ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されているDJスヌーピーこと、今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第100回。
100回という節目ということもあり、今までの連載についてざっくばらんに振り返っていただくインタビューを実施しました。
「続ける」ということ、そして「形に残す」意味
―― 2017年6月から始まった連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」が今回で100回を迎えました。まず、こんなに続くと思っていましたか?
今泉:全然思ってなかったですね。当時、何か残しておきたいなってことを相談したときに、こういう場を作っていただきまして、スタートしたんですが、『青春のクイーン、永遠のフレディ 元祖ロック少女のがむしゃら突撃伝』(2023年刊)も、この連載がなかったら発売していなかっただろうなぁっていう感じですね。自分の中の掘り起こし作業ってそれまでしてなかったし。
―― なるほど。
今泉:例えば、評論家の先輩の方々は、ものすごい物を大切に取っといて、それをお見せできるようなイベントとかもやられていたりして、でも、私はそこまでできるほどはないんですよね。
―― グッズとかサインとかは保存してらっしゃらなかったんですか?
今泉:取材の時にサインはしてもらうんですが、番組のリスナープレゼントでもらっているから、手元に残っているのは本当に少ないんですよね。
―― 主戦場はラジオと、あとライナーノーツとイベントだったと思いますが、そういったものは1つにまとまって、残るっていうのがなかったですよね。
今泉:そうそう。それに昔はブログとかネットもなかったですもんね。
―― 今も続いているFm yokohamaの番組「Radio HITS Radio」はいつ始まったんですか?
今泉:えっと……何年だっけなあ。あ、そう、テイク・ザットがあったから90年代……。それぐらいですね(正確には1994年10月開始)。もともと「Dancing Groove」という番組から始まって、もう31年になるんですね。
―― ラジオ番組の良いところは、生で聴けて曲も聴けることですが、逆に残らないところが残念なところですね。
今泉:当時はradikoもなかったですしね。リスナーの方では当時の番組をカセットに取っといて、みたいな方もいらっしゃいますが残念ながら公式にはないですね。
U2の取材現場とスターの素顔
―― 連載のお話をお伺いしますが、第1回はU2でしたね。当時はU2の日本盤ライナーノーツも書いていらっしゃいましたが、今の“DJスヌーピー”がメインで扱っているポップスのアーティストとはちょっと違う路線のような気もしますが。
今泉:いや、ところが同じで。というのも当時『全英トップ20』を大貫さんとやっていて、だから毎週イギリスとか、アイルランドの情報を伝えていて、そこでU2出てきたんですよ。そしたら大貫さんが「根暗だな、このバンド」って。
―― (笑)。
今泉:「根暗バンド、根暗バンド」ってずっと言ってたんですよ(笑)。ザ・スミスとかも、インディ・チャートでずっとナンバーワンだったりしたけど、若いリスナーの人から「インディ・チャートってインドのチャートですか?」って質問が来たこともあって。
―― いいですね。なんかこうピュアな感じが。
今泉:そういう時代だったんですよ。U2といえば、シドニーで彼らのライブを見たとき。その時に、ジャーナリストが世界から来るから、船を借りて船上パーティーやったんですよ。
―― おお、すごいですね。
今泉:もちろんメンバー4人もいて。その船上で、ラリーとかエッジと一緒に写真を撮ったのは覚えていますね、その時は、ボノが超酔っぱらっていて、船上で世界中のジャーナリストがボノを30分待ちしたんですよ(笑)。
―― (笑)。まあまあ、若い時なんで許してあげてください。
クイーンと共に歩んだ軌跡〜映画『ボヘミアン・ラプソディ』がもたらしたもの
―― この連載を振り返るとクイーンや2018年に公開された映画『ボヘミアン・ラプソディ』は外せないですね。
今泉:仮に映画『ボヘミアン・ラプソディ』がなかったとしても、自分の中ではやっぱりクイーンは外せないですね。でも、あのあたりから自分がクイーンと取材してきたことの価値っていうものを改めて気づかされました。もちろん、クイーンは仕事を始める前から好きだったし、自分の中の青春でもあるのでそういう思いはあったけど、こうやって映画の『ボヘミアン・ラプソディ』が公開されたときに、「昔、取材したことあるよ」って言うと、「ええー!!!!」みたいな反応をいただいて。その「ええ!」に対して自分も「ええ!」ってびっくりしたんですよね。
―― 両方の気持ちがわかります。
今泉:クイーンはもう自分の世界の中だけかと思ってたんですよね。大切な、大切な宝物みたいな感じで。
―― 映画を見てファンになった方もすごいいるので、昔のことを知りたい、映画と何が違って、何が本当だったのかっていうのを知りたいって中で、実際にクイーンに取材された方なんて、何人もいらっしゃらないじゃないですか。
今泉:でも私にしてみたら、他にもいっぱいいるんじゃない?って感じだったんですよね。
―― 当時からずっと追ってて、今でも活動してらっしゃる方ってなると、そこまで多くないと思いますよ。
今泉:確かに私より世代が若い人たちの時代だと、クイーンの活動が終わっていましたからね。フレディが亡くなって、取材するチャンスもなくなってたし。
―― ブライアンやロジャーは精力的に活動していますが、70年代や80年代のように何度も日本に来て稼働することもほとんどありませんでしたしね。
今泉:そうですね。あの映画をきっかけに好きになった方たちがすごい深掘りをして、色々調べていて。だから、かえってそういう人たちに教わるみたいな。
―― (笑)
今泉:「え、そんなことがあったんだ!」みたいな。歴史の長いバンドですし、私がインタビューしていたのはその場の、その時だけなので、知らないことはいっぱいあるんですよ。
―― クイーンはフレディが亡くなってから色んな書籍も出てますし、当時は今と違って情報とかも頻繁に来ない時代ですもんね。
今泉:当時はそうですよね。自分が知ってるクイーンが全てだったから。
スティングからテイラー・スウィフトまで〜スターたちの知られざる素顔
―― 他に連載で面白かったのはポリスの初来日インタビューです。元々スティングは英語教師で、日本で言うところの国語教師のような雰囲気があり、今のスティングとは全然違っていましたね。
今泉:今振り返るとすごいインタビューだったと思うんですよね。取材場所もホテルのロビーで。なんでホテルのロビーでできたのかなって思っちゃうんですよ。
―― 今だとホテルのロビーで取材なんてありえないですね。
今泉:ありえない、ありえない。でも当時はそんなのいっぱいありましたね。ホテルのロビーでやって、時間は10分、15分ね、みたいな。ポリスの取材のときは大貫さんも一緒で、ツアーで日本に来ていましたね。
―― メンバーの印象は覚えていますか?
今泉:スティングはもう堂々としてましたよね。若い人にあるようなキャピキャピっていうのじゃない感じでした。
―― 今でいう大物も20代の頃は結構わちゃわちゃしてたんですか?
今泉:あー、ボン・ジョヴィとかは昔わちゃわちゃしてた、超わちゃわちゃ(笑)。
―― (笑)。ジャスティン・ビーバーとかはどうですか?
今泉:彼はわちゃわちゃ、というよりも年齢的に本当に子どもってこともあって、取材のときにプレゼントをあげたら、ものすごい喜ぶところとか。
―― 初々しいですね。
今泉:あとは、ブルーですね。もうわちゃわちゃでした。うちの収録スタジオが表参道にあったときに、そこにメンバーが来てもらったんですが、ある時、ダンカンが寝坊で飛行機の便に乗り遅れちゃったんですよ。
―― おお。
今泉:で、後から来るっていうので、最初に他の3人が入ってきて、少し落ち着いてもらったあとに「さぁ収録しようか」って始めてたら、ダンカンが現れたんですが片手に枕を持ってきてたんですよ。
―― (笑)
今泉:「え!?そこまで演出するの!?」とは思ったけど、あの人はマイ枕じゃないと寝られないそうで、それで空港から直行で来てくれたんです。
―― いろんなアーティストを取材されているなかで、やっぱりテイラー・スウィフトのことは伺いたく。去年来日公演で来ましたけど、3~4時間のライヴに集中するために全く稼働はしませんでした。そこで昔のことを教えていただけると。
今泉:例えば、この写真はツアーの時なんですが、テイラーのママがバックステージを案内してくれて。「ここでこう着替えるのよ」とか「この衣装はねぇ」とか。ステージの真裏にある衣装をみせてくれて。それが終わった後すぐに、「本人は来ないかもしれないけど」って言ったんだけど、来てくれたんですよ。
―― これはライブの前ですか?
今泉:ライブの前でしたね。
―― すごいですね。テイラーは実際会ってみたらどんな人なんですか?
今泉:賢いですね。取材をやってる時は、ちゃんと自分が言うべきことをしっかりともう頭の中に入っていて、きちっとした答えを出す。例えば、『Red』のアルバムの時は赤色を主体にプロモーションをしていたこともあったので、ちょっと変な質問だけど「日本を色に例えると?」と聞いたら、「日本はピンクね」と、パッと自分の思いを語ってくれて。「それはわかんないわ」とか、「どうだろう」とか、そういうのがない。
―― いい意味で完璧主義者なんですね。
今泉:うん、もうパッと自分の言葉にして。初来日の頃は、21歳とか? そのころはまだちょっと可愛らしさが残っていましたが、もうそのあとぐらいからもう完璧でしたね。
「ちゃんとしない」アーティストたち
―― 逆にちゃんとしてなかったバンドは?
今泉:昔はいっぱいありましたよ。取材に来ないとか。
―― インタビューをすっぽかされたことってあるんですか?
今泉:ある、ある、あります、ある、ある。えっと、ハノイ・ロックスとか。
―― おお。
今泉:当時、私はロンドンに住んでいたこともあって、ハノイ・ロックスのアンディ・マッコイにインタビューする予定だったんだけど、すっぽかされて。そしたら翌日、アンディから直接、電話がかかってきたんですよ。
―― おー、本人から直接っていうのは凄いですね。
今泉:他には、デッド・オア・アライヴは、取材場所に行ったら、そこにメンバーがいなくて。なんかレコーディングできないとかって言われちゃったのかな。そしたら、家にスティーヴから直接電話がかかってきて、「いついつならできるけど」みたいな、そういうのはありましたね。
―― 意外ですね。スターとかだと、すっぽかしたらそのままっていう感じもしますが、意外とちゃんと自分でフォローをするんですね。直接「ごめん」て言われたんですか?
今泉:言われましたね、ごめんって。あとは言い訳。
―― 言い訳(笑)。
今泉:当時は携帯電話はないから、イギリスの自宅に、留守電が入ってたりとかもあって。レコード会社の人も、自分たちが電話をするのが嫌だったんじゃないかな。「あなたが悪いんだから、あんたが電話してよ」みたいなそんな感じで。ロンドンに住んでるとレーベルの担当者とも仲が良くなって、「今度、こういうイベントがあるけど来る?」みたいな連絡をよくもらっていて。だから「あ、来週フレディ・マーキュリーがロイヤル・オペラハウスでモンセラート・カバリエとイベントするけど来る?」「行く!」みたいなそういう感じ。
―― (笑)。 今まで一番多くインタビューしたアーティストって誰ですか?
今泉:考えたんだけど、もしかしたらブライアン・アダムスなのかなと思って。プロモーション来日とか、来日公演とか。80年代、90年代は肌感覚で今より3倍ぐらい多かった印象ですね。
―― 彼は変わらないですか?
今泉:変わんない。
―― (笑)
今泉:もうね、全然変わんない。本当に変わんない。8月4日に久しぶりにリモートでインタビューしましたけど、変わらない(笑)。長い間応援してくれてありがとう、と感謝の言葉をいただきました(笑)
―― 逆に変わった人とかっています?
今泉:変わっちゃったみたいなのはないですね。
時代を駆け抜けたアーティストたちの今
―― ちなみに昔と比べて、今の若いアーティストと何か違う部分ってありますか?
今泉:本当にみんな、賢い人たちが多いですね。
―― 取材するときにイメージが悪いことを言う人がいない感じですか?
今泉:そこが取材する側にとってはいいんだけど、たまには本音を言ってもいいんじゃない、みたいなのはありますけどね。だってブライアン・メイでさえも「このアルバムはさ、僕が好きなわけじゃないんだよな」って愚痴るときもあるわけで。
―― え、新譜のプロモーションでですか?
今泉:『Hot Space』の時。
―― (笑)。本人が言っちゃうんですね。普通は逆ですもんね。新譜のことは絶対にいいっていうのに。
今泉:他にも「それはフレディに聞いてもらった方がいいな」とかで、ひたすらにかわす。
―― (笑)。
B’zやSUGIZOとの出会い
―― 洋楽だけではなく邦楽の取材もされていますね。それはいつ頃からだったんですか?
今泉:イギリスから帰ってきたときですね。その時はキャリア空白の期間で。その時にB’zと出会ったんです。ロンドンにいた時に「今帰ってきたら、新しくできるFM局で4月からレギュラーができるぞ!」って言われたんですが、私は1年のジャーナリスト・ビザの期限ギリギリまでいたかったのでお断りして、その年の7月に帰国をしたんです。でも仕事は全然なくて。その時に、ラジオ番組のディレクターをしている妹から「お姉ちゃん、絶対このグループ好きだから」って言って渡されたのがB’zの『BAD COMMUNICATION』で。
―― 1989年のデビューEPですね。
今泉:聴いたら、これはすごいと思って。当時B’zはBMG所属で、BMGの人とは、ロンドン行ってからもお付き合いがあったので、感想を伝えたら「渋公でライブあるから観に来る?」ってお誘いいただいて。
―― 当時渋公でやってたんですね。
今泉:で、渋公に見に行ったらすごくかっこよくて。その担当の方に「じゃあ挨拶行く?」って言われて、「え、いいんですか?」って。そんなことまで言われると思ってなかったから、オシャレな格好じゃなかったんですけど。
―― (笑)。
今泉:で、稲葉さんに初めてご挨拶して。そしたら稲葉さんが「毎週番組聴いてました!」って、「全英トップ20」のリスナーだったのがわかって。
―― へえ!
今泉:そこから取材させてもらったり、色々お仕事させてもらったり、交流させていただいたんです。
―― おーそうだったんですね。
今泉:そこでB’zに出会って、取材もいっぱいさせてもらって、日本のアーティストの仕事をするようになりました。その前からもやってたんだけど、そのロンドン行く前にね、BOØWYの氷室京介さんのソロのお仕事を手伝わせていただいたり、ZIGGYのライヴに通ったりとかですね。
―― 今はSUGIZOさんとお仕事されていますが、何がきっかけなんですか?
今泉:共通の知り合いを通してご連絡いただいて。SUGIZOさんはデュラン・デュランとかジャパンとかが大好きなんですが、彼にとって私は「ジャパンの曲を日本で初めてラジオでオンエアーした人」っていうような認識で。でも、そんなわけはないとは思うんですけど、「そういうラジオの番組やれたらいいな」っていう話になって、Fm yokohamaにお話して、そこから番組「Rebellmusik」が始まってもう5年になりますね。
SUGIZOさんは本当に洋楽大好き。ジャズとかも好きなんだけど、番組内で「杉原少年」っていうコーナーがあって、そこで当時好きだった曲をかけるんですが、まあ本当に音楽好きですね。
―― なるほど、今回は色々お話ありがとうございました。引き続き連載もよろしくおねがいします。
今泉:こちらこそよろしくお願いします。
Written By uDiscover Team
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