ついに最終回を迎えた朝ドラ「あんぱん」ですが、本作をきっかけに、ヒロインのモデルである小松暢(のぶ/旧姓池田)の家族史が掘り起こされています。暢(1918年生)・次女の瑛(1920年生。蘭子のモデル)、三女の圀(あき)がいます。さらに末妹は大正13(1924)年前後に出生したと報じられているため、圀はその直前世代に位置づくと推測されます。

あくまで手がかりの範囲ですが、まずは家族の風景から瑛と圀のの輪郭を辿っていきましょう。

家族の風景――鈴木商店、釧路、そして父の不在

姉妹の父の池田鴻志〔こうし〕は当時日本最大といわれた財閥系の商社・鈴木商店で活躍した人物でした。

鴻志は大阪木材部を経て大正8(1919)年に釧路出張所長へ赴きます。

池田家はヴァイオリンやピアノの稽古をする「モダン」な暮らしぶりで、幼い暢は毛皮つきのコートを着こなした、と当時の証言は伝えます。

しかし、その繁栄は長くは続きません。

大正13(1924)年11月11日、官報記事に「監査役池田鴻志ハ死亡シタリ」と記され、家は幼い子どもたちを抱えたまま喪失を迎えました。

姉たちが学びと労働へ歩を速めたのだとすれば、瑛と圀の少女期もまた、この早い父の死の影を受けていたはずです。

堅実な道を歩んだ次女の瑛

ドラマの蘭子と同じく、瑛は学問に熱心に励む女性に育ちます。

成長した瑛は、大阪の阿倍野高等女学校(現・大阪府立阿倍野高等学校)に入学。同校には姉の暢の卒業校でもありました。

女学校を卒業後、瑛に運命の人との出会いが訪れます。

やがて瑛は高知県後免町の教員・曽我部鹿一と結婚。程なくして鹿一の満州赴任が決まり、行き先を共にしました。

二人の間には二男一女を授かりますが、敗戦によって引き上げを経験。愛媛今治を経て高知へと戻りました。

2ページ目 瑛は蘭子と同様に東京へ

 

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