【最高の日本映画】桶狭間~織田信長 覇王の誕生【時代劇】

【最高の日本映画】桶狭間~織田信長 覇王の誕生【時代劇】
1560年、清洲城。27歳の織田信長(市川海老蔵)が「敦盛」を舞っている。
同じ時、今川軍の先鋒・松平元康(後の徳川家康)は織田軍の砦(とりで)の前で、その采配を振るう時を待っていた。駿河の総大将・今川義元(三上博史)が織田家の領地・尾張を我が物にするべく、二万五千の大軍をもって進攻してきたのだ。前夜、今川軍に対し籠城策を訴える家老衆をあしらった信長は、翌早朝にたった五人の小姓を従えて清洲城から姿を消した。恐れをなして逃げたのだという生母・土田御前(黒木瞳)に対して、濃姫(広瀬すず)は決して逃げたりはしないと言い切り信長の身を案じる。信長は木下藤吉郎(中尾明慶)など信用できる者たちを動かし今川軍の情報を集め、義元が大高城に向かうのではなく、織田信長軍と戦う構えで桶狭間にいることを突き止めた。やがて、織田軍本陣に家老衆が軍勢とともに到着したが、その数は二千ほどで、今川軍との差は圧倒的だった。
二万五千VS二千。果たして信長はどんな戦略でこの大軍に立ち向かうのか…。奇跡の戦いが今始まろうとしていた。

8 Comments

  1. 桶狭間で突撃した津島衆の生き残りの家は、もう知っているだけで二家族しか残ってない。
    俺も子供がいないから、俺の枝は終わりだ。

  2. 善照寺砦〜中島砦を経て大高道からの正面と鎌倉往還から大将ヶ根を経た裏面
    大変良い考証をしていると思います。
    おけはざま山は海抜54m。雑木と竹林の山。
    正面は狭間、裏面は尾根。万一の時は沓掛城まで引くことも考えての布陣。
    田楽狭間が前衛、桶狭間は後詰。
    前衛と2〜3段構えが崩壊し、尾根伝いに退却中を鎌倉往還来た遊撃部隊に襲われた。
    ワシが30年前に書いた卒論も歴史地理学的見地からと地元民見地と軍事オタクとしてそこに行き着いた。
    この作品の脚本家はワシの卒論見たんかなぁ😂

    予定通り大高城に入っていれば今川義元は討死しなかっただろう。
    地元豪農の梶野家や都築家のファインプレー。
    信長さんは人たらしだったんだなぁ。

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