本やドラマの感想を“面白い話”に昇華するにはどうしたらよいのか。文芸評論家の三宅香帆氏は「その物語にある『普遍的な要素』に気づけたら、いくらでも面白い話を展開できる」という――。


※本稿は、三宅香帆『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』(新潮新書)の一部を再編集したものです。


会議

写真=iStock.com/itakayuki

※写真はイメージです



物語には“普遍的な要素”がある

話を普遍的なテーマとして語る技術である「不易」。


結局、古典こそが、強い。物語を読んでいるとしみじみそう思います。誰もが好きな普遍的な展開こそが、繰り返されているのです。


古典的なテーマを知れば知るほど、物語を読むことは面白くなる。


そしてどんな世代の人とも、話しやすくなる。


「あ、今この話をしているな」と、話の系譜が理解できるようになるから。


系譜が理解できるようになれば、一流の鑑賞者になったも同然ではないでしょうか。


ここでは「不易」の例を2つ紹介しましょう。


『推し、燃ゆ』中心に展開する推しブームの話

最近、「推し」という言葉の功罪が語られるようになった。「推し」ブームも何周かまわった、といいましょうか。


なぜこの頃、「推し」はマイナスに語られがちなのか。そもそも「推し」とはポジティブなものではないのか。ここでは「推し」ブームの変遷を、出版物の言説から見るという試みに独断と偏見に基づき挑んでみる。



①「推しメン」の誕生(2011年頃)

「推しメン」がユーキャン新語・流行語大賞の候補語に選出されたのは2011年、今から10年以上も前のことだ。


この言葉ができた当時、世は空前のAKB48ブーム。つまり「推しメン」といえば、「多数のアイドルのなかで、自分が今いちばん『推したい』メンバーはこの子」という、選択肢が複数あることを前提とした語彙だった。


AKB48グループの特徴は、従来存在しなかった大人数のアイドルグループであること。たくさんいるアイドルたちを前にして、どの子を応援しようかな? どの子を応援していることを自らのアイデンティティにしようかな? と、アイドルを「選ぶ」行為こそが「推しメン」という言葉に込められていた。それはAKB48を人気にした「総選挙」という仕組みと繋がる。


批評家の宇野常寛は、当時のAKB48の在り方を「市場の暴走を肯定する装置」と捉えた(『原子爆弾とジョーカーなき世界』、メディアファクトリー、2013年)。


つまり「推しメン」とは、店頭に並ぶ商品から選び買うように、応援するアイドルを選択する行為を肯定する語彙だった。しかし後述するように、この「肯定」のムードは、長くは続かなかったのだ。


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