻想:効率が人を幸せにしない理由』の冒頭部分から一部抜粋し、再編集して公開します。

効率性と最適化

 この物の見方が、本書の主題である。この見方を前提とすることで、現実の物質世界を理解し、区分けし、活用し、最終的に予測することが可能になる。
 アマゾンのカーゴジェットばかりか、波の衝突から戦争の勃発、愛の複雑さまで、あらゆるものが一連のパラメーターに要約され、適切な機器があれば計測、記述できるようになる。
 これはすばらしく魅力的な考え方だし、私もこの考えに何年も引きつけられてきた。私が打ち込んでいた数学的モデリングは、純粋な論理と混沌とした現実世界とのエレガントな架け橋になってくれるはずだった。

最適化の「頂点」シリコンバレーで

 そして私はまったく予期せぬうちに、短期間ではあっても、この物の見方の頂点に当たる場所に立つことになった。MITでの研究期間を終えたあと、シリコンバレーへ向かったのだ。
 まさに一夜にして最適化のメッカとなっていた場所。最新の計算科学が猛威を振るい、土を掘り起こす機械がとてつもない速さで進歩していた。新世代のクラウド技術は一秒間に数兆回の計算を行い、「ディープラーニング」「ニューラルネットワーク(人間の脳の中の構造を模した学習モデル)」といった専門用語がロックコンサートで使われる人工の霧のように厚く立ち込めていた。ソフトウェアエンジニアはデータをモデル化し、デジタル広告から栄養補助食品まであらゆるものの効率性を高めた。
 私は思いがけずそうした頂点に身を置きながら、適切なスキルをもっていたこともあり、同時に二つのことをやろうと決めたあげく、どちらにも失敗した。
 ひとつは、右も左もわからないまま無鉄砲にスタートアップ企業で働きだし、そのあと自ら起業したこと。もうひとつは、数学を地図、つまりエレガントな近似として捉えるというロマンティックな考えを保とうとしたことだ。
 当初うまくいかなかったのは、シリコンバレーで成功している大半の人たちとはちがって、お金や地位を追いかけることにあまり関心がなかったせいだ。それに、そう、お金が木の上からどんどん降ってくる最中には、地図や地形図のことなど誰もあまり気にかけなかったということもある。
 最終的には科学コンサルティングのビジネスを始め、ロジスティクス、気候科学、農業といった分野で働いた。生物種が長期にわたってどう進化するか、人々の習慣がどう変化するか、嵐がどう発達し、作物がどう成長するか、世界中にある船がどう動くかなどを示すモデルを構築した。

私は変人なのか?

 ただひとつだけ、変わってしまったことがあった。私自身がもうそれを信じられなくなっていたのだ。
 私のロマンティックな考えは色褪せていった。こうした抽象化一般に、緑したたる草原を衛星地図上の緑色の画素で表そうとすることに、次第に嘘くささを感じるようになった。
 だがそれとはうらはらに、最適化の各種ツールが世間に巻き起こす興奮は強まる一方だった。この熱気を間近で感じるほどに、私自身がそれを信じる気持ちは失せていった。
 幻滅の理由はテック業界の過剰さにあったとはいえ、それが始まりではなく、そこで終わるわけでもなかった。私は会社のスケジュールに縛られるのを嘆き、古い折りたたみ式携帯をスマートフォンに換えるのに10年近く抵抗しつづけ、まわりから奇異の目で見られた。一方ではどうやってシリコンバレーから出ていくかを考えはじめ、また一方ではどうやってあの場所を滅ぼしてやろうかとまで夢想した。
 幻滅のなかで、良い考えもないまま、いろいろな人たちと話をしはじめた。そうしてあちこち旅するようになった。最初は中西部の農業地帯から、やがてアメリカじゅうへ足を運んだ。農業従事者やサプライチェーンの専門家、大工や石油労働者に会った。お金に余裕ができるとすぐに、北西海岸の離れ小島に土地を買い、いっしょについてきたおんぼろ小屋を改築するのに必要な技術を学ぼうとした。
 そんなうわさを聞いたサンフランシスコの人たちはみな、私の頭がどうかしたと思ったようだ。自分たちは想像を絶する時代の高みに立っているのに、とみんなが指摘した。

データサイエンティストの給料は「天井知らず」

 実際、私のやっていることには高い需要があった。データサイエンティストの給料は天井知らずだった。私には成功できるだけの知識もあった。なのに自分でもどうかしていると思うが、井戸水検査やパッシブソーラー(太陽の熱と光を利用し、動力を用いずに冷暖房や給湯を行う方式)のことを延々としゃべったりしていた。
「それだけのスキルがあるのに、どうして億万長者たちといっしょにプライベートジェットで飛び回っていないのか、よくわからないな」と、いとこのひとりは冗談まじりに言った。あるベンチャーキャピタリストは、私がサンフランシスコにいて、重要そうな専門知識をたっぷりもっていながら、それを利用することにほとんど興味を示さないのを見て、「唯一説明がつけられるとしたら、きっとあなたは倫理的な人か何かなんでしょうね」と、まるでアマゾン川の熱帯雨林でホッキョクグマに出会いでもしたかのように言ったものだ。

現代人を襲う無力感の正体は?

 これから説明するように、この行き過ぎた効率性への幻滅は、いまでは大勢の人たち、さらに私のような立場で最適化に関わったことのない人たちにも広まっている。それはしばしば無力感という形で浮かび上がってくる。
 たとえば日々の暮らしやびっしり予定の詰まったカレンダーに圧倒され、最適化では解決できない問題にぶつかったときだ。
 私は正しいことをしているのか? そもそも何が正しいのかがどうしてわかるのか? このことは異常に高いうつや不安症の罹患率、サプライチェーンや社会に綻びが生じているという意識の高まり、お金のかかる都市住まいや会社勤めや結婚生活をやめての移住、といった現象にまで表れている。
 最適化という世界の見方は、ほかのどこよりも、現代のアメリカやヨーロッパの大半を席巻してきた。これはたしかに、ほかの存在をあっというまに締め出すという特異性をもっている――それ自体の存続という点ではきわめて有効な特異性だ。
 20世紀のあいだに最適化ははなはだしい認識論上の侵略と収奪を行ってきた。たとえばトレードオフ、時間管理、インセンティブといったMBAの語彙がうんざりするほど隅々にまで行き渡った。
 あなたの予測モデルには不足がありますか? 外部性が考慮しきれていないのでは? 問題ありません、私たちが重要かつ緊急な第一象限の部分をアップデートして残ったものを取り込みましょう。これらのモデルに対する批判はすべて、モデル自体の改善へと振り向けられる。そもそも最適化が必要なのかどうかには誰も疑問をもたない。
 解決策を出す、市場に解決させるという基本的な前提は、誰の記憶にもないほどずっと以前からアメリカでは支配的だった。私たちはこう考えるのに慣れている――真実とは入念に調整されたプロセスから現れてくるものだと。このプロセスは市場を意味することが多いが、科学的プロセスや法体系、アルゴリズム、標準作業手順、もしくは単なる理路整然とした決定を指す場合もある。こうしたプロセスの問題、そして現代の無力感の源は、単なる不確実性にあるわけではない。この調整されたプロセスが約束してきたものと、実際に実現されたものとのあいだに私たちが感じる乖離もまた、その源となっている。

「最適化」はなぜ私たちを裏切ったのか?

 私たちはどんな時代に生きているのか。誰に聞くかによってそれは変わり、不安の時代、ナルシシズムの時代、第四の転換期、帝国の衰退の時代といった声が聞こえてくる。
 新自由主義的秩序の、成長の終焉。権威主義の始まり、暗黒期あるいは気候災害の前触れ。終末感が強まろうとしている。『フォーブス』誌によると、「文明滅亡前(プレアポカリプス)」を扱ったテレビ番組の人気が、とくにミレニアル世代のあいだで高まっているという。
 最適化は私たちの時間と関心、それに未来さえも食べ尽くし、私たちのお腹とスケジュールをいっぱいにするが、その理由を知りたいと思ってもそこにあるのはただの空白だけだ。
 私が本書を書く動機は、こうした物の見方がどうして生まれ、なぜ支配的になったのかを探求し理解しようとすることにあった。最適化はどのようにこの世界を侵食してきたのか? どの場所で成功したか? なぜ私たちを裏切ったのか? そしてこのあとには果たして何がくるのか?

アメリカという国の矛盾

 効率性がいかにして私たちの支配的な隠喩(メタファー)となったのか。そこにはこの国独自の要因がある。そのパラドックスは、アメリカという国家のもつパラドックスと一致している。
 効率性はこの国の初期の教会で、工場の製造ラインやコンピューターで、農場や州間高速道路で育まれた。そしてより効率的な生産をもたらすシックスシグマ(モトローラ社が開発した品質改善と効率向上の手法)へと洗練され、水力発電プロジェクトや世界一を争う超高層建築といった形で外国へ輸出されたが、もともとは北米大陸で生まれ、根づいたものだった。

以上は本編の一部です。続きは書籍にて

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