名著には、印象的な一節がある。
そんな一節をテーマにあわせて書評家が紹介する『週刊新潮』の名物連載、「読書会の付箋(ふせん)」。
今回のテーマは「聖書」です。選ばれた名著は…?
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意外に思われるかもしれないが永井荷風は『聖書』をよく読んだ。とくに戦時中、軍部の強権が強まるなかでなんとか心の平安を得ようと『聖書』を開いた。
『断腸亭日乗』昭和十八年十月十二日には、軍人政府の強圧から逃れるように、このところ『聖書』をよく読むと記している。キリスト教は強者に対する弱者のものだからと共感している。
戦後の混乱期にも心のよりどころとして『聖書』を読もうとしたが、三月十日の東京大空襲で偏奇館を焼かれ、本をなくした身の手元には『聖書』がない。人に借りて読むしかない。
それを伝え聞いて荷風に『聖書』を送ろうと考えた作家がいる。
志賀直哉の弟子の地味な私小説作家、網野菊。「ひとり暮し」(昭和三十四年)にこんなくだりがある。
主人公の「よし子」は網野菊自身を思わせる一人暮しの作家。
ある時、新聞社の学芸部記者から、「荷風氏がフランス語の聖書を欲しがって居た」と聞かされる。
よし子は空襲で罹災し所蔵していた本の多くを失ってしまったので、戦後、本屋で少しでも興味をひかれる本があると買い求めていた。そのなかに古本屋で見つけたフランス語の『聖書』もあった。
「その聖書を荷風氏へ、無名で送ってあげようか、と考えたが、つい、気おくれして其儘になった」
荷風のような大作家に比べ自分などという遠慮からだろう。送っていたら荷風は喜んだだろうに。